マガジンのカバー画像

思わず引き込まれた話のまとめ

148
ついつい語り口に引き込まれて最後まで読んで感服した話のまとめ。
運営しているクリエイター

記事一覧

淡雪日記

2月某日 湯あがり、散歩に行く。 朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。 3月某日 絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。 ガラスでできた、小枝のかたちのカトラリーレスト。お箸を置いても。ペンや、絵筆でも。 大切なものをひととき休ませる、とまり木になってくれたら。 3月某日 ここにいつも、ジョウビタキがいるんですよ、と見知らぬおじいさんに教えてもらった場所に、今日も鳥はいなかった。幻のジョウビタキのすがたを想う。おじいさんのほうが幻だったのかもしれない。

絵画 『View』

星は、しずかに瞬いていますか。 海は、やさしく凪いでいますか。 あなたの眼にうつる景色は、 あなただけのもの。

いつか思い出したいワンシーン

ふと、「百万円と苦虫女」という映画を久々に観たくなった。 映画全体というよりも、あのワンシーンが観たいな、というふうに思った。 これまで色んな映画やドラマを観てきて、好きなワンシーンはたくさんあるけれど、 だいたい共通していることに気付いた。 誰かと心が通い合ったり、分かり合えたりするシーンが好きらしい。 きっとそういう瞬間を 私は求めているんだろうな。 気持ちを分かってもらえるのって、嬉しい。 あまり人には話さなかったことを、私にだけ特別に話してくれたときなども嬉し

つれづれ雑記*或る名コーチ、の話*

 小学生の頃、バレーボールをしていた。  当時は、決して好きでやっていたわけではない。どちらかというと嫌いだった。    なぜ、好きでもないバレーボールをしていたかというと、それには今では何だかよくわからない事情があった。  私が小学生時代に住んでいた地域は、昔からの農村と新興住宅地が混在していた。  広い小学校の学区内には、2つか3つの町と、幾つもの、うーん、町名以下は何と呼ぶのかな、字(あざ)とでも呼ぶのだろうか、そういう地域がたくさんあった。  もちろん、今と違って児

永福町で過ごした日々の記憶

今から約10年前、東急井の頭線の永福町駅から徒歩数分の場所で一人暮らしをしていたことがある。 渋谷にある広告代理店に勤務していた二十代後半の頃のことだ。その前は池袋に住んでいたが、通勤の利便性となんとなく縁起のいい名前の駅名に惹かれてその地を引っ越し先に選んだ。 駅前の商店街を抜けた先には「東京のへそ」という別名を持つらしい大宮八幡宮、その奥には和田堀公園があり時々健康のためにランニングをしたり休日にコーヒーとパンを持って散歩に出かけたりもしていた。言わずと知れたグルメの

父の就活

最近父が就活をしていると、母からの連絡で知った。 「いい職場が見つかるといいね」と返信をしながら、娘としては、内心複雑な気持ちを抱いている。 父は3年前に、長年勤めていた会社を定年退職した。定年まで勤め上げたとはいっても、父はその仕事が好きなわけではなかった。父がそこで働いていたのは生活のため。私たち家族のためだった。 コンクリート工場の作業員をしていた父は、汚い・きつい・危険の3Kが揃った仕事だといつも言っていた。 給料も高くはなかった。 退職金も僅かにしか出なかっ

大叔母の品格

実家に帰省していた夜、「明日、初江おばさん(仮名)の家に一緒に行かないか」と父から誘われた。 初江おばさんは、父にとっての叔母。私にとっては大叔母に当たる。 私がいいよ、と答えると、父は少しほっとしたように見えた。 我が家は、親戚との付き合いが希薄だ。 特に父方の親戚とは、ほとんど連絡を取り合っていない。 もともとお盆や法事の際に顔を合わせるくらいだったが、私の祖父母が亡くなってから、さらに顔を合わせることが減った。 伯父が永代供養をして、墓をなくしてから、墓参りに行

