私でありながらすでに私でない人の物語を。【エセ・エッセイ015】
過去の体験を記していくとき、そのときなにをという思いはあれどすでに今の私はそのときの私ではない。記された私はすでに過ぎ去った私である。
だからこそ物語たりえる。
その時どきの体験が「今を生きる」なのだとして、「生きた」時間はその次の瞬間から物語となって紡ぐことが可能になる。
そこでの私は「登場人物」なのであって、経歴はキャラクタープロフィールなのであって、私自身とはすでに乖離した存在である。それは確かに過去の自身でありながら同時に他者である。
だからこそ作品たりえる。
ところで、今を生きることしか出来ない私はこの先を生きるにあたり、いずれ日常がぶった切られてもいいように少しずつ終わる準備を進めている。
やりたくても出来なくなる日がいつか突然やってきたときに安らかであれるように、諦めと達成を同時に目指して粛々と日々の活動は行われている。
これは別に暗い話ではなくて何を幸せとするかという個人的な話であり、自分の五体と感覚と自我が正常に働いているうちに「できる限り色々やり切っておきたい」というのが自分の望みであり、その達成(もしくは諦め)をもって唐突な終わりを怯えずに迎えたいのだ。
そのやり切りたいことのひとつが「私小説を書く」こと。
冒頭の文章はそう考えるに至った思考である。
このnoteの場で少しずつ文字にしてきたような、自己紹介の記事や過去の自身の想い今の自分の気持ちなどをそのまま出した言葉ではなく、それを素材として、もう少し複数の視点であったりその場で起きていたことの意味付けなどがされた状態で物語として再編してみたい。
いわば、自分の人生を新しく独自解釈していく試みである。
というのを今書いていて、最近感じることが少なくなっていたワクワクゲージが反応したのでちょっとずつ書き進めてみようと思う。ライフワークみたいに書き溜めていけると面白いかな。
さて、平日午前中にほぼ毎日のペースで書いてきたエセ・エッセイについては自分が「なにをしたいか」にいったん辿り着いたのでここを一区切りとしたいと思う。
来月からどんなペースになるかはわからないけれども、なにか考察したいこと、リアルタイムで書きたいことや詩が浮かんだりしたとき、ランダムで更新していく予定。
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