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ヴァージル・アブロー著 ダイアローグ

41歳の若さで亡くなってしまったファッションデザイナー。ヴァージル・アブロー氏のファッションへの考え方、デザインへの考え方、を対談形式の中から読み解くという本である。

すごく色々な事柄への話に触れているのでとても内容の濃い本だったと感じた。全てをここで触れることは難しいので最も印象的だった箇所を書いていきたいと思う。

まず、全ての事柄に通ずる事としてヴァージル氏がアフリカにルーツをもつ黒人であるという点がいかに社会から拒絶されてきたか。現在に至るまで、そういったルーツを持つというだけで例えばハイファッションのデザイナーや社会的に地位にある役職にありつけなかったのかという背景があると感じた。

私が本などから得た知識の上で、そういった黒人差別的なことがあるのは理解していたつもりだが。やっぱり現実的な問題としてまだまだこういった思想は根深くあるのだなと思った。

ヴァージル氏は自身のブランドの躍進後にルイヴィトンのデザインに携わるようになり、いわばファッション業界のトップとも言える立場から発信ができるようになった。自分のルーツによって拒絶されてきた社会を内側から見ることができるようになったのだという。ルイヴィトンのデザイナーという立場になり、直接的に黒人差別問題の発信ができるようになったとはいえヴァージル氏は直接的というより皮肉的に表現していったように私は思った。ヴァージル氏が注目され、彼がしていることが話題になることによって、そういった黒人差別問題に目が向くように考えられている。

このように、ヴァージル氏の中では全てのことに”意図”が組み込まれていており。狙いがあって、ファッションを使って社会実験を行っているようである

最も印象的だったのがヴァージル氏のファッションを使って純粋主義者と観光客どちらにもアクセスしたいという記述だ。(どちらも彼のオリジナル言語で簡単にいえば純粋主義者はその分野に知識深い玄人的な人、観光客は流動的に現れるカジュアルな一般層、)ヴァージル氏自身がインターネットやsnsを多用したり好んで使うあたりもこの思想に起因しているのだろう。
小難しい、わかる人や業界に知識のある人だけに届けばいいというのではないのだ。

あくまでアクセスの段階では誰しもが手に取れるように発信したりアウトプットする。社会へ語りかける。あえてそうするプロセスを取ることで注目を得たのだ。

彼は自分自身のブランドをハイファッションブランドと同様の立地に出店した上で彼の服を親しみやすいものにした。tシャツやスニーカーであり、それこそストリートから生まれるような形のもので。クチュールがメインであった長き時代、ラグジュアリーとは庶民には手の届かない、排他的なもの。このエリートのものだけであり続けたことをヴァージルは嫌ったのだと思う。
彼なりの貴重なもの、現代におけるラグジュアリーの形を見せたのではないだろうか。

この視点からも感じ取れるように、万人に届く必要があるのだ。あくまでメジャーな土俵で。

言い換えればファッション知識があろうとなかろうと、どんな所得帯だからだろうと、どんな人種だろうと、彼のブランドにアクセスできないというのはナンセンスなのだろう。

そして、そのブランドの本拠地をヨーロッパに置くことで、アフリカ系黒人のブランドが今ファッション業界の古い歴史の地にある。という確固たる事実を示したのであろう。長く長く続く、凝り固まった主義や歴史に対する彼のアプローチである。

全てのやっていることに一貫性があり、彼の哲学に触れることのできる素晴らしい本だったなと思う。すごくざっくりな言い方にはなるが、全体主義や構造主義への反逆とも言えるような風に私は感じた。そこへのアプローチがすごく知的で良い意味での皮肉に富んでいる。

本当に素晴らしいセンスの持ち主だと思う。今も生きていればもっとたくさんの言葉が生み出されたのだろう。

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