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精神を病む妹と、その家族ー6ー

「実は、私もうつになったことがあるんです」
 私の表情が緩んだのを感じたのか、妹の夫が突如、カミングアウトした。
「営業をしていたある日、急に目が見えなくなってしまって」
 彼はそう言いながら、テーブルから立ち上がり、じゅうたんに目をこらしている妹の横であぐらをかいた。
「うつで目が見えなくなった?」
 うつ病で視力障害が起こるとは初耳だった。それ以前に、彼のような能天気なタイプが精神疾患にかかるとは到底思えない。嘘ではないかと、私は訝しんだ。
「そう、視界がぼやけて、はっきり物が見えなくなったんです。ねっ?」
 彼は、妹の腕を肘で小突いた。妹が何と言うか、私が前のめりになったときだった。
「今月の家のローンが!」
 妹が天に向かって叫び、我々は凍りついた。だが、内容はいつもの金についての心配事で、彼は明らかにうんざりした表情だった。
「ちゃんと引き落とされているから大丈夫だよ」
 彼は妹を落ち着かせようと軽く肩に触れ、やさしく言ったが、激しく振り払われた。
「もー、少しはパパもやってって言ってるのに、私に全部やらせてーー」
 金の管理のことか、稼ぐことか、それともその両方か。妹は眉間にシワを寄せ、彼をにらみつけた。
 金のことになると、彼は黙ってしまう。黙るしかないだろう。それが、妹の怒りに火をつけた。
「ほかにも、塾の月謝やこれからの学費、車2台分の車検、保険、税金もあるし、毎月の電気代もかかりすぎ。私が働かないと、お金が足りない! もう一家離散だよ‼︎」
 妹は頭を抱えた。働かない選択肢はないが、実際職場では使い物にならない。正社員であっても、おそらく入社後まもなく戦力外通告。仕事ができていない自覚はあるから、これ以上やっても無理、そして退職ーーというのが、これまでのパターンだろう。だが、いつまで同じことを繰り返すのか? この精神状態でその負のスパイラルから抜け出せる日が来るのか? いや、そんな日は来ないことは、妹もわかっている。だから、私に助けを求めてきたのだ。
「いやいやいや、一家離散なんて物騒な。悲観的すぎでしょ。今さぁ、薬って、全然飲んでないんだよね?」
 冷静さを装いながら私が言うと、妹はこくりとうなずく。
「なんで薬、やめちゃったんだっけ?」
「だって、廃人になっちゃう!」
 私が言葉を言い終えないうちに、妹は金切り声を上げた。こんな知識で、この人は本当にメンタルヘルスの専門家と言えるのだろうか? いったいどんな病棟で、どんな患者を見てきたのだろう? だが、病んでいれば専門家でもこんなものなのだろうか?
 ここまで病状が悪化すると、薬なしでの回復が見込めないのは、素人の私でもわかる。入院は難しいにしても、服薬を再開させねば。私は妹の目を見て語りかけた。
「仕事を覚えられないのも、悲観的なことばかり考えてしまうのも全部、病気のせいだよ。これまで頑張りすぎて疲れてたところに、投資で失敗しちゃったじゃん。そのショックで、脳が壊れちゃったんだと思う。薬で立て直すしかないよ。入院はおいといて、まずは病院に行こう。私がついていくから」
 妹の目からつつーっと一筋の涙がこぼれた。
 

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