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読書記録②若きウェルテルの悩み

ゲーテを読むのは、大学時代のファウストいらい。彼の伝える力には彼特有のものがある。

ファウストは戯曲だった。ファウストとメフィストフェレスのやりとりには世界を構築する力があった。
若きウェルテルの悩みは書簡体(手紙の形式)小説だ。
ただし、ウェルテルからの手紙しか書かかれない。返信は一切ないのだ。そのことによって、読者である我々はウェルテルその人にもなれるし、手紙を受けとる友人ヴィルヘルムにもなる。
僕の場合でいえば、手紙を受けとっていたつもりが、いつのまにかウェルテルのがわに立っていた。

自殺を蔓延させたというこの小説に、今の時代の僕らは、正直そこまで自己投影はしないと思う。
なんだけど、細部の感情には今の自分のものとしか思えないところもある。

たとえば。
ウェルテルが思いを寄せる人妻、シャルロッテの夫アルベルトへのグチ。

「ぼくはすんでのところで議論をやめにしようと思った。こっちが心の底からしゃべっているのに、とるに足らぬ決まり文句であしらわれてしまってはまったく立つ瀬がないからね。」

また、なんにでも「それがすべてとは言えなくて、こういう例外があるけどね」と理性ぶるアルベルトへ、そんなのは当たり前なのに「註釈に気を取られて、いつの間にか本題からずれている」と憤慨する。

こんなのって、まさに今のわれわれだ。

多様性を畏れて、「もちろん全員じゃないけどさ」をあらゆる言説の枕詞にしてはいないか。
それで赦された気になってはいまいか。
本心でもない正論で他者を論破した気になっていないか。
そんな、無意識下につのったイライラを、ウェルテルは痛快に批判する。まっすぐなんだ。だから自殺しちゃうんだけどね。

(ただ彼をほめたたえられるかというとはなはだびみょう。くずではある)

なんて、人間としての共鳴を各所で感じられる名作でした。

やはり古典的名著は、表紙を開くまでが一番おもい。ひらくとぱらぱらページはすすむ。
気が向いたらぜひ。

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