米国報道メディアの威力:Vol.1「調査報道」

 10年以上前に米国に住み始めて最も衝撃を受け、 いまだに感心し続けていることの一つは、報道メディアの幅の広さと奥の深さです。この先何回かに分けて、米国の報道について書こうと思います。第一回目は「調査報道」について。

 Investigative journalismといって、政府や企業の発表に頼らずに、当事者(被害者や一般人など力を持たない人)に密着して時間をかけて一つのテーマを取材し、点と点を繋ぐストーリーを浮かび上がらせるタイプの報道で、米国社会の移り変わりに大きな影響を与えてきました。報道の中で、breaking news(発表報道)と対称的なカテゴリーで、イメージ的にはNHKニュースとNHKスペシャルの違いに近いと思います。

 米国では以前から「ウォーターゲート事件」や「イラク戦争大量兵器でっちあげ事件」など、大統領を境地に陥れるほどの重要な調査報道で、映画化したものも多くあります。「権力者の責任を監視する」メディアの独立性は民主主義の根幹とされ、司法・立法・行政に続く実質的な第四権力として、文化的にも法律的にも非常に重視されています。

 シリコンバレーだと、Theranosの崩壊を先導したのはThe Wall Street Journalの調査報道。また、WSJの別の元記者が、Tech Crunchなど発表報道に偏っていたシリコンバレーのニュースに、調査報道を持ち込むべく2013年に立ち上げたのが、私もよく引用するThe Informationです。

 車社会であることと深く関係していると思いますが、ラジオ(およびポッドキャスト)の制作クオリティも非常に高く、調査報道の番組が多く存在します。個人的なお気に入りはThis American Life。軽いネタから重いネタまで毎週約1時間の番組で、今年はラジオ番組で初めてのピューリッツァー賞を受賞。私の渡米後数年間、ヒアリングの練習と、米国社会の理解に大いに役立ちました。今でも忘れない衝撃エピソードは"Harper High School"。シカゴの低所得地域の公立高校を記者が半年間密着取材し、貧困とギャングの抗争が高校生の暮らしを翻弄していく映画のような世界を、生々しく描いています。

 米国の調査報道が存在感を増している背景に、大きな3つの波があります。

 1つ目は、breaking newsがいつでもただで手に入るコモディティになったこと。これは日本でもインターネット・スマホ普及とともに起こっています。

 2つ目は、2016年大統領選に続く独裁的な執政と、メディアへの攻撃

 そして、3つめは今世紀頭から始まったメディアのコンソリデーション。調査報道は、かつては地方紙の御家芸(市議会員や市警察などの監視役として)だったのですが、とにかく金がかかるのと、過去20年で新聞の発行部数の低下により地方紙が次々と消えたことで、全国紙へのコンソリデーションが進んできました。そして、新聞の主戦場(差別化要因・金のかけどころ)は、breaking newsより大きい投資が必要な、調査報道へと移りました。

 この市場の転換をうまくナビゲートして最大手全国紙となったThe New York Timesは、圧倒的かつ世界的なリソースを誇り、調査報道の量産により、トランプ政権を困らせ続けています。トランプはNYTのことをいつも"The Failing New York Times"と呼びますが、2016年の大統領選前に約130万人だった有料購読者は、いまや500万人に迫る勢い(レシピやパズルの有料会員合わせると600万人以上)で、業績は好調のようです。

 NYTだけでなく、The Wall Street JournalやThe Washington Postなど調査報道に強い全国紙は、デジタル化による紙面購読者の減少から完全に復活し、購読者を伸ばし続けています。

 ちなみに米国の新聞ではbreaking newsとinvestigative reportingを扱うNews Section、社説や投稿を扱うOpinion Sectionはファイヤーウォールで分離されており、人事も別です。同じ新聞社内でも、News Sectionの記者が、自社のOpinion Sectionを取材対象とすることもあります。News Sectionは事実の報道が仕事ですが、Opinion Sectionは報道ではなく「意見」なので、新聞各社それぞれの、政治的な立場が滲み出た、というか全面に押し出された編集を行います。例えばNews Corp傘下のThe Wall Street Journalは、Opinionは保守的ですが、News Sectionは中立で、しばしばリベラルな記事も。The New York TimesはOpinionはかなりリベラル、Newsもリベラル寄り。

 調査報道は、複雑な事実を紐解いていくだけで、著者(記者)の意見を含めることはタブーなのですが、報道の切り口に記者の意見が自ずと読み取れます。Opinionでは、著者の意見が直接述べられていることが読者にとっても大前提なのに対して、調査報道は「事実」の報道でありながら、切り口によって読者に暗黙のメッセージを送ることができるので、信頼の高いメディアが使うと世論に大きな影響を与えることができます。

  メディアのバイアスを分析するAd Fonteという会社が定期的にチャートを発表していますが、これを見るとbreaking newsにフォーカスしたメディアに比べて、調査報道に強いメディアには、おのずと右か左かのバイアスがかかっていることがわかります。調査報道は、breaking newsでは伝えきれない深い示唆を提供してくれる一方で、読む側にも洞察や判断力を求められます。

 日本では、記者クラブの存在などにより、政治権力に対する調査報道が比較的行われにくく、リークやスクープなどbreaking newsに重点が置かれがちです。警察に批判的な調査報道記事が、不自然なほどに存在しないのも、メディアの独立性が実現できていない証拠でしょう。一方、最近週刊文春が調査報道に頑張っているのはみなさんご存知の通り。ワセダクロニクルという早稲田大学のジャーナリズム研究所を出自とするNGOに個人的には注目していますが、もっと商業的にも盛り上がってほしいと思っています。ビジネスチャンスかも。。

 今後は、「マードック帝国」「The New York Timesの何が凄いのか」「ラジオ/ポッドキャスト市場」あたりをテーマに追々まとめたいと思います。

 

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