英雄たちのアシナガおじさんが冴えない私なので言い出せない#22

第22話 おじさんはくるしいことがいっぱい

「あ、ぐ……は……! ふざ、けんなっ……! なんだよ、今の一撃、てめえの力じゃ……!」

 よろめき口からよだれを垂れ流しながらレクサスはガナーシャに話しかける。

「そうだね、僕の力じゃあない。僕の今のステータスじゃあ、君を吹っ飛ばすことなんて出来ないよ」

 ガナーシャの言葉にレクサスは苛立ち地面に向かって叫ぶ。

「あああああああ! てめえのその言い方が腹が立つんだよ! なんでもかんでも分かってるような言い方しやがって!」
「なんでもは分からないよ。ただ、僕は自分の弱さを知っていて、人より臆病なだけだ」

 ガナーシャがそう言うと、レクサスは全てを理解し始める。

(ああ、こいつは異常者だ。異常が普通なんだ……)

 レクサスはこういう瞳をする人間を何人か見た事がある。
 英雄と呼ばれる存在。
 彼らはそんな目をしていた。

 最善を尽くすことが普通。
 理不尽が普通。
 死ぬまで生きるだけ。

 だが、決定的に彼らとガナーシャには違いがあった。
 ガナーシャには能力がない。彼らのように海を割るような剣術や町一つを滅ぼすような魔法、そんな力がない。なのに、レクサスの普通が異常で、レクサスの異常が普通であるかのように見てくる。

(こいつは、異常者の中の異常なんだ)

 単純に言えば、狂ってる。
 レクサスはそれを理解する。
 狂った弱者は生きるためになんでもやるのだ。なんでも喰らい自分のものにする。そして、生きるために徹底的に全力を尽くす。

 考えてみれば全てが目の前の狂人の狂った『準備』に見えてくる。

 リアに差し出した手が踏みやすい位置にあったこと。
 あれさえももしかしたら……。
 そして、何故この男は、懐に高級なはずの薬草をそのまま忍ばせていて、今、飲んでいるのか。
 レクサスは、ぐらぐらと足元がおぼつかなくなっているような気がして頭を振る。
 今までのどれが罠で、どれが罠じゃなかったのか、ガナーシャの行動すべてが妖しく見えてきて、レクサスにはどんどんとおおきなばけものに見えてくる。

「くそ……! くそくそくそぉおお! 俺はまだ! まだ! まだなんだよ」

 レクサスは感情のままに叫びながら、リアに近づく。

(あのオンナを人質に逃げる! それならまだ可能性が)

「! くそ、一撃が弱かったか。レクサスやめるんだ! その子に近づくな!」
「はは! てめえの言葉になんか耳は貸さねえよ! ばけものが! いいか、このオン……!」

 レクサスがガナーシャを見ながらリアに伸ばした手は誰かに掴まれ遮られる。
 ひんやりとした冷たい手。
 振り返ると、リアが、いや、リアのようなものがレクサスをじとっと見つめている。

「な……!」
『この子に触らないで……』

 頭に突き刺さるような声が聞こえたかと思うと、リアの身体から黒い魔力が放たれる。
 それは守りの指輪から放たれた〈障壁〉に似た半円状の黒い結界。
 だが、その黒い魔力はレクサスを弾くことなく中に入れ……押し潰した。

