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【純粋『哭悲/THE SADNESS』批判】凄く惜しい映画だった!

先日、話題の台湾映画『哭悲/THE SADNESS』を観た。
話題になっていることは何となく知っていたが、若いカップルや女の子たちの観客が多いのが意外だった。


冒頭から主人公の男の指が園芸用のデカいハサミ(「刈込みバサミ」というそうな)で落とされるという残虐描写から始まる「暴力と残虐シーンは全てお見せします!」といったスタンスのマッドネスな方向に景気の良い残酷ジェットコースター映画である。

若い人たちがこの映画をどんな風に観て、感じたのかをものすごく知りたいし、良い夏の想い出になっていれば良いのですが(ニヤけ顔)。

実はこの作品、僕の中で結構残念な作品になってしまいました。
出し惜しみしないそのヴァイオレンス魂は見事なんですが、内容と設定的に惜しいんですよね。

今回はこの『哭悲/THE SADNESS』を惜しさを込みで、熱く語っていこうと思います。

■もう長年ゾンビは「生ける屍」ではなく「狂暴化した感染者」だが、そこに新たな発明が…

この映画は言うまでもないが、ある種のゾンビ映画の1ジャンルである。

2022年の映画ということはコロナ禍で製作された作品であり、その内容も新型ウイルスの感染で人々が凶暴化、パンデミックにより台湾全土が大パニックになる中、男女が再会を誓いサバイバルするという内容。

ゾンビ物には既にいくつもある語り草だし、過去作だと『ドーン・オブ・ザ・デッド(ロメロの『ゾンビ』のリメイク版)』『28日後』とその続編『28週後』や『新感染』のシリーズ、邦画なら漫画原作の『アイ・アム・ア・ヒーロー』などが表現的にも近く、感染者は走ってやってくる。

ただし一連の作品群と明確に違うのは、感染者の狂暴化した行動は自らの意思の開放によるところが大きく、実は感染者たちは狂暴化する前と同様に意思や思考が備わっているということだ(ちゃんと喋るしな!w)。

つまりはこのウイルスの設定は、厳密にいえば「人々を無思考に"狂暴化"する」のではなく「欲望を抑え込んでいた理性を"無力化"する」ところだ。

理性が極端に効かなくなった人々は、根源的な欲求を抑えることができなくなり、攻撃的に衝動の赴くままに異性(または同性)を強姦したり殺人を行う。

ただ頭の片隅に理性的な感情が残っているので、その行為への衝動が抑えられない恐怖と悲しみに、感染者たちは涙を流しているという設定である。

この設定は本当に素晴らしいと思う。
ゾンビや感染者という「人外」の存在になってしまった者たちの中に真に人間的(性善説的)な感情が存在しているという、かなり哲学性を高めそうな設定なのだが……。

この素晴らしい設定を今作は発明しておきながら、全然活かし切れていない!本当に惜しい作品になってしまった。

■この映画が描く「人間性の前提」は正しいのか?

「人間性の本質とは一体、何なのか?」

そんなことをこの映画を観ていると、考えさせられる。
それは性善説とか性悪説といった二元論で簡単にすまない話だが、今作では明らかに性悪説に沿って人間の本性が定義付けられている。

実は人間性の本性や本質が悪意に満ちていて、だからこそ社会秩序や法がそれを抑制しなければならないという「性悪説」的な視点は長らく当然の前提であるように考えられてきたが、近年そういった視点や思考を批判する動きがある。

ナチスのユダヤ人虐殺がなぜ起こったのかを検証したミルグラム実験や監獄実験の数々で、人間の本質は悪であるという定義が長年なされ、それは真理のように考えられていた。

しかし、近年の再検証で実験中の参加スタッフや協力者が実験主催者の意図を慮って意識的に結果を誘導するような働きがあったことが判明したり、戦場の兵士たちは積極的に戦闘に参加しないように努力していたとか、そういった人間性本質の意外な側面を詳細にレポートした書籍『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』なんてものもある(この本、面白いのでオススメです)。

さて話を映画に戻しますが「感染者は衝動を理性で抑え込めずに攻撃的になる」わけですが、動物の本能としての欲求や衝動と、社会生活を営んでいる文明圏内にいる人間のそれとはかなりの齟齬がある気がする。

「衝動に抑えが利かなくなる」なら、もちろん一部の人々が暴力的になったり、性的な欲求を満たそうと強姦に走ることはあるだろうが、高級品欲しさに盗みたい衝動もあれば、仕事に行きたくなくてずっと引き籠ったり、撮り鉄の感染者は人間より電車への衝動が勝って駅になだれ込むのではないだろうか。

こんな突っ込みを入れるのは野暮だが、全ての感染者が暴力や性衝動に支配され、涙を流しながら蛮行に及ぶのはいささか性悪説に振り過ぎではないかと感じる。

余談だが、ゾンビ映画には"ゾンビに意識ある系"の系譜があることはゾンビ好きの中では当然だが、その代表作といえばモダンゾンビの始祖であるジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』ではないか。

この映画の中で登場するゾンビは、なぜか多くがショッピングモールに集まる。

それは「生者であった頃の微かな記憶がそうさせている」というセリフが物語るように、ロメロから言わせれば目的もなく週末にショッピングモールに集まり必要のない商品を何となく買い漁る。消費を謳歌するだけのバカな大衆への「あいつらはナマの人生を生きてねーじゃねーか!」という批判があり、ロメロが再構築したゾンビというモンスターは元来から社会的な存在だった。

