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成功者の努力は量・カーネルサンダースの場合


今日は今年最後のクリスマス。
皆様はどう過ごしたでしょうか?

皆様の中には半額ケーキを求めて町を彷徨った人もいるかと思います。さて、そんなクリスマスに食べる物といったらチキンですよね。

実はクリスマスにチキンを食べるのは日本だけの風習だったりします。

海外では、クリスマスに七面鳥が主流ですが、日本では手に入りにくいのが現状です。しかも高い。
そこで、1974年にケンタッキーは

クリスマスにはケンタッキー」

というキャンペーンを展開し、フライドチキンがクリスマスの定番料理として広まり、さらにチキンのローストもクリスマス料理として定着したのでした。

ちなみにケンタッキーの去年の12月23日(金)から25日(日)の売上は3日間で合計64億円でした。
これだけでも日本に定着したか分かるかと思います。

さて、そのケンタッキーチキンの創業者は、カーネルサンダース。
お店の前に立っている白い服のおじいさんです。

彼が自身の店・サンダースカフェで売っていたフライドチキンをフランチャイズで調理法を教えて売るビジネスを始めたのが65歳。

65歳で始めたこのビジネスは大成功。

10年後には、店舗数は600店舗にまで拡大しました。

そして、拡大していくビジネスに「自分では手に負えない」と思ったカーネルは、後にケンタッキー州知事となるジョン・ブラウン・ジュニアに

売却額が200万ドル、また彼の一生涯の報酬として年間4万ドルと今後も彼がビジネスに関わっていく という内容で売却したのでした。

こうして見ると65歳で起業して成功したラッキーな人というイメージがありますが、ケンタッキーで成功するまで、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々とし、ガソリンスタンド経営するも倒産させていたりもします。

そもそ、彼が65歳で起業したのも、彼が経営していたサンダースカフェが国道25号線沿いにあったのですが、ハイウェイ計画で迂回路が建設され、さらに国道25号線に変わるハイウェイの建設計画が発表されたからなのです。

迂回路が建設され売上が下がり新しいハイウェイができたらどうなるかは一目瞭然。
カーネルは店を売却して年金で余生を過ごそうと考えたのですが、年金が月に105ドルしかもらえないと知り、何かの仕事をしなければならなかったからなのです。

こうしてみると成功するまでの道のりには数多くの失敗があった事が分かります。
また、ケンタッキーで成功したのも、全国を回ってレストランやホテルを訪ね、自らフライドチキンを調理して食べてもらったり、レシピを売り込む努力の結果です。

カーネル・サンダースの成功は、努力の量の結果だというのが分かると思います。
成功を収めるために、カーネルのように、自分の目標に向かって、あきらめずに努力を続けていきたいですね。

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