「ぐ、ぎぃいいい! な、なんだよ! これ!?」
『触らないで触らないで触らないで触らないで、この子に触らないで』

 直接脳を抉るような声にレクサスが悲鳴をあげのたうち回、ろうとするがそれさえも許されず、ただただ声を漏らし、つぶれていく。

「これ、は……重力の、魔法……? そんなもん……!」
「あー……だから、言ったのになあ」

 頬を思い切り地面にこすりつけながら必死に顔を動かすと、ガナーシャが頭を掻いて困ったように笑っている。

「まあ、死にはしないか。いやあ、良かったあ。薬買っておいて」

 そうふわりとつぶやくと、ゆっくりと黒い結界の中に足を踏み入れる。

『触らないで』
「うぎぃいいいいい!」

 恐らくこの黒い結界の主である者の声は、結界内の全員に届くらしく、ガナーシャに告げたはずの言葉がレクサスの脳を再び抉り、レクサスは悲鳴をあげる。

「ぐ、む……!」

 そして、当然ガナーシャにも黒の結界の重力がかかり、押し潰される。
 レクサスの力で押し潰されたのだから当然それより弱いガナーシャも手も膝も地面についてしまう。

「が……は……い、いやあ、キツイなあ……」

 だが、ガナーシャはレクサスのように寝転がることはない。重力の力で支えきれなくなった腕を折り曲げて肘をつき、それでもリアに向かって進んでいく。

『その身に掛けられている魔法は、聖女の……? キライ、キライ! あなたキライ!』

 黒い声が脳をかき混ぜ続ける。レクサスは失神寸前で口から泡を吹き始めているがガナーシャが顔をゆがめながらもそれでも進むのをやめない。

「うん、キライでもいいから、一度落ち着こう、ね……!」

 薄く白く輝いている身体だがもう血と泥でぐちゃぐちゃになっており、左足はもう動かせないのかずるずると引きずっている。
 それでも、ガナーシャは前に進む。それが当たり前だと、普通だと。
 リアの元へ向かう。

『なんで、なんで、アナタは来るの!? 思い出したワ、あの時もソウ! なんでアタシ達の邪魔をするノ!?』

 リアを動かす黒の何かは悲鳴のような叫びでガナーシャを襲う。
 だが、ガナーシャは困ったように笑うだけ。そして、『彼女』に告げる。

「僕はただ、君たちが好きだから、大人の事情に巻き込みたくないだけだ」

 ガナーシャのその言葉が聞こえた瞬間、リアの表情がきょとんとした不思議なものを見るような表情に変わる。
 そして、黒い何かの声は、澄んだ美しい音に変わる。

『スキなの? アタシも? アタシのことも?』
「好きだよ。君もリアも好きだ。だからね、君にこれ以上やりたくもない人殺しをさせたくないんだ」
『……デモ、リアを、守らなきゃ……』
「リアは、僕が守るから。君はしたくないことをしなくていいんだよ」
『ほんとう?』
「本当だ。あ、でも、僕は弱いから力を貸してくれると助かるかなあ」
『ふふ……いいよ。じゃあ、約束ね』

 そう言って黒い何かは小指を差し出す。

「ん?」
『知らない? 約束するときに小指を絡ませて誓うの』
「へえ……わかった。約束しよう。僕はリアを守るから、君は僕を手伝ってほしい」

 ガナーシャはボロボロの右手の残った小指を差し出す。
 そして、リアの小指と絡ませ、誓いを交わす。

『ふふ……おじさん』
「なにかな?」
『リアを大切にしないと、圧し潰しちゃうからね』
「な……! は、はは……お手柔らかに」
『ふふ』

 ゆっくりと黒い結界はリアの中に戻っていき、ふわりと倒れ込んでくるリアをガナーシャは抱きとめる。

「約束するよ。僕のすべてを賭けて、君とリア、そして、あの子達を守る」

 抱きとめたリアの身体は細くて小さくて軽くてガナーシャは困ったように笑う。

「もっとご飯をたべさせてあげないとな」
「お、おい!」

 リアを抱きしめるガナーシャの背中に声が掛けられる。声の主は這いつくばったままのレクサスだ。

「本当にお前もそのオンナも意味が分からねえよ! くそ! ふざけんな! 気持ち悪い気持ちわりいんだよ! ふざけんな!」
「僕はいつだって本気だよ。でも、きっと君には分からないし、分かる時は来させない。しばらく、眠っていてくれるかな? すぐにまた迎えに行くから」

 そう言ってガナーシャは腰の袋から粉を取り出し、レクサスに向かって放り投げる。

「けほ! てめえ、何しやがる! こ、れ……なん、だ……あ、これねむり、くすり、かよ……」
「さっきもちょっとだけ撒いてたんだけど、まあ、気づかなかったよね。そうそう、強制的に眠らされそうになったら、緊急時は痛みで覚醒させるのが一番だよ。まあ、痛いけど、死ぬよりはマシだよ」

 ガナーシャはそう言って爪もはげた右手で瞼をゆっくりとおろし始めたレクサスに手を振る。

 何から何まで気持ち悪かった。レクサスにとって。『あのおっさん』は。
 もう疲れた。
 そう思いながらレクサスは眠りという楽な方へと落ちていった。

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