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祈る

夜から雨が降っていたせいか、昨日の朝はとてもひんやりとしていた。
ドアを開けた時、外の空気が思いがけず肌寒く、そしてしっとりと湿度を含んでいた時、私はいつも祖父母の住んでいた根室の町を思い出す。


私が北海道の根室を訪れたのは、ほとんどが夏休みの時期だった。母から数メートル積もる雪や、ダイヤモンドダストの話を聞いたことはあったが、その季節に帰省しても多分家からどこにも出られないだろうし、そもそも冬は天候次第で飛行機も欠航してしまう。
八月でも平均気温が20度前後の土地で、早起きの祖父と近所の公園を朝から散歩し、露に濡れた緑や今は使われていないサイロの景色を楽しんだことは、私の子ども時代、夏休みの最高の思い出。

優しく筆まめで、頭の毛がちょっぴり寂しいことをいつも自分でネタにしていた楽しい祖父だったけれど、私たちに語ってくれないことがあった。


祖父は、戦争経験者だった。
シベリア抑留の経験者だった。

祖父は、その時のことをほとんど何も語らなかった。
小学生当時、夏休みに、身近な人に戦時中のことを聞いてくるという宿題が出た時も、頑なに口を開かなかった。祖母や母が、その話は自分たちにも一度もしたことがない、きっと可愛い孫にも聞いて欲しくないことがあるのよ、と言って私を納得させた。

祖父は私が大学一回生の時亡くなった。


今年に入って、今は東京に住んでいる叔母が、「収容所ラーゲリから来た遺書」(辺見じゅん 著/文藝春秋)という本と手紙を私に送ってくれた。
その前に、「ラーゲリより愛を込めて」という映画を観たのだとLINEをくれていた。
叔母もまた、祖父からほとんどその時の話を聞いたことがないと言っていた。
何度も本を開き、少し読んでは閉じ、間を空けて少し読み進めては、またやめることを繰り返している。
まだ完読できていない。

そして、最近私はまた違う本を図書館から借りてきた。
「戦争は女の顔をしていない」
(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著・三浦みどり 訳/岩波書店)

先の一冊より厚みのある本だ。なかなか進まない。読めば読むほどに、今までテレビや本、映画などで見たことのある戦争の惨劇を思い浮かべてしんどくなる。でも、これは借りた本だから期限がきたら返さなくてはいけない、そう思ってページをめくっている。
そうして彼女たちの語る戦いの有様、一人ひとりの言葉を目で追っていくと、ふとこれはどこかで聞いたことがある情景のようだと気がつく。

「戦争は、人が人でなくなる」
「朝に隣にいた学友が、夕にはいない」

それは、私が社会人になってから、何度も何度も仕事で訪れた、沖縄で、体験者の方から聞いたものと驚くほど重なるものだった。
私が教員になり、中学三年生の生徒たちを連れ修学旅行で沖縄を訪れた時。聞き取り学習として、当時のひめゆり学徒隊の方や、鉄血勤皇隊の方、また当時はまだ幼児だった、という沖縄戦経験者の方たちから、直接話を聞かせていただくということをしていた。
私が中三生の学年に入ったのは、担任・副担任合わせて計5回。新任の時はまるで生徒と同じ気持ちで聞いていた。二周目の担任を経験した時はもう30代になっていた。そして一度現役を退いて迎えた40代、あの時話を聞かせていただいた方はもういらっしゃらないかも知れない。私たちの子ども世代は、戦争体験者から直接話を聞くことは難しいだろう。

でもこの世の中からまだ戦争は無くなっていない。数年前、まだ少し早いかなと思いながらも、THE BOOMの「島唄」の歌を授業で聞かせて、日本にも戦争をしていた時代があったんだよという話を小学生にした時、あるクラスの男の子は戦争、かっこいい!オレも行きたい!と言った。オレも!と同調した子がいた。戦車乗りたい!鉄砲撃ってみたいと彼らは言った。ゲームで毎晩やってるで、と。そのクラスの担任教師と顔を見合わせた。戦争って、たくさんの命がなくなるんだよ。殺したり、殺されたり、することなんだよ。死んだら、やり直しできないんだよ。お家の人はきっと泣くよ。どうしたら伝わるのだろうと思いながら、必死で言葉を探した。読んでいる本にも、語り部さんの言葉にも、「私たちはお国のために、戦いに行くのは怖くなかった」「早く戦地に行って敵を倒したいと思った」とあったことを思い出した。戦いがかっこいいと思うこと、強いものに憧れることは不思議ではない。でも、平和学習というのは絶対必要だと思った。担任が、また時間をとって話をしますと言ってくれた。今は私はその子たちの授業を担当していない。今年の夏の平和登校日に彼らはなんて作文を書くのだろう。
去年、同じ時期に別の子たちに戦争というキーワードを出した時、彼らはびっくりするぐらいすんなりその言葉を受け入れた。知ってる。ロシアとウクライナやろ。テレビで見た。ママから聞いた。でもどこまで戦争のことを知っていると言えるだろうか?私も含めて。

今日は沖縄慰霊の日だ。

知っているとは到底言いきれない。でも、中学生とともに、沢山の重く酷い経験を語って聞かせてもらった私には、少しでも子どもたちに伝えていかなくてはいけない義務がある。今日は、いつも夕飯時に消している夕方から夜の情報番組を、ボーイズと一緒に見ようと思う。おそらくどのテレビ局も沖縄の平和祈念公園の景色を写すことと思う。
平和のいしじに刻まれているあまりにも多くの名前。
その名前をそっと撫で、祈る人が今もいる。私も子どもたちと共に祈ろうと思う。


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