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イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

ナポリから夜行列車でブリンディジ, ブリンディジでフェリーに乗って, ギリシャ側パトラへ

1983年4月26日に横浜港をフェリーで発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅(完全網羅の一周ではない一方でエジプトにも行ったからアフリカ大陸その北東の端にも8泊9日), イタリアは12番目の旅国(造語, 訪問国とほぼ同意)で7月1日から9泊10日, ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマとヴァチカン市国(これって13番目の旅国だなぁ, ヴァチカンは13, omg, Oh My いない God, 笑), 

カトリックの総本山ヴァチカンのヴァチカン市国は13番!(ローマ part II とくっつけたから note タイトルのカヴァーはローマのコロッセオの方だけどね)

しつこくもういっちょ, ヴァチカンのヴァチカン市国は13番!

話を戻して ... そして4泊5日のローマから, ナポリに移動, ナポリから日帰りの古代都市「ポンペイ」遺跡への旅も楽しみつつ, 

そして心底「もっと居たい」と思ったナポリを惜しみながら,

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1983年7月9日, ナポリを惜しみ, イタリアを惜しみ,

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BGM ♫

1983年7月9日の話に戻って(笑),

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こうして 1983年7月9日, 同年4月26日に横浜港をフェリーで発ってユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行を始めた, 彼方(あちら)側から見たら「極東」の島国「日本」出身, 22歳のバックパッカーは, イタリアの匂いと香りがぷんぷんするナポリの街を夜行列車で発ち, アドリア海に面したイタリアの港湾都市ブリンディジに向かったのだった(上の上の旅日記 殴り書きメモの終わりの方にあるように「ナポリ, 時間ゆるせば もっといたいところだ。もっと早く来るべきだった」, しかしユーレイル・パス2ヶ月有効を気にしつつ, 中東・アジア諸国の旅への想いなどあって, ここでは急いでしまった!)。

ブリンディジには 翌7月10日朝着, 同日夜, フェリーでブリンディジを発ち, ギリシャ のペロポネソス半島北西部にある港湾都市パトラ に向かった(ギリシャ・パトラに着いたのは翌7月11日の昼過ぎ)。

自分が当時撮った写真ではないけれど, ブリンディジも綺麗な街ではあるね。

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エメラルドの海, こんな感じだったかな。

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さてさて, 今日 2021年7月10日は 38年前の今日 1983年7月10日イタリア から ギリシャ へと 海を渡った 記念で, 

1983年4月26日に横浜港で当時の ソ連・ナホトカ行きフェリーに乗って 海を渡って 始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, その日本「出国」以前から振り返り!

旅のテーマ・ソング, "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳

"Every Picture Tells a Story" は 1971年5月28日にリリースされた Rod Stewart 3枚目のアルバムのタイトル・トラックで, LP の A面 の 1曲目。このアルバムは当時イギリスでもアメリカでもチャート 1位を記録し, B面 2曲目の "Maggie May" も両国それぞれのシングル・チャートで 1位になったという大ヒット作だった。

この歌(Rod Stewart と Ronnie Wood の共作), 音, メロディだけじゃなくて, 歌詞も素晴らしい。筆者が若いころ旅に出たかった気分の「おおよそ」のことなら, この歌の中に見事に描かれている。

筆者は特別劣等感に苛まれていたのではなかったし, 親父に勧められたのでもなかったが, でも自分の親父もこの歌の歌詞の中の親父みたいな人で, ああいう類のことを言う人だった, 「だった」と言っても, 92歳の今現在も健在・元気!

そういう「訳」(ワケ)で, この歌とその歌詞と歌詞の和訳(今年 2月4日に訳した, 本章の最後にリンク)を今, あらためてここに載せるのだ ♫

Every Picture Tells a Story 〜 the title track on the third album by Rod Stewart, released on May 28, 1971

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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しばらくの間 おれってダメな奴かもって思ってた
鏡の前に立って
何百回と髪をとかしても(*1)
結局は代わり映えしない俺がそこにいるだけ

親父がおれに言ったのさ、「息子よ、世の中を見てくるがいい
家を出て行ったって咎めたりしない
だけど覚えておけ、現を抜かすんじゃないぞ
お前の金を掠め取るような女にはな」(*2)
で、おれは出かけたってわけさ

パリは身を隠せる場所だった
周りに馴染めないって思ったらね
だけどフランスの警察は平和をくれなかったのさ
連中はおれのことを汚らしい奴だって言うんだ
セーヌの左岸に降りて物思いに耽ってて(*3)
押し寄せてきた群衆にノックアウトされたら
平和的な暴動を扇動したって罪で逮捕されちまった
おれはその時ほんとはお茶一杯飲みたかっただけだぜ
なのに責任取らされたってわけさ、ったく
その後も旅を続けたよ

ローマに行ったけど何か物足りなかった
若い奴が生きてくための何かがね
おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった(*4)
まさに運も尽きて落ち目って時にね
ほんとに破れかぶれ、やけになって
観光客用の見せ物みたいになってた
それで思ったよ、ここから出なくちゃってね
バチカンに行ったって認められるわけないし
そんな気もなかったさ、あるわけない

東に向かって出かけたぜ、聞いてくれよ
北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ(*5)
こっちに戻る船の中のことさ
切れ長の目の女と恋に落ちたってわけ
東洋の月明かりに感謝しなくちゃね
上海のリルは決してピルを使わない
ピルなんて自然じゃないわよって言うんだ
で、おれを甲板に連れて行って首に歯を当ててきたよ(*6)
なんてこった、彼女と出会えたなんて上出来だよ
ほんとさ、最高の気分だったよ
ちょっと待ってくれ

おれはいま固く信じてるよ、結局大事なのは自分だってことさ
マジで思ったんだ、おれはほんとに完璧だってね
人間、どんだけおかしくなれるのかな
おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ(*7)
ああいう女といると自由な気分でいられないんだ(*8)
だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ(*9)
彼女に出会ったことは神にでも感謝しなくちゃな
おれが伝えられる彼らの言葉の中に(*10)
旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても(*11)
彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな(*12)
そんなの散々言われてきて手垢まみれだろうよ
どんな悪い状況でも最善を尽くす、でもって笑い飛ばすんだな
とにかくこんなとこまで来なくてもいいよ

覚えおくことさ、どう見えるかで何が起きたのか分かるんだ、だろ?
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
百聞は一見にしかずって言うよな
百聞は一見にしかずってね
百聞は一見にしかずって ...

