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だめだこりゃ/いかりや長介

志村けんさんが亡くなられた後、金スマで志村さんの特集を見て
志村さんといかりや長介さんの関係性を知った。

私はドリフ世代ではないから
全員集合はリアルタイムで見ていないが
利用者の方がドリフが好きで
仕事の関係でみんなで全員集合を見たことはあった。
面白くて爆笑したことは覚えている。

 
志村さんが亡くなった後
志村さんの本を読みたくなったが、みんな考えることは同じな上、コロナ騒動が重なり
どうやら私の手元に本が届くのはまだまだ先らしい。

だが、いかりや長介さんのこの文庫は偶然早々と買えたのでこちらを読んだ。

いかりや長介さんの自伝である。

 
 
私はいかりや長介さんのことをあまり知らなかったので
読んでいて発見はたくさんあった。

 
生まれは東京だが、戦争が始まり、小学生で静岡に家族みんなで移り住んだこと(戦争を知っている世代なのか…)。
母親と兄弟は早くに亡くなったこと。
長男であり、父親は絶対的な存在であったこと。
戦後、楽しみは映画であったこと。娯楽に飢えていて、面白い映画を見ては笑って過ごしたこと。

静岡で就職しても、東京に戻りたい気持ちがあったこと。
女性にモテたい気持ちでバンドを始めたこと。
バンドをいくつか転々とし、ドリフの一員に誘われたこと(リーダーっていっても立ち上げたわけではないのね!?)。

 
一度に4人メンバーが脱退し、加藤茶さんといかりや長介さんしかドリフにいなくなってしまい
仕事の関係で15日以内に新規メンバーを入れなくてはいけなくなってしまったこと(!?)。
急遽あちこちから声をかけたのが仲本工事さん、荒井注さん、高木ブーさんであったこと。
そんなわけで楽器の腕やネタ作りが弱いグループであったこと。
(ただ、後から入った志村けんさんは笑いに貪欲でネタ作りができたこと。) ←これは金スマでやっていたので知っていた。
 
 
「8時だヨ!全員集合!」では生放送・ネタ作り・ウケなければ後がない・ドリフのリーダーとして
プレッシャーがひどかったこと。

俳優を人からすすめられてやってみたら
演技のいろはが分からず苦戦はしたが
一つの作品をみんなで作り上げるという仕組みや監督に言われた通りのことをやればいい
ということが

とても楽だったこと。

 
 
いかりや長介さんは常に長男としてリーダーとして責任をとらなければいけないポジションだった。
望んだわけでも性に合っていたわけでもないらしかった。

想像以上に社会人だなぁと思った。
成り行きや人手不足からドリフメンバーが決まり
望んだわけではなく、ビートルズ前座や全員集合生放送に出ることになり
それが結果的には栄誉であろうと
視聴率50%をこえようと
仕事である以上、緊張感は絶えずあるわけだ。

 
いかりや長介さんが俳優の道にすすんだ時
そんな穏やかさを感じていたとは思わなかった。

 
  
私が小さい頃、周りではこんなことを言ったりした。

「最初はグー またまたグー いかりや長介 頭はパー 正義は勝つ ジャンケンポンッ」

多分よく分からず言っていたけど
きっとドリフなんだろうな。

私がいかりや長介さんを知ったのはこれが初めてだった。
   
 
 
いかりや長介さんは「自分(ドリフ)は二流、三流、四流」だと自伝で書き続けた。
その謙虚さがドリフのリーダーとして上手く機能し
志村けんさんをあそこまでに育て上げたのだろう。


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