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山と爺ちゃんとマリファナと

うちの爺さんは81歳で死んだ。


どんな爺さんだったか?
典型的な昭和のクソジジイだった。
亭主関白バリバリ、煙草はチェーンスモーク、ニコチン中毒のパチンコ中毒。
おまけに酒を煽っては暴れてた。

「クソジジイ!ぶっ殺すぞ!」

思春期の俺が何度言ったセリフか。
親父との関係も悪かった。
物心付いた頃から親父と爺さんはトゲトゲしい言葉のやり取りで、取っ組み合いの喧嘩になる事もあった。
何故そんな険悪なのか?
親父は3人兄弟の真ん中で長男は早々に実家を離れ東京へ、下の弟も親父より先に東京へ、残された親父も東京で就職が決まっていたらしいがいざ上京するって話しになった時に爺さんに反対されたらしい。
家に誰も居なくなるからお前は居ろ!
そこから親父と爺さんの間には因縁が生まれたんだろう。

そんな爺さんだったけど山と川に関してはスペシャリストだった。
主に川の漁師を生業にしてた。
勿論それだけでは食ってけなくて婆ちゃんは※支那そば屋をやっていた。

※支那そば
中華そばの古称、所謂ラーメンの事。
婆ちゃんの師匠が中国の人だったらしくラーメンではなく支那そばという言い方をしていたそうだ。

それ以外にも宴会場として団体客を迎え入れたり、冬場はスキー場のロッジの経営、管理もやっていた。
爺さんが捕ってきた川蟹や、ヤツメウナギ、鮎などは婆ちゃんが調理して宴会のコース料理として出したり他の旅館や割烹料理屋にも卸して居た。
山では山菜を採ったり私有地で椎茸やなめこの栽培もやっていた。
俺も子供の頃からよく爺さんと一緒に山に行って山菜採ったり椎茸の菌打ちの手伝いをしてた。
俺が連れてかれたのは私有地の山だけ、そのエリアにある沢などで蕨やミズを採っていたけどタラの芽やウドなどの高級山菜は俺が知らない場所でしか採れない。
爺さんはいつも尋常じゃない量のタラの芽やウド、アイコ、ゼンマイなどなどありとあらゆる山菜を採って来てた。

その場所を知ってるのは爺さんだけ。
よく一緒に山に入ってた婆ちゃんすら多分知らない場所だと思う。
川でもそうだった。
穴場と言われるポイントは爺さん以外知らない。


親父の兄貴、俺の叔父は爺さんに似て破天荒な人なんだけど帰省するとよく爺さんを連れて一緒に山や川に行っていた。
叔父ならそのポイントを知ってるんじゃないか?って爺さんが死んだ後に聞いたことがある。

川は教えてくれたけど山は結局教えてくれなかったんだんだよなぁ…


叔父すらその詳細を知らなかった。
というのも、あの時代村には何人か爺さんが居て山の縄張り争いみたいなのがあったみたいだ。
一見仲良さそうにしてた爺さん達だったけど一時は犬猿の仲だったらしい。
何をそこまで?って感じだけど当時それを生業にしてた爺さん達にとっては深刻な問題だったのかも。
それもあってか自分で見つけた絶好のポイントは他言しない様にしてたのかもしれない。

雪国が故、冬場は仕込みの時期。
爺さんは冬場、ヤツメウナギの仕掛けを作ったり蟹の仕掛けを作ったり春先から始まる解禁日へ向け準備をしていた。
俺が高校生に上がる頃、年々漁獲量が減少してた最上川はほぼ蟹もウナギも捕れなくなっていた。
卸先の旅館も潰れたり、もう既に商売として成り立たなくなっていたが親戚や古くからの顧客の為に少量しか捕れないが爺さんは漁を続けていた。
晩年、足も悪くなって山も川も行けなくなった爺さんは見る見るうちに弱っていった。
上京してた俺は帰省する度に弱ってる爺さんを見て先は長くねぇだろうなぁと覚悟はしていた。
元々人付き合いが苦手な爺さんは老人ホームに入った直後くらいに倒れてそのまま亡くなった。
脳梗塞だった。

多分老人ホームで今まで絡んだ事も無い様な人種の人間との共同生活が爺さんにとってはストレスでクソつまらなかったんだろう。
山も川も行けなくて楽しみが何一つ無くなってたんだろう。
もう十分全うした、もうそろそろいいか。
なんとなく爺さんのそんな感情が伝わって来た。
葬式の日、出棺の際に婆ちゃんが掛けた言葉が印象的だった。

「爺さんあっちゃ行たらまだヤヅメもカニも捕てみんなさかしぇでくれの…みんな楽しみさしてっはげ」

※爺さん天国行ったらまた漁してみんなに食べさせてくれよ。みんな楽しみにしてるからの意

爺さんの一回忌だったか、東京に居る叔父と同じタイミングで帰省する事になった。
車で行くからお前も乗ってくか?
そう言われ、新幹線代も浮くしラッキーと思い叔父の車で2人山形へ帰った。
車の中で叔父が色んな話しをしてくれた。
叔父達が子供の頃の話し、知らない話しばかりだった。
婆ちゃんが若い頃姑としょっちゅうバトってた話しとか、実家に帰る!としょっちゅう嘆いてた事とか、あんな我慢強い婆ちゃんの意外な話しに驚いた。
叔父も子供の頃からよく山に連れてかれたらしいけどそんな叔父でも爺さんが採って来る山菜の量にはビビってたらしい。

ある日爺さんが酔った勢いでこんな話しをポロッとしたらしい。


「あの葉っぱ乾燥させで燻して吸うど気持ぢいいんだぁ〜」

と、懐かしむ様に呟いた事があったらしい。
あの葉っぱとはつまり大麻の事で昔は日本でも農家が自由に栽培出来たし叔父曰くその辺に生えてたと聞いてたらしい。
勿論、叔父が子供の頃は既に規制されていたしその頃はその辺に生えてちゃイケナイものだったんだけどまだ田舎の山奥には自生してる所があったと思う。
話しぶりからその話しをした当時は規制の対象で持ってたら捕まるという意識はあったみたいだ。
ただその昔、爺さんが若かりし頃は山菜同様、自生していた大麻を採ってガンジャパーリー…いや、煙草同様嗜好品として嗜んでいたのだろう。


つまり誰にも教えなかった山の秘密のスポットには今ももしかしたら…


ダメ!ゼッタイ!
というお話しでした。

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