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看取り人 エピソード3 看取り落語(3)

 それは一週間前、一人の高齢者の看取りを終えた翌日、報酬であるシウマイ弁当と交通費を受け取りにホスピスを訪れた時のことだった。
「また、看取りをお願いしてもいい?」
 所長の言葉に看取り人は長命寺の桜餅を食べる手を止める。
 旅行と和菓子が大好きな英国と日本のハーフの所長は出かける度に看取り人が好きだろうと和菓子を買ってきてくれる。特に和菓子好きと公言したことはないのだが看取りを終える、報酬をもらう、和菓子を食べるが一つのルーティンと化していた。そして唐突に看取りの依頼が入ることも……。
 そんな時、看取り人は大抵こう答える。
「分かりました」
 表情一つ変えずに淡々と引き受ける看取り人に所長は小さく苦笑いを浮かべる。
「いつも悪いわね」
 所長は、本当に申し訳なさそうに言う。
「いえ、仕事ですから」
 看取り人は、何事も無かったかのように桜餅を食べ始める。白玉のような食感に餡子の甘み、何より桜の葉の塩漬けの香りが口いっぱいに広がって、和菓子好きでなくても喜ぶ美味さだ。
「それで看取るのはどんな方ですか?」
 看取りには二通りある。
 当日、数時間、下手すると一時間前に情報だけ教えられて居室に向かうパターンと一ヶ月、もしくは何日かの余裕を持ち、資料やスタッフの話しをじっくり聞いてから取り組むパターンだ。
 所長の口ぶりからして後者だろうと看取り人は予想したが、所長は資料を渡すでも説明をするのでもなく、部屋の壁にかけられた質素な電波時計を見ただけだった。
 ひょっとして前者だったのだろうか?
 明日は確か古文の小テストがあったはずだがあいにくと教科書もノートも持ってきていない。あるのはいつものノートパソコンだけ。
 アイに怒られるかも・・そんな事を考えていると所長が唐突にソファーから立ち上がる。
 もうすぐ還暦のはずなのにその動作は溌剌としていて衰えをまるで感じさせない。
「会いに行きましょう!」
 所長は、穏やかに微笑んで言う。
「今から・・ですか?」
 看取り人は、三白眼を丸くする。
 依頼人本人に会うのは決して珍しいことではない。しかし、話しがあって直ぐと言うのは初めてだ。
「彼も会って話したいって言ってたし。実際見てもらった方がいいからね」
 そう言って看取り人が連れてこられたのは一階にある多目的ホールと呼ばれる所だった。
 ホスピスに来て随分経つのに居室と所長室以外の部屋に入るのはこれが初めてかも知れないと看取り人は思った。
 看取り人がホスピスを訪れる時。
 それは誰かを看取る時だから。
 そんな看取り人にとって多目的ホールの光景はある意味では異質なものだった。
 多目的ホールに広がるもの。
 それはジャポン玉が弾けるような笑い声だった。
 多目的ホールを埋めるのは水色のユニフォームを着たヘルパーに白いユニフォームを着た看護師、外部から診療に来た医師や薬剤師、私服を着た老若男女、そして杖や酸素チューブ、車椅子など病に蝕まれた身体を補助する器具、道具を持った病衣を纏った入居者たちだ。
 彼らは,用意された簡素なパイプに座り、同じ方向を向いて、同じように笑っていた。
 目の前にいる可愛らしい存在を見て。
 それはピンク色の着物に羽織を纏った茶トラ猫だった。
「にゃんにゃん亭茶々丸にございますにゃ」
 茶々丸と名乗った茶トラ猫は丁寧に、愛らしく頭を下げる。
 いや、正確には茶々丸を膝の上に乗せた黒子が手を操り、声を出しているのだ。
 黒子は、茶々丸の手を人形のような操り、身体をくねらせ、腹話術のように声を張り上げる。
 茶々丸は、時たま黒子の顔を見上げながらも嫌がることなく操られる。
「今日も皆様に会いたくて遠路はるばる肉球使ってフニフニと歩いて参りましたにゃ」
