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「本のソムリエ」はメジャーリーガー。菊池雄星投手がすすめてくれた1冊


いいリズムだなと、ほれぼれしながら読む。

これはきっと、書き手がものすごく本を読みこんできたからだ。
おそらく、自分が読んでいて気持ちいいと感じる言葉のリズムが、自然と文章という形になっているのだろう。

それでいて、読み進めるうちに、胸にザワザワとしたものが残っていく。
読みやすいだけではなく、伝えたい内容がしっかりと心にしみてくるからなのだと思う。

僕もそれなりに、書籍は読んできた方だとは思う。
加えて仕事柄、原稿は日常的にたくさん読んでいる。それでも、何かを読んでこんな気持ちになることは、多くはない。

ましてや、それを書いたのが、トップアスリートというのは…。

ペン


2020年4月26日付の岩手日報15面。
そのページには、3本の書籍を紹介する記事が掲載されていた。

いずれも日本を代表する左腕、菊池雄星投手による文章だった。

紙面イメージ


岩手日報さんには、LINE NEWSの「コラボ企画」に何度も参画いただいている。
打ち合わせでおじゃまもさせていただいて、記事や紙面を目にする機会も多くなった。

そんなこともあって、たまたま雄星投手が書いた文章を目にした。

取材をする中で、言語化する力にたけたアスリートには、何人か出会ってきた。
ゴルフの石川遼プロ。サッカーなら岩政大樹さん、槙野智章選手。野球では秋山翔吾選手らの「言葉の力」には、取材をしながらいつもうならされた。

だが、そんな彼らとて、ここまでの「読ませる文章」を仕上げる力はないのではないかと思う。
それどころか記者の僕だって、自分が20代のころからここまでの文章が書けていたかと聞かれたら、即答できない。

そして、そんなに度量の大きい人間でもない。
普通なら、アスリートにこうした文章を見せつけられたら、「神が二物を」と嫉妬してしまうところだ。だが、今回だけは、すとんと腹落ちができた。

ひとつのエピソードが、脳裏によみがえる。
それは、西武ライオンズの春季キャンプを取材していた時のことだった。

シューズ


朝7時前の高知市内には、まだ朝焼けの余韻が残っていた。
2017年2月、日刊スポーツの西武担当記者だった僕は、チームの宿舎のロビーで「出待ち」をしていた。

やがて、辻監督が姿を現す。朝の日課であるランニングに出かけるためだ。
番記者も後を追って走る。前年の秋季キャンプから、なんとなく通例になっていた。

このころにはだいぶ走り慣れてきていて、監督たちにも楽々とついていけるようにはなっていた。だが、この日ばかりは違った。
身体がものすごく重い。集団に離されては、信号待ちのタイミングでようやく追いつく。這うようにして、5キロを走り切った。

理由ははっきりしていた。睡眠をまったくとれていなかったからだ。

ペン


いったん自分の宿舎に戻って、シャワーを浴びる。
ベッドが恋しいが、近づかない。横になったら夕方まで眠ってしまいそうだ。

カフェインドリンクを飲んで、すぐにレンタカーで出発する。
15分ほどかけて、チームが2次キャンプ地にしている春野総合運動公園に到着した。

取材が始まってしまえば、眠気を忘れることはできた。
公園内の施設の間を移動しながら、選手たちを取材する。その中で、雄星投手とすれ違った。

「おつかれさまです。あれ、読んだよ」
「お!どうでした?」
「すごかった。一気に読みました。おかげで今日はしんどい」

そう。本当にしんどい。
なんていうものを、よりによってキャンプ期間中にすすめてくれたんだ…。

ワイングラス


その2週間ほど前のことだ。
チームはまだ、1次キャンプ地の宮崎・南郷にいた。

僕はその日の夕食を、雄星投手とご一緒することになっていた。
初めての機会だった。話題に困らないよう、彼を取り上げた過去の記事なども読みこんでから、予約を取っていた店に入った。

ほどなくして、雄星投手も店に現れた。
一通りの注文をしながら、頭の中で考えをめぐらせる。さて、どんな話題から始めようか。

開幕に向けた調整の話か。あるいは、契約交渉の席で球団に申し入れたという、メジャー行きについてか。
すると、雄星投手が先に話題を振ってきた。

「塩畑さんって、キャンプにどんな本を持ってきていますか?」

本


なぜか、しどろもどろになってしまった。

キャンプ取材のような長期出張なら、必ず4,5冊は本を持っていく。
その中から答えればいいだけなのだが、言葉に詰まってしまった。

アスリートからそんなことを聞かれたことはなかった。
不意を突かれたからかもしれない。雄星投手の質問が、ものすごく根源的な問いかけに思えてしまった。テキストで表現をする上での「思想」を問われているような…

