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信じるということ

年中の頃から5年間にわたりピアノを習い続けている長女。
コロナ禍で対面レッスンが途絶えたり、発表会が中止になったりしてすっかりピアノへのモチベーションがなくなっていました。

彼女は今別のことに注力しているから、「ピアノはもうやりたくなかったら辞めていいよ」と伝えていました。

ちょっとしか練習しない割にはそこそこ弾けるようになっていたけれど、彼女の情熱具合を見ると「ピアニストになるわけではないだろうし」というのは、本人も先生も私も感じていたことでした。

「何かに情熱を抱き、その状態を保ち続ける」というのは本当に容易なことではないよなぁと日々感じます。

対面で先生に会えると「またやろう」と思えるけれど、そうでなければモチベーションが保てない。それは彼女の「好き」がピアノではなかったというだけだから、辞め時なんじゃないかなと私は思っていたし、彼女自身もそういう気持ちが半分はあったからこそなかなか判断を下せずにいました。

今日、4ヵ月ぶりに先生に対面し、正直な思いを伝えました。

「5年間毎週見てきたから、先生も〇〇ちゃんの気持ちや状態がわかるよ。休会でも退会でもいいし、隔週通うでも今まで通り毎週通うでもどれでもいいよ」と言う先生に、ぽろぽろ涙して考え込む長女に、「どうしたい?」と聞くのも忍びなかったけれど、ここまで続けてきたからこそ自分で決めることが一番大事だと思い、先生と私は1時間以上彼女の回答を待ち続けました。

結果、隔週ペースで通い続けることに。「隔週っていうことは通う頻度が減るだけで、全く練習しなくていいってことではないんだよ」と念を押す先生と私に「わかってる」と答えた彼女を、信じて応援しよう。

長男が誕生以来、彼女だけに向き合ってあげたことはほぼ皆無で、それでもすくすく逞しく育つ彼女は本当に素晴らしい人だと思っているんだけれど、今日改めてそう感じました。

「存在のかわいさ」という意味では幼い下二人に注目がいきがちだけれど、私は彼女が一番すごいと思っている。

今回のピアノの一件に限らず、しなやかでタフ。自分で自分の未来を切り拓いていっている感がハンパない。(逆に、ゲームばっかりして、あとの時間は「まみぃちゃーん♡」スリスリ、みたいなことしかしてない下二人は大丈夫なんだろうかとやや心配)

以前、子ども達が通う幼稚園に偉いお坊さんが来て「子育てとは、信じて待つことです」と語ってくださったことがずっと深く頭に残っています。幼稚園の頃は全ての行為に送迎が必要だったり、ほとんど親と「一体」として育つ。

けれど、小学校に入ったら一人で往復するようになる。「事故に遭わず、ちゃんと帰ってこられるかな。学校でうまくやってるかな…この子の将来は大丈夫かな…」と心配しだしたら全てが心配になっちゃうけれど、「大丈夫だ」と信じて待つことが唯一にして最大の親の務めだと。

今日彼女が決めた決断が、「やっぱり違うかも」となったって全然構わないし、この先どんな選択をしても「わかった。自分で決めたならそれでいいよ」と答えよう。

3兄弟の真ん中だったこともあり、極めて放置型の育児で育った私は、ずっと自己肯定感低めだったんだけれど、私立中学を退学した際も、15歳で留学に行くと決めた際も、23歳で結婚した際も、やっぱり仕事すると決めた際も「自分で決めたならそうしな」という姿勢を示してくれた両親のおかげで今があると思っています。

今になって振り返ると、「あれは信じてくれていたってことなのか」と思うんだけれど、「言葉で伝えてくれなきゃ伝わらない」というのも一つの真実だと思うから、「あなた自身が自分で決めた決断が一番だよ。どういう判断をしたって、あなたは素晴らしい人になると信じてるよ」って言葉にして伝えよう。(実際に普段から言葉にして伝えているし、なんなら長女は私のSNSを定期的にチェックしてるから読んでもいる…w)

「信じて待つ」というのは壮大な賭けだよなぁとも感じてもいるけれど、長女は、3人はそして全ての子ども達は可能性に満ち満ちている人達なんだから! なんなら大人も! さぁ、私が彼女を信じて待つように、私を信じて待ってくれている方のためにこれ書いてないで原稿書こう…w 



直近で「信じるということ」がキーワードになる素晴らしいインタビューを2件経験したから余計にこのようなことをしみじみ考えて書き留めておこうと思った今日でした。


書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)