実際アメリカは主に70年代に数多くのショッピングモールが都市部の郊外にでき、そこはありとあらゆる娯楽が集まる夢の消費空間であり、開店セールの大安売りで人を集めて人気を博したため、地方の地元に根ざしたいわゆる商店街を壊滅に追いやったという一部の地方民からしてみれば悪しき所業がある(『ストレンジャー・シングス』のS3当たりで閑散とした商店でウィノナ・ライダーが働いているシーンは70~80年代の消費ビジネスの変容が如実に描かれたシーンだ)。

皮肉にもこの『哭悲~』には人間の本来の持つ欲求と衝動が表出するという点においてロメロの『ゾンビ』に非常に近しいのだが、その表現のカタチが暴力と性だけに絞られていて非常に稚拙でスケールが小さいのである。

ひとりで堪能できる娯楽があり過ぎ、人とのリアルな関わりが希薄な現代において、その衝動が性と暴力という二択で生々し過ぎるのは少々違和感を覚えた。

現代社会なら結構な数の感染者が引き籠るのではないだろうか。

■感染者の涙を活かしきれていない

意地悪で野暮な批判が続いてますが、次は涙についてです。
さっきも書きましたが、重要なのは感染者が理性が残っているが故に流す悲しみの涙である。

この要素は今作の『哭悲/THE SADNESS』というタイトルの元にもなった大事な要素だが、感染者が涙を流す印象的なシーンは序盤の地下鉄シーンと後半の病院のクライマックス辺りでしかない。

僕がこの映画を観て「惜しい!」と感じたのは、感染者が涙を流し悲しみを抱きながら狂暴化するという設定は「逆説的に考えると人間性の本質は善意なのではないか?」という提示があるかもしれない、という期待からである。

しかもなんとパンフを読んでみると、そういうニュアンスを入れる予定で監督のロブ・ジャバズ自身も重要な要素だと思っていたにもかかわらず、撮影中に他に考えることが多すぎて、すっかり涙シーンを撮り忘れていたんだそうな!(ジャバちゃん!おっちょこちょいかよ!かわよー!)

もし監督がその涙シーンを忘れずに撮影していたら、実はものすごく残虐な上に哲学的な物語が完成していたかもしれない。
むしろ続編があるならその要素をもっと追及してほしくもある。

■しかし今作の暴力性は観る者を魅了する

色々と文句を言ってきましたが、それでもこの映画の極端に振り切った暴力性は一見の価値があります(ただし耐性のある人のみ)。

なぜなら映像作品というのは描かれなければ見られませんし、見なければ感じられない感情や思考があるからです。

例えば有名なヒッチコック『サイコ』のシャワーの殺人シーンですが、この場面で背後から迫ってきた犯人がナイフを振り上げたところで画面が切り替わり、一気に犯行後の光景に場面が飛んだらどうでしょう?

そこに殺人者への恐怖や物語の中にあるスリルは半減してしまい、逆に「もっと見せろよ!」と欲求を呼び覚ますかもしれません。

これはある種の怖いもの見たさで、ホラーなど恐怖を主体にした娯楽を見る際の人間の持つ不謹慎でありながらも観たいという欲求をくすぐるもので、実はこの映画はこういった心理にもの凄く反応するように作られています。

個人的にこの映画の白眉たるシーンで、病院の廊下で複数の男女が血塗れで性行為に興じるという恐ろしくもイヤらしい、下品な上に妖艶な場面があります。実際に文明社会で生きる人の生活で生と死が密着に混ざりあうのは性行為と出産というイベントが主なのかもしれない、と感じそこに少し興奮を覚えてしまう自分がいることが恥ずかしくもイヤな感じ……。

この場面はすごく残忍で惨いのに、見たくないけど見てしまう、いや見入ってしまうという、それこそ人間の、いや男である僕の心の中にある隠しておきたい部分を掻き乱すようなシーンでした。

そういった人間の持つアンビバレントな感情の"振れ"のような、非常に繊細なポイントを突いてきて、観る者の嫌悪感と倫理観を試されるような作品でした。

■【あとがき&告知】

今回はアジア・ゾンビ映画の最新作『哭悲/THE SADNESS』をレビューしましたが、なんと福岡のKBCシネマでは今、モダンゾンビの始祖ロメロのゾンビ三部作の一作目であり処女作の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』の4Kリマスター版が公開されてます。

つまりこの福岡のKBCシネマではゾンビ映画の大名作である『ナイト・オブ~』と『哭悲~』同時に観れるというなんとも感慨深い事態になってます。

是非とも福岡・九州のゾンビ好きな皆様はKBCシネマで生ける屍祭りを堪能して下さい!なんだか嬉しくなってパンフレット二つ衝動買いしていまいました!

こんな浮かれ気分で映画鑑賞をした数時間後、僕には恐ろしい事態が起こり、とんでもない結末を迎えるのですが……。その話はコチラの記事で書いておりますので、ご興味がある方はぜひに~

最後に告知です!
来週の7/21の木曜日の21時から 20時半からYoutube生配信決定です!

今回は、みんなで語ろう夏のホラー映画大特集ということで今回紹介した『哭悲/THE SADNESS』やネトフリ最新ホラーの『呪詛』、A24が贈るホラー三部作の一作目『X エックス』などの最新ホラーを語りつつ、東西南北、温故知新のホラー映画を語りまくるホラー祭りを配信していこうと思います!

生配信なので、ウイルスに感染して衝動が抑制できなくなっても参加できますよー!映画好きの皆様、ホラー好きの皆様、是非ともご参加ください!

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