映画とファッション|衣装からみた映画「ゴールデンカムイ」

映画「ゴールデンカムイ」、見ました? めっちゃよかったですよね。ゾクゾクしました。 登場人物が現れるたび「うわー、土方歳三きたー!」とかひとりでキャーキャー思いながら観てました。 さまざまな角度から映画「ゴールデンカムイ」については語られていると思いますが、ドレスをつくる仕事をしているわたしはやはり、「衣装」の面から映画「ゴールデンカムイ」のすごさをみてみたいと思います。 また、博物館学芸員資格を学ぶわたしは、今までゴールデンカムイやアイヌに関連するさまざまな博物館展示

こぼれる

春。梅の花を見ている。 ほころぶ。こぼれる。梅の花にそえられる言葉。 長く保ってきたものがあふれてゆくような、こぼれるイメージの近くで梅の花は咲く。 こぼれる、というと思い出すことがある。 長い小説を書いていたころ、文章のことをひとつひとつ教えてくれた人がいて、私が書くものをいつも読んでくれた。書ききることができなくて、指がとまってしまう。その書きかけの小説について話していたとき、その人が言った。  水を運ぶというのは、むずかしいんです。どうしたってこぼれてしまう。

大人になった私が、子供の頃の私を救いに行く

つい最近、嬉し泣きをした。 止めようとしても止まらない。嗚咽するくらい泣いた。きっとこの涙は、子供の頃の私の涙だと思う。 個人的に2023年は奇跡の一年だった。 ずっと蓋をしてきた自分の過去と、自然に向き合う流れが次々と起こった感じ。 大人になってから出会った人達には、ほぼ誰にも話したことがないし、 話すつもりもなかったことなんだけど 私は4歳くらいから12年間くらい、 家族以外の人の前では声が出せなかった。 「場面緘黙症」という精神疾患(不安症の一種)で、 ひとことで

かすかな光と、日々の言葉

冬になると、すこし写真のトーンが変わる。 弱まる光にそっと抱かれたような感じになる。 冬の光は、とてもやさしい。 弱さ、というやさしさを思う。 ◯ 変わろうと思った今年だった。 ちがう仕事をはじめ、新しい人たちと出逢い、いままで読まなかった本もたくさん読んだ。 何かに近づき、そのぶん何かから離れ、でもおだやかに、つつましく生活ができて、よかったと思う。 別れも、失ったものもたくさんあったけれど、距離や不在が培ってくれるものもたくさんあった。大切に愛しさを育んでいる気

旅とブンガク|津軽鉄道に飛び乗って太宰治のふるさと金木町へ

「来ちゃった」 恋しい人のもとへ押しかけて来たヒロインのような気持ちで、わたしは朝早く金木駅にいた。 「ほんとに来ちゃったよ」 わたしは宿泊先の五所川原から津軽鉄道の始発に飛び乗って、太宰治のふるさと金木町に来たのだった。 わたしが五所川原に来た理由青森県の五所川原市に来たのは、仕事のためだった。「フジドリームエアラインズ青森ー神戸便の利便性を活かした青森・神戸のビジネス交流」という事業の一環で、青森県の五所川原市と青森市をめぐるビジネスツアーにご招待いただいたのだ。

スペイン語修行記 en グアテマラ

スペイン語の勉強をやると決めてやってきた町、グアテマラのアンティグア。 マンツーマンで1日4時間、週5日間を1か月、スペイン語をみっちり教えてもらう。それがこの町でやりたいことだった。 アンティグアに乗り込む前から気合いは入っていた。これから久しぶりに勉強をする学生になれることに、興奮すらしていたかも知れない。 深夜にグアテマラ空港に着く便だったので、不安を減らすために、アンティグアの日本人宿の送迎サービスをお願いした。空港泊をしても良かったが、椅子に手すりがあるタイプの空

ヴェネツィア・スナップ【世界多分一周旅イタリア】

ヴェネツィアに到着した時は長距離移動続きで疲れ果てていたので、4人用のドミトリー部屋をたまたま1人っきりで独占できたことに感謝した。 次の日も昼までベッドで過ごし、大量に洗濯をして(手洗いで手が擦り切れそうなくらいの量)、それを部屋中に干して、洗濯物を見ながらバナナとクロワッサンを食べて、Tverで日本のテレビを見たりした。 かの有名なイタリアのヴェネツィアに来ているというのに、一向に出かける気配のない私。何となく気乗りしないのは駆け抜け疲れなのだろうか。 今日も気温30℃