「『新聞記事を書くから』と言って、当たり前のように毎日ずけずけと質問をしてくるけど、実際どの程度文章について考えているんですか?」

そんな疑問を突き付けられているような気がした。
ほんの数秒だったと思う。一瞬でいろんなことを考えた。あれこそ「走馬灯」だ。そして、一度に浮かびすぎたいくつもの考えは、一瞬ではまとまらない。

「いやそれはもういろいろ読んでいるんだけど新聞記者という仕事上流行はおさえるしでも好きなものもあるしただ読みたくてもまだ読めてないものも…」

自分でも、何を言っているのかわからない。
言語化を仕事にしている身だ。いま思い出しても恥ずかしくなる。

スマホ


雄星投手にそこまでの意図はなかったと思う。
だから、突然取り乱す僕を見て、ちょっと困ったような顔をしていた。それでも、少しの間の後に、こう言ってくれた。

「もしまだ読んでなかったら、ぜひ読んでいただきたい本があるんです」

そうやってすすめてくれたのが、清水潔さんが書かれた「殺人犯はそこにいる」だった。

手書きのカバーでタイトルを隠し「文庫X」として売り出されたことで話題になっていた1冊だ。
確か「どうしてもこの本を読んでほしい」という書店員のアイデアだった。

手元のスマホで調べると、冤罪事件の真相に迫るノンフィクション小説、と出てきた。
野球選手に本をすすめられただけでも面食らったが、テーマの硬派さにも驚かされた。もっとエンタメ感のあるものだろう、と勝手に思い込んでいた。

何とか「読みます」とだけ答えた。
雄星投手はうれしそうに、何度もうなずいてくれた。

飛行機


1次キャンプ終盤、僕は代わりの記者に現場を託して、いったん帰京した。
数日の休暇。すぐにでもその本を読みたかったが、自宅では妻と当時1歳半の娘が、僕の帰りを待ってくれていた。

ようやく手にできたのは、高知で行われるライオンズの2次キャンプに再合流する道すがら、だ。僕は羽田空港の書店で「殺人犯はそこにいる」を買った。
そして、キャンプ序盤の夜、会食の入っていない日に読み出した。

数時間後。僕は本を閉じたり開いたりしながら、ひとりで悶えていた。
本の内容に引き込まれすぎて、途中でやめることができないのだ。

いますぐ読むのをやめて眠らないと、明日の取材に差し支える。
でも読み切らないことにはどうにも落ち着かない。

しばらくして、僕は睡眠の方をあきらめた。

本


翌日。読み切ったことを伝えた後に「なぜあの本だったの?」と聞いてみた。
すると雄星投手は、にやりと笑いながら言った。

「『読んでもらいたい』と『きっとハマってくれる』ってイメージが、どっちも湧いたってところですかね」

まさにその通りになった。
それでも記者の仕事柄、つい「イメージ」の具体的な部分を聞きたくなった。

だが彼は、あえてそれ以上は言わなかった。

「書籍って、読む人によってとらえ方は違うと思うんですよね。それがいいところのような気もしますし」

相手を見て、パッと読んでもらいたい書籍のイメージが湧く。

ソムリエのようだと思った。
ワインというワインを飲みつくした上で仕事をする彼らのように、雄星投手も本という本を読みつくしてきたということだろうか。

「200冊くらいですかね。年間に」

こともなげに言う。
返す言葉もなかった。

ペン


いい文章が書けるかどうかは、読み込んできた文章の量にかかっている。
個人的には、そう思っている。

文章が伝える手段である以上、やはり「相手がどう受け取るか」が大事になる。
受け取る側の気持ちを知るには、受け取る側に回るのが一番。だから、どれだけ文章を読んできたかは、書くものの質を左右する気がする。

「ああ、本を読んできてないのかな」。
スポーツの記事を読んでも、そういう感想を抱いてしまうことは少なくない。

逆に、すさまじい量の書籍を読んできている雄星投手が文章を書いたなら…

そんな仮説は立てていた。
だから、岩手日報に掲載されていた文章のレベルの高さに、納得もできた。もちろん、実物を見て驚きはしたが。

スマホ


岩手日報の記事を読んだ僕は、すぐに彼にLINEをした。
すると雄星投手は「ちょうどよかった。お願いしたいことがありまして」と返信してきた。

ブログ、あるいはSNSで文章を書くにあたって編集担当、つまり「デスク」をしてほしい。そんな打診だった。

うなるしかなかった。
あれだけの文章を書けるにも関わらず、誰かにチェックしてほしい、というのだ。

単純な謙虚さ以上に、文章という表現手段への敬意、みたいなものを感じた。
誰よりも文章を愛しているからこそ、書く側にまわるにしても、生半可な取り組みはできない。そういうことなのだろう。

