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夏の思い出は線香の香りとともに【詩/エセ・エッセイ014】

散歩の途中で立ち寄った公園で

甘さのどぎついホットレモネードと、

酸っぱいマヨネーズのチキンバーガーを食べながら

ヒタヒタと葉の落ちる音と流れる水の音、鳥の鳴き声、遠くに子供の声

色んな音がするなあと思っていたら、座禅を組んだあの夏を思いだした

線香のほそい匂い、雨の音の日のうっそりとした湿り気と、

晴れた日は鳥の声と風のざわめき、庭先の人の声

初めて自分の周りの音に深く耳を澄ませた

瞑想をするようになってから周りの音を聴けるようになってはきたけど

あの時ほどは意識して聴いてなかったと思う

暑くて足が痛くて、とびきり非日常だったあの日々

***

2021年の冬に書いたらしいこのメモを見つけて真っ先に思い出したのはレモネードの舌にまとわりつく甘さやバーガーの酸っぱい味なんかではなくて線香の匂いだった。

真っ盛りの夏の只中でもひんやりと暗い寺の土間に靴を脱ぎ、通された先は予想を裏切るような洋風の応接間。

大きなテーブルの上には両面に座禅のやり方と心得、仏教用語などが書かれた用紙が置いてあり、読み込んでいる間に呼ばれて数名と共に板張りの床を本堂へ移動する。

本堂は天井が高く広い空間で、明かりはつけられていないがところどころ開けられた窓から射す昼の光で自然と明るく、時折風が吹き込むものの、むわりと暑い。

窓の外は中庭になっているのが見え、すぐそこにいるのだろうにセミの声はどこか遠くから響いてくるように聞こえている・・・

本尊の前に座す和尚を囲むように壁に沿ってコの字に座布団を並べ、参加者がおのおの座禅を組んでいく。

履いてきた場違いなジーンズはギリギリ胡坐をかけるかどうかという生地の固さで、どうにか見様見真似で恰好だけはつけるが足はずっと痛いままだった。

丹田と呼ばれる下腹の前で両手を重ねて丸い珠を持つように組み、出来るだけ深い呼吸をするようにと言われる。

こめかみを汗が滴り落ちていく。

無理に組んだ足が痛くて呼吸はどうしても浅くなり、勝手に篭った熱が逃げていかなくて暑い。

ふと鼻を掠めた穏やかな香りに、意識が足や暑さから離れた。

視線を巡らせると和尚が線香を一本灯している。
たった一本の細いそれから漂う煙が、広い空間に染み渡っていく。

目は閉じずに少し前の床へ視線だけ落とすように言われたあと、チンと澄んだ音を立ててりんが鳴った。

座禅が始まったのだ。

次第に、ジワジワと遠かったセミの声が耳に迫ってくるように感じた。

***

2019年の夏に参加したこの座禅体験&ワークショップは、前半に座禅体験、後半に寺の地下にある会議室で女性哲学者ボーヴォワールの「第二の性」を読み、現代の「女性×仕事」について哲学していくというものだった。

この頃の私は長年の悩みの種だった職場から転職した先でもうまくいかず、ひたすら何か「自分らしく生きられるヒント」が見つからないものかと探していたので、この体験&ワークショップも「自分を見つめなおす贅沢な時間」というキャッチコピーに惹かれて申し込んだのを覚えている。

ワークショップ後の自分の感想として、友人に送ったメールによれば、

自分は自分の思うものになる。
日曜に座禅&ワークショップに行ったのだけど、その際に出たのが、「自分を生成する」っていうキーワードだったよ。

自分で自分を生成する。
私のこれからのキーワードにしました(笑)

だそうです(笑)

この頃から自分の思う自分をどうにか生成しようとしていたんだなあ。
このキーワード、たぶん今の自分の根幹にもずっとあるんだろうな。

・・・と感慨深く思いつつ今日はこの辺で。

ちなみにボーヴォワールの「第二の性」の考察についてもとても面白かったので、それもいずれ語るかもしれない。

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