 茶々丸が身体を揺らして歩く真似をするだけで女性入居者や看護師たちが溶けそうなくらいににやける。
 看取り人は、三白眼を細める。
「これは……アニマルセラピーですか?」
 看取り人が聞くと所長は少し悩んだように天井を見上げてから頷く。
 アニマルセラピー。
 動物とのふれあいによって人の心に癒しを与える心理療法の一つ。
 ストレス解消だけでなく、認知症やうつ病の改善、免疫機能が高まることから病気の悪化予防にも効果があると言われている。
 所長は、看取り人の言葉に目を丸くする。
「知らないの?にゃんにゃん亭茶々丸を?」
「……有名人なのですか?」
「Me-Tube見ないの?」
「小説のネタを探したりするのには見ますが、それくらいです」
 看取り人の言葉に所長は小さくため息を吐く。
「もう少し若者らしくしなさいね」
 そう心配そうに看取り人を嗜める所長の姿とアイの姿が重なった。
「……はいっ」
 怪訝そうに首を傾げる看取り人に所長はまったくと言うように苦笑し、先程の看取り人の質問に答える。
「まあ、結果的にそうなったわね」
「結果的に?」
 看取り人は、眉を顰める。
「まあ、話しを聞きましょう」
 そう言って所長は前を向く。
 看取り人は、訝しく思いながらも茶々丸に目を向ける。
「それにしてもさすがは日本屈指の港町でございますわにゃ。人も多ければ店も多い。美味しそうな香りも漂ってきたのでちょっと店先覗いてみたら"このドラ猫ぉ!"と叫ばれて箒で叩かれてしまいましたにゃ。まったくとある日曜日のアニメのせいで飛んだ風評被害でございますにゃ」
 そう言って前足を揺らして踊りながらとある日曜日のアニメの歌を歌い出す。
 観客たちから笑いが込み上げる。
 所長もデレた顔で笑っている。
 看取り人は、笑みこそ浮かべていないが茶々丸の動きや黒子の噺を聞いて"上手いなあ"と感心した。
 黒子の話しに合わせた茶々丸の動き、少し困ったような仕草、人を引き込むような喋りと言葉の組み立て。
 ただのアニマルセラピーのボランティアとは思えなかった。
 それに・・・。
「さあ、昨今では物を買うとなるとショッピングモールに行ったり、コンビニに寄ったり、100円均一などというもまでございますにゃ。この100円均一が馬鹿にできない。この前、カリカリ用の器を買いに行ったらまあ、可愛らしいデザインの物がたくさん並んでおりますにゃ。まあ、私の可愛さには敵いませんが」
 そこでまた笑いが起きる。
 そうだ、そうだと歓声まで飛ぶ。
 しかし、看取り人だけは喋りに違和感を感じる。
 呼吸が短い。
 一見、流暢で張りもあるが単語の一つ一つが弱々しい。
(これは・・)
 所長も看取り人が違和感を感じていることに気づき、目を向ける。
「さあ、器と言うと江戸の時代には道具屋と言う商売がございましたにゃ。道具屋と言うと日用雑貨を売ってたり、大工道具売ったりするイメージがあるかと思いますが当時の道具屋と言うのは今で言うディスカウントショップ。服も売れば煙草も売り、鍋やヤカンに化粧道具なんかも売りました……猫に必要な物は一つも売ってませんにゃあ!」
 茶々丸は、前足を上げて思い切りのけ反る。
 それにびっくりして茶々丸の目も丸くなったので可愛さが倍増して歓声が上がる。
 その声は死を迎える病人達の声とは思えなかった。
 一人を除いて。
「分かった?」
 所長が切なそうな目を細めて聞いてくる。
「はいっ」
 看取り人は、頷き、三白眼を茶々丸に、茶々丸の後ろにいる黒子に向ける。
「僕に看取りを依頼したのは……あの人ですね」
 茶々丸……その後ろにいる黒子は周りに気づかれないように隠した酸素チューブに通した酸素をゆっくりと吸い込み、声を張り上げる。
「さあ、今日はそんな道具屋が立ち寄った茶店で起きたとある一幕の噺にございますにゃ。お聞きください。"猫の皿"」

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