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母性愛と父性愛

愛される時、認められる時に二つの大きな方向がある。一つは母性。あなたがあなたであるだけで愛してもらえるという愛。獲得するものではないし努力では獲得できない。もう一つは父性。何かの基準を満たせば期待に答えればもらえる愛。自分がもともとどうであったかに関わらず努力で獲得できる。

母性は優しいが残酷だ。もし愛される側に立つなら何があろうとも自分がそのように生まれてきただけで、愛される条件を満たしている。一方愛される側に生まれていないなら、どんなに努力しても愛されない。母性の間には理屈と基準がない。

父性の愛は、厳しいが可能性がある。何かの基準があり、それを満たせなければ愛されないが、満たすことができれば誰にでも可能性がある。父性の愛は、獲得可能がゆえに競争を迫り、向上することを求める。それは厳しいけれども、誰にでも獲得できるという夢がある。

母性の愛は、あなたはあなたのままでいいと包み込む。しかし、獲得できないが故に生涯そこから逃れることもできない。父性の愛は、こうならねばならないと基準を示す。獲得できるが故に常に自分は愛されるのに十分なのだろうかと自分を観察する。

母性的な集団は何の実力を示す必要もない。カルトなどはそうだ。ただ信仰すれば受け入れてもらえる。しかし、離れることに対し裏切りの感情を抱く。実力主義ではないために、信仰心の厚さや動機の純粋さを競い合い始める。故に社会で傷ついたものの受け皿となりやすい。

実力主義はこの見方からすれば父性的な側面を強めることになる。何者であっても構わない。ともかく基準さえ満たせば認められる。父性愛は、愛する側が誰か、基準は何かがとても重要になる。評価する側とされる側で構築される。

自分はどちらの色が強く、今はどちらが強い集団にいるかを観察すると、居心地の良さや悪さの参考になる。母