「僕でよければ」と返信した。
身の引き締まる思いになった。

ペン


人間はまず言葉を与えられ、言葉によって思考をする。
雄星投手を見ていると、そんなフレーズを思い出す。

彼の取り組みはすべて、言葉を通して考えを深めるところからスタートしている。

野球の技術書、筋力トレーニング書はもちろん、栄養学、生体力学などの本も漁るように読み込み、しっかりとした裏付けを得る。
その上で、日々のトレーニングに反映させていく。そして、実際にやってみての感触、反省点などを、毎日こと細かく日記につける。

苦しい時も、本を読むことで考えを整理し、乗り切ってきた。
プロ1年目。いきなり左肩を壊した。加えて、二軍のコーチによるパワハラ疑惑という問題に巻き込まれた。

マウンドに上がれないだけでない。裁判の準備のため、毎日電車で片道1時間をかけて、弁護士事務所に通わざるを得なくなった。
自分はいったい何をしにプロに来たのか…。19歳はただただ悩み続けた。ふるさと岩手を離れ、相談できる相手も少なかった。

すがるように本を読んだ。電車の中で。自室で。
歴史上の人物や、小説の登場人物の考え、行動に学び、励まされた。そうやって、苦しい状況の中で考え方に芯が通っていった。

本


なぜ、君は生きるのか。野球をやるのか。本に問われては、答えを探す。
その繰り返しで、雄星投手の動機づけは固まってきた。多少のことでは揺るがなくなった。

甲子園での活躍。6球団からのドラフト1位指名。メジャー移籍。
彼の経歴はとにかく輝かしいものだ。だから「天才肌」というようなイメージを持たれるかもしれない。

だが実際の雄星投手は、少し違う。
言葉で考えを深めていって、しっかりと腹落ちをしながら物事を進めるタイプだ。感覚派のアスリートと比べたら、はるかに時間がかかる。

鳴り物入りでプロ入りしながら、期待通りの活躍をするまで5年以上を要したのも、そういうあたりがあるからではないかとみている。
おそらく、2019年からプレーするメジャーリーグでも、同様だろう。3年目となる来年以降、じわじわと本領を発揮していくに違いない。

球場


そして、言葉で考えを深めていく最大のメリットは「共有」だ。
言語化された知識、経験は、漠然としたイメージと違って、他の人にも共有することができる。

雄星投手は西武の後輩たちとの合同自主トレで、毎日1時間もの座学の時間を設けている。
そこでは、自分が時間をかけて確証を得てきた技術論、トレーニング論などを、あますところなく教えるのだという。

加えて「こういう本を読んだ方がいい」と勧める。
そして後日、その本を読んだ感想について語り合って、さらに考えを深めさせる。

そんな「雄星組」の中で、2020年は平良海馬投手が新人王のタイトルを獲得する活躍をみせた。
高橋光成投手も、9月以降は素晴らしい投球を続け、雄星投手の穴を埋めるエース格になった。

◇   ◇   ◇

2020年は、僕にとって大きな転機になった。
noteで書き物を始めたことで、たくさんのきっかけを得た。

自分がどんな書き手なのかを、多くの方々に知ってもらうことができた。
インタビュー取材も何度もされた。講演の依頼までいただいた。「聞かれる側の立場」になるなんて、少し前までは考えもしなかった。

そうやって、書くことで可能性を広げられることができたのは、雄星投手からもらった刺激のようなものもあったから、だと思っている。

言語化を通してこそ考えは深まり、他者に伝えることもできる、というところに気づかせてもらったのは大きかった。
書くこと、読むことへの動機づけをもらった気がする。

そして何より、雄星投手のことを思うと「書き手としては負けていられない」という気持ちが湧き上がってくる。

2021年も、僕は本を読む。noteを書く。
ライバルの存在をどこかで意識し続けながら。



◇   ◇   ◇


菊池雄星投手の読書家としての側面に興味を持ってくださった方は、ぜひこちらも。note株式会社のCEO加藤貞顕さんとの対談形式で「自分を作った書籍」について語っていました。



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