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自分らしく生きたい、と思うあなたへ

「自分らしく生きたい」

「自分らしく生きたほうがいい」

「自分らしく生きよう」

”自分らしさ”という言葉は、ぼくらにとって、追い求めるべき理想みたいになっている気がする。

そういう気持ちもわからなくもなくて、たしかにきっと自分らしいほうがいい。他人らしいとか、あの人っぽいより、ありのままの自分でいたい。

でも、そのらしさを探したり求めることが、なんだか自分で自分を苦しめてはいないだろうか、と思う。

しんどくなって、こんなもんじゃないって、これは自分じゃないって、不安とか焦りとか、そういうストレスになってしまっているんじゃないかな、と思う。

だから、思う。そんなものはいらないんじゃないかなと。

そんなものは、いらないよ

自分らしさとか、探さない、求めない。自分は自分しかいないんだから、あなたはすでに自分らしい。悩んでもいい。たくさんたくさん悩んでいいから、焦らない、迷わない。だれかのいう、よくわからない自分らしさを見ようとしない。自分はずっとここにあるんだから。

「自分らしさ」を探す必要はない。

僕はそう断言しよう。もちろん「自分らしさ」を意識的に探求することを否定しようとは思わない。

自分らしさがあって、それを追い求めてる必要性があることをうたう人がいるのも間違ってはいないと思うから。

それでも、僕は必要ないと思う。

だって、僕らはそもそも、それぞれすでにその存在そのものが「自分らしい」。

自分以外に、自分はいなくて。僕は僕以外いないから、あなたはたしかにあなた以外にいない。

あなたはもうすでに、というか生まれてこのかたあなたらしいよ

なんか、そうらしいよ。

自分は自分しかいないのに、僕らはいつからか、自分を自分らしくないと思って、 「自分らしさ」を探してしまう。

いつからか、自分が自分ではなくなってしまったかのように、自分らしいいわゆる理想の自分を、どこかの誰かに重ね合わせてしまうらしい。

そうらしいね。

自分らしさ、がしばしば誰かの言っていた「いい人」とか、「そう在ったほうがいい」という周りにいる人の声に影響を受けている。

でも本来、自分らしさって他人と比べるものじゃなくて。自分自身の中にある。自分がどう生きたいかにある。

僕たちは、それぞれに、それぞれが自分で、自分しか自分はいないんだよ。

だから自分らしさを見つけるために頑張らなくていい。

ただそのままの自分を見つめればいいんだ。

どんな自分も自分だから

何度目でもいうけれど、「いい自分」が本当の自分ではなくて、調子がよくなかったり、だらけてしまったり、できないことがたくさんある自分も、どんな自分も自分。いろんな自分がいることを知って、確かにいると認めて、ありのまま全部受け入れる。ちょっとずつでいいから馴染ませていく。そこから。

日常の中で僕たちは悩んだり、迷ったりする。それはきっと誰にでもある。

そんな「つらい」とか「しんどい」という感情も経験も、ぜんぶ自分らしいんだ。

誰かを羨むことも、目標にすることも間違っちゃいない。それで頑張れるなら、それもいいと思う。

それでも誰かの「自分らしさ」に自分を当てはめてしまうことで、本当は悩まなくていいことで悩んで、迷わなくていいことで迷ってしまっている。

本当は悩んだっていいし、迷ったっていい。

自分は自分だから。他の誰でもなく、どんな自分も、いいときも悪いときもあるのが自分なんだから。

だから、自分がどのようなときに幸せを感じるのか。何を本当に大事だと思うか。

それを見つめてみる。よーくみてみる。自分のことを、自分の目で。自分の心で。

それが「自分らしさ」なんじゃないかなと。

僕は自分らしさという言葉が嫌いだ、でもちゃんと自分らしいんだ


嫌いだ。

自分らしいとか、自分らしさとか。

そんなものを探させようとする人も、そんな見えないよくわからないものを追い求めていて、苦しんで、辛くなってしまっている人も。

そんなもの、見ようとしなくていいと思ってしまう。

大丈夫だから。

もうずっと自分らしいから。

悩んでいい、迷っていい。悩むのも、迷うのも自分らしさだから。人それぞれに悩み方があって、迷い方があるはずだから。

すべては「どう生きたいか?」だから。

自分らしさを探すな。

ただありのままの自分を見つめれば、それでいいよ。


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