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水平線が揺れる街より - 1

 道路と海の間にある水平線が揺れていた。

 ちょうど海にほど近い場所を、立体的なレールに沿って電車が行き来している。おそらくよほど有名な場所なのだろう、中国語をしゃべる団体客が物珍し気に写真を撮っている。カタン、と静かに動き出し、やがて視界から遠ざかっていく。ひとたび目線をずらすと、そこには昔ながらの小さな畑と、妙にレトロ感あふれる民家が連なっていた。

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 日本に一番近いとされる韓国、釜山。私はこの街に前々からどうしても行きたいと願っていた。それは、去年の9月くらいからはまった韓国ドラマの影響が大きい。なぜか、これまであまり見ることをしてこなかったのだが、何気なく観た韓国映画を皮切りにして、ドボンと分かりやすく沼にはまってしまったのである。

 これまでに10作品近く見たので、ぜひその考察はまた別に行うとして、その舞台としてたびたび登場したのが釜山の街だった。穏やかな時間が流れているその場所で、地元グルメを楽しみながらのんびり過ごしたかった。少し、今いる場所から離れたくなった。違う場所の、できることなら海の近い場所を切望していた。

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 宿泊先として選んだのは、海雲台ヘウンデというところだった。近くにちょっとした市場があり、昼も夜もたいそうな賑わい。でも、それほど人の喧騒にあふれているわけでもなくちょうどよい雰囲気がまた私のツボにはまった。目の前には海を臨むことができ、空気が程よく緩んでいる。

 今回は、3泊4日。最終日は移動しかできないので、滞在できる日は実質3日だった。まず到着して初日、これは是非に行かねばならないと思っていたのが、ホテルから徒歩30分くらいの場所にある「極東テジクッパ」という場所である。クッパとはご存じの方もいるかと思うが、日本でいうところの雑炊みたいなものである。(二日酔いでフラフラしている御仁には寄り添うような優しさがある、とすこぶる評判らしい)

 テジクッパは、特に釜山界隈における郷土料理であり、豚肉を用いたクッパのことを指す。実はお店自体は特に事前に調べていったわけでもなく、なんとなーくGoogle先生に従って探したのだが、これは個人的に大正解だったと思う。

 注文すると、いくつかの小皿が運ばれてくる。

 テジクッパの特徴は、最初にニラを入れるところらしい(これも韓ドラから学んだ)。最初はスープが白濁しているのだが、そこに自分好みで唐辛子ペーストを入れると、赤く染まっていく。もし塩気が足りないようであれば、しょっぱく味付けられた小エビを入れる。あとは米みそを入れても風味が変わる。スープにもだしがすっかり溶け込んでおり、一口すするごとにやさしい味わいが体の内部までしみこんでいく。

意外と量が多くてすっかり満腹

 とにかく箸が止まらない。時々箸休めに、キムチをつつく。底に沈んでいるご飯にはしっかりと味がしみ込んでいる。釜山へ来る前、せわしなく働いていた時の自分はもうすっかり消え去っていた。ただ目の前の食べ物にすべての神経を集中させる。豚肉の素朴な味わいが後を引いた。

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 そのあと、お店の周りをゆっくりと歩きつつ写真を撮る。若い人たちが楽しそうに写真を撮り、そして砂浜にはリラックスした様子の老夫婦が沈む夕日を眺めている。すぐそばでは、幾羽ものカモメが涼し気に体を揺らせていた。私は満ち足りた様子の人たちを眺めて、自分自身もどこか満ち足りた気持ちになっていた。

 そして宿に戻った後は、ソジュ(韓国版焼酎みたいなもの)を飲みながら韓国ドラマを見る。これはちょっと自分の中でやりたかったことなので、いい感じにほろ酔った。その間、Instagramを通じて昔の友人から連絡が来ていた。どうやら到着した時にストーリーを珍しく上げたのだが、それを見て連絡をしてきたらしい。留学時代に仲の良かった子で、実は密かに会いたいと思っていた人だった。たぶん、これも何かの導きなのではないかと思ってしまう。

 この時、このタイミングで。

 彼女からはポンポン、と小気味よく返信が来る。すぐに彼女とは次の日にお昼ご飯を食べることになった。急な話だから、仕事を抜け出してきてくれるらしい。何が食べたい、と言われたので私は真っ先にミルミョン、と言った。ミルミョンとは、冷麺のことでこれも釜山の名物なのである。

 外をそっと覗いてみると、遠くからズンズンと聞きなれない音楽が聞こえてくる。若者たちがよろしくやっているらしい。側から見ると私の予約したホテルの近くは、いつの間にか小さなネオンで点っていた。行く末を案ずることもなく、楽しげにポウッと浮かび上がっているではないか。

 思いの外、ソジュは度数が高い。すっかり頭の片側は酔いによって痺れていた。まさか、会えるなんて思っていなかった。微かに、胸が疼く。かつて留学していた時に、彼女と共に過ごした時間を胸に秘めて、私はそっと布団を被り、やがて意識が遠のいた。

 淡く、朧げながらも、瞼の裏にひっそりと残るような、眩い夜の闇が広がっている。<続く>

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