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中米ニカラグア 独裁政権に子を殺された母親たちの告発

「自由と民主主義」を掲げ、暴力で国民を支配した独裁政権を倒した革命から40年が過ぎた中米ニカラグアでは、「革命の英雄」の腐敗と独裁が進んでいる。2018年、怒りを爆発させる国民に政府は暴力で応え、人権団体によると、現在に到るまでに600人を超える市民を殺害し、1000人以上を不当逮捕したという。危機感から周辺国へ避難した市民は10万人を超えた。混乱する情勢の中で、真相を求め、声を上げる犠牲者の母たちがいる。

<週刊金曜日 2020.8.28 1293号掲載>
(編集部の了承を得て転載しました)

息子の失踪を訴える母の苦悩 

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「私の息子は拷問で殺されました」

2020年2月、ニカラグアの首都マナグアで出会ったマルガリータ・メンドーサさん(50歳)が、スマートフォンの画面に映した写真を差し出した。紫色に腫れ上がり、遺体となった青年の顔がアップで映る。彼は18年5月、反政府デモに参加中に政府関係者に連れ去られ、刑務所で拷問を受けたという。

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マルガリータさんの息子であるハビエルさんが亡くなった当時、ニカラグアでは腐敗する政府への抗議が全土に広がっていた。きっかけは同年4月、国立自然公園で起きた大規模森林火災に対する不十分な政府対応と、その直後に決定された、年金減額と社会保障費増額を含んだ、国民を無視した社会保障制度改革だった。

これに対して政府は、治安部隊に加え、退役軍人らで組織した狙撃隊を編成し、実弾による鎮圧にのりだした。

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マルガリータさんの自宅庭に大きなバナナの木がある。日差しを遮るその下で話を聞いた。

「『心配ないよ。すぐに帰ってくるから』。そう言っていつものように家を出ました。その言葉が最後になるなんて思ってもいませんでした」

5月8日夕方、バイクで迎えに来た友人の後ろに乗りハビエルさんは家を出た。彼は勤務先の仕事がなくなり次の仕事を探していた。その日は友人が新しい仕事の紹介にきていた。用事を終えたハビエルさんは自宅に戻らずマナグア市内の大学で友人と別れた。

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「別の友人が学生運動に参加していたようです。SNSで情報を見聞きする中で、彼も反政府運動に気持ちが動いていったんじゃないでしょうか。活動に参加したのはその日が初めてだったと思います。私には(抗議活動参加を)黙っていました」

ハビエルさんは1999年11月生まれ。この時、18歳だった。

「本当にいい息子でした。彼が8歳の時に、私は彼の父親と離婚しました。そこからの生活は本当に大変でした。3人の子どもに構ってあげられなかったことが今でも悔いとして残っています。でも、ハビエルはとても元気に育ってくれました。病気がちな私を助けるために、大きくなると彼は働いて薬代や家賃の助けもしてくれました。かけがえのない存在でした」

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ハビエルさんが失踪した日を振り返る。

「その夜は何度電話してもまったくつながりませんでした。連絡もせずに外泊するなんてこれまで一度もありませんでした」

事故の可能性が頭をよぎり、翌日から毎日、マナグア中の病院や警察署を訪ねまわったが、消息を掴むことはできなかった。失踪から3日後、彼女は息子の写真を拡大コピーしたビラを配り始めた。情報を求める中で、ハビエルさんを見たという複数の学生に出会った。ひとりはこう証言した。

「彼はサンディニスタ青年部に車に押し込まれて連れ去られた。激しく殴られてもいた」

サンディニスタ青年部とは与党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の下部組織で、政治活動以外に地域の監視役のような役目も担っている。

「心臓が止まりそうでした。でも、これでやっと息子を探す当てができたと思いました」

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政治囚が収監されていると聞いた刑務所にも何度も足を運んだ。入口の門の前には、そこで寝泊まりしながら彼女同様に失踪した我が子を探す母たちがいた。