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注釈 *1~ 12 はこの歌の歌詞和訳 既出 note の中。

1979年, 大学入学で札幌へ, その年の夏辺りには既に「インド・ネパール旅の絵本」を買って読んでいた

これは大学3年の時, とある同人誌の1982年1月号(手前は前年の号)。もちろんこんな委員会は外界には実在せず, この note 筆者の頭の中にだけ存在していた(でも堂々と名刺広告出稿してる, 笑)。委員会のメンバーは委員長 兼 平委員の自分一人だけ。

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1981-82年ごろの話, ただし, 旅そのもののことは殆ど書いてない, 殆ど書いてなかった(と思う!)。

旅立つ前と後に読んだ本, そして 旅立つ前に聴いていた曲 ♫

1983年4月26日, 横浜港より出発

ソヴィエト社会主義共和国連邦

ナホトカ・ハバロフスク

シベリア鉄道の旅, その前半

イルクーツク

BGM: 列車が絡む歌の数々, そして, シベリア鉄道の列車内で酔いどれロシア人たちと一緒に歌ったロシア民謡 ♫

モスクワ 〜 イルクーツクからの再びのシベリア鉄道の旅で着いた「ソヴィエト社会主義共和国連邦」の首都

番外編: ビートルズ "Back in the U.S.S.R." を聴いて ソ連 の歴史を齧った後 〜 パロられたチャック・ベリーの "Back in the U.S.A." と ビーチ・ボーイズ の "California Girls" も聴いてしまう ♫

フィンランド

いきなりの番外編: 前日までいた当時の「ソ連」って「ヨーロッパ」らしくなかったから, ここから先がしばらく「ヨーロッパ」

ヘルシンキ

スウェーデン

ストックホルム

ノルウェー

オスロ

デンマーク

コペンハーゲン

Tom Traubert's Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen) 〜 the opening track on Tom Waits' third album "Small Change", released on September 21, 1976 on Asylum Records

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

.... ♫ ♫ ♫ ....

ただの「放浪」もどきながら, 兎にも角にも「放浪」つながり。

「放浪」もどき, まだ序盤だった ♫

西ドイツ(当時の「ドイツ連邦共和国」, ただし現在のドイツも同じ名称), および当時はアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった 西ベルリン と 東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)の首都だった東ベルリン

ハンブルク

ボン

トリーア

アメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった, 西ベルリン

東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)の首都だった, 東ベルリン

ケルン

フランス

パリ

ヴェルサイユ

パリ

番外編: 刺激的なフランス旅行 1983, 愉快なフランス旅行 1988 〜 「退屈なフランス旅行」1997 ♫

スイス

ジュネーヴ

ツェルマット

西ドイツ(「ドイツ連邦共和国」, 現在のドイツも同じ名称), に再び

ハイデルベルク

ライン下りして 「ローレライ」♫

ノイシュヴァンシュタイン城

ダッハウ強制収容所(ナチス・ドイツによる最初の強制収容所)跡, および記念館

オーストリア

ウィーン

ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国

ベオグラード(当時の「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」の首都であり連邦に属する6つの国家のうちの一つ「セルビア社会主義共和国」の首都, 現在はセルビアつまり「セルビア共和国」の首都)

オーストリア, に再び

ウィーン

イタリア, および ヴァチカン市国

ヴェネツィア

フィレンツェ

ローマ

ローマ, および ヴァチカン市国

番外編: フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」(かよ, 嘆息)

古代都市「ポンペイ」の遺跡 〜 ナポリから日帰りで「古代への時間旅行」

ナポリ

付録 1: 1983年911, 2001年911

1983年の 911 にシリアの「パルミラ」遺跡にいたことを想い出しつつ, 2001年のアメリカ「合州国」同時多発テロを振り返る

上の note の続編 2つ(1983年秋, シリアの後, ヨルダンやパレスチナ/イスラエルも旅した)

付録 2: 1983年911, 23歳の誕生日は シリア・パルミラ

シリア, パルミラの遺跡(ローマ帝国時代の都市遺跡)で迎えた, 23歳の誕生日, 1983年9月11日。

付録 3: 1983-84年の旅のダイジェスト版「の・ようなもの」

1983-84年の旅のダイジェスト版「の・ようなもの」(全体像を把握できるようなものではないので「の・ようなもの」(1981年公開の邦画タイトル拝借) 〜 題して, 海外「放浪」蔵出し写真集 & "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳つき] 

Bonus track & note Magazine

その他の関連 note も加えてる, 「恐れ多くも」ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」, "Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?", わけ分からん原語・フランス語では "D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?" の絵をカヴァーにしちまった note マガジン ♫

But Talking Heads says,

Well, we know where we're going, but we don't know where we've been. And we know what we're knowing, but we can't say what we've seen. And we're not little children, and we know what we want, and the future is certain. Give us time to work it out ♫


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