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学芸大学『世界一』おばあちゃんのニラ玉と思い出の小皿

その昔、東横線の学芸大学駅から徒歩3分ほどの場所に『世界一』という名の焼きとり屋さんがあった。日本一ではなく世界一。なんともだいそれたネーミングである。

いつだったか友人が気になる店があるというので「じゃあ行ってみよう」とこのお店に初めて訪れた。狭いバス通りの角地。入り口がそれぞれの通りにあって、それぞれの入り口に世界一という暖簾が掛かっていた。

暖簾の隙間からお店の中を覗く。

誰も居ない…。

恐る恐るガラスの引き戸を滑らせてみるが、建付けが悪いのか中々開かない。強引に開けようとしていると、後ろから笑顔のとってもチャーミングなおばあちゃんが「あら、開かない?ちょっとまってね」と反対側の扉を開け中に入れてくれた。

店内はなんともいえない雰囲気を醸しだしていた。5~6人で一杯になっちゃうぐらいの古びたL字カウンター。その向こうには、時代を感じさせる木製の戸棚があり、皿や、コップがきれいに列んでいる。

「はじめて来たでしょ?このお店」

「はい。なんだか、入りにくくて、友達誘ってノリで来てみました」

友人が答えると、エプロンを着ながら「紙のメニューは無いのよ。この中から選んでね」やさしい口調で戸棚横に掛かっている小さな黒板に目をやった。

白いチョークで〈ビール、日本酒、やきとり各種、ニラ玉、おでん〉など7~8種類のメニューが書かれていたが、値段は無い。

「とりあえず。ビールください」

「はーい」

奥にある家庭用の冷蔵庫から瓶のキリンビールを取り出し、布巾で撫でるように拭く。小さなコップをカウンターに置き、栓を開けると「はじめの一杯だけよ」と言ってビールを注いでくれた。

この時、よくわからないけど大人の一員になった気分で友人と乾杯したのを覚えている。

ここで最初に食べたのがニラ玉だ。

おばあちゃんは「この作り方は前の女将さんから教えてもらったの」と話しながら、熱々のフライパンにニラをドバッと入れて炒めた。そして、そのニラを一度取り出してから、醤油のかかった卵と混ぜ合わせ、まだ冷めていないフライパンへ流し込む。カウンター越しからその工程を眺め、出来上がるのを待つ時間はたまらなく心地よかった。

お皿に盛られたニラ玉は、なんだか懐かしい味だった。『また絶対に来よう』一口でそう思ったと同時に、けして綺麗とは言えないこのお店がたまらなく好きになった。

それからというもの、週1~2回ぐらいのペースでこのお店に通った。トイレは外にあるので、鍵を借りて一度お店の外に出なければいけないことや、日本酒は剣菱しかないことも分かった。おでんの玉子は殻付きで煮るというのが不思議だったが、黒板には書いていないきゅうりと人参の古漬けを生姜と和えて出してくれるようにもなった。

何を頼んでも、どれだけ飲んでも、お会計をお願いするといつも2千円と言ってくるので申し訳なく思い、給料日は何も聞かずに1万円を置いてひっそり店を出たりした。

おばあちゃんはいつも色んな話をしてくれた。学芸大学駅のバス通りがまだ舗装されていない時代からここで働いていたこと。元々は自分のお店じゃなかったこと。お店が終わると銭湯へ行っていること。お店の二階に一人で住んでいるということ。雨漏りすること…。

色んなことで落ち込んでいた時も、ここに来ておばあちゃんの話しを聞いているだけで心が安らいだ。そんな空間だった。

ある日、おばあちゃんが寂しそうにつぶやいた。

「この店ね。来週で閉めるのよ」

そして戸棚の中から焼き鳥を盛っていた小皿を手に取り

「これ使ってくれる?」

と手渡してくれた。

残念とか悲しいという思いより先に『おばあちゃん。よく今まで頑張ったね。ご苦労さま』という気持ちで受け取った。

今でもその小皿は我が家にあり『世界一のお皿』というネーミングで使っている。そして、それを見るとおばあちゃんの顔を思い出し、ニラ玉が猛烈に食べたくなるのだ。

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