再生産をめぐる悪夢:チャペック「ロボット」

 「ロボット」(岩波文庫版)を読んだ。以下、簡単な覚書。

 一読して驚いたのは、戯曲全体が生産/生殖にまつわる話として成立しているところ。物語は主人公のヘレナがロボット製造工場(R.U.R.)を訪れるところから始まるのだが、ヘレナは男ロボットと女ロボットの間に恋愛感情が発生しないことを聞き、慄く。

ヘレナ おお、それは——おそろしいわ!
ドミン なぜです?
ヘレナ だって——それは——自然じゃないわ! そのことを——きらったらいいのか——うらやんだらいいのか——分かりもしないわ、それともきっと——
ドミン ——同情したらいいのか。
(p.54)

 このように、ヘレナはかなり強く異性愛規範を内在化している人物として描かれる。
 幕が変わり、ヘレナがドミンの妻に収まったのちは、ヘレナは自らを含む人類に子供が生まれないことに懊悩する。のみならず、ヘレナの周辺にいる人々の言動も、ヘレナを脅かす。
 ロボット女のヘレナ(主人公とは別人。ロボット)が子を成したり恋をしたりしないことを嘆くガル博士は、ロボット女のヘレナを「不具者」と罵り(p.92)、乳母のナーナは「もう十年も主婦だなんて信じられない」「小さな子供のよう」と陰でヘレナを罵る(p.96)。
 このように、ヘレナにとってロボットの悪夢は再生産規範の悪夢でもある。
 再生産規範と現実のはざまで追い詰められたヘレナは、とうとうその原因と思われるロボット生産の秘術が記された手稿を燃やしてしまう。
 物語の中盤、自らの増殖を最大の目的とする新たなロボットの登場により、R.U.R.一行は窮地に追い込まれる。その際、一行の最大の切り札として扱われるのは例の「手稿」であり、その取り扱いをめぐる決定フローから丁重にヘレナは排除されている。
 こういう具合で、多分フェミニスト批評の適切な訓練を受けている人であればかなり面白く読めそうな戯曲だった。建築士の思わせぶりな口ぶりであるとか、色々と読み落としているポイントも明らかに多い。エーデルマンのno futureと合わせて読むと色々言えるのではないかと思われるけれど、まだ読んでいないのでそのうち…

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