「刑務所でハビエルと一緒だった」と話す男性とも出会った。彼は大学で一緒にハビエルさんと活動し、サンディニスタ青年部に捕まっていた。暴行を受け車に押し込まれた2人は、警察に引き渡され刑務所に収容された。刑務所ではさらに執拗な暴行を受けたという。

マルガリータさんは、刑務所に息子がいると確信し人権団体を通じて面会を求めた。しかし、返ってきたのは「あなたの息子はいない」という言葉だけだった。

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拷問により変わり果てた息子

事態が動いたのは18日の朝だった。彼女の元に司法解剖医から、遺体の確認を求める電話がきたのだ。

「もし怪我を負っていたとしても、生きている息子に会えると信じていました。だからその電話を信じられませんでした。でも、やっぱり私が確認しなければと気持ちを奮い立たせて家を出ました」

ハビエルさんの顔は腫れ上がり別人のようだった。ショックを受ける母に医師は「心臓発作による自然死」だと伝えた。

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「そんな話を信じられるわけがないじゃないですか。しかも医師はこう言ったんです。『あなたの息子は8日からここにいた』って」

失踪した8日から遺体が安置されていたというのだ。彼女はこの間に、警察署や刑務所だけでなく、この医師がいる研究所を何度も訪ねていた。そのつど、息子の身分証を提示し確認を頼んだが「該当者はいない」と繰り返された。

政治囚への拷問の証言はほかにもある。国際人権団体は、殴打、感電、不眠、爪の除去、レイプなどの拷問を受けた収容者の体験を報告している。マルガリータさんは「息子は拷問を受け殺された」という確信を深めた。

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声をあげる母親たち

政府は反対の声を徹底的に抑え込んでいる。2018年12月以降、政府に反対する市民団体やメディア組織から法人格を剥奪し、さらに施設へ襲撃、資産没収をした。反政府活動家への恣意的な逮捕や殺人も続いている。こうした状況下でマルガリータさんら子を失った女性たちがつながり「四月の母」という組織を結成し、真相究明を求めている。

マルガリータさん同様、活動中に息子を殺害されたギジェルミーナさんに活動について聞いた。

「私たちの目的は真実を明らかにすること。母親は子どもの死を忘れることなどできません。悲しみが消えることなどないのです」

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そう言って続けた。

「声をあげることを恐れる女性はたくさんいます。私の息子は34年で人生を終えました。彼に殺されなければならない理由など何もなかった。彼と同じように殺された若者たちのどこに犯罪行為があったというのでしょう」

「私たちは諦めません。政府に真相究明と謝罪を求めます。そして私たちの活動が、この国が失った法の支配と民主主義の再構築につながると信じています」

「四月の母」には現在約70人が参加している。

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その後、マルガリータさんは団体を通じて警察による人権侵害を告訴した。しかし検察の調査結果は「民家に強盗に入ったハビエルさんが、もみ合った末に殴打され死亡した」という信じ難いものだった。

マルガリータさんが憤る。

「検察の嘘は私たち遺族に対する二度目の暴力です。この国の司法は機能していません。私たちは自宅を警察に監視され、動けば脅迫を受けます。でも私たちは黙りません。名前と顔を晒すことも厭いません。私たちの子どもは犯罪など犯していない。国による犯罪をなかったことにはさせません」

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2020年3月、国連はニカラグア政府の弾圧により10万人以上が難民化したと発表した。また国際人権組織によると、6月の時点で、少なくとも65人以上の政治囚が収監されているとされる。コロナ感染対策でも政府の失政が指摘され、5月中旬以降死者、感染者が急増している。国民の間に不安が高まるなか、21年、ニカラグアで大統領選挙が予定されている。5選を目指す現大統領によるさらなる人権弾圧が危惧される。(了)

<週刊金曜日 2020.8.28 1293号掲載>


<コスタリカで出会ったニカラグア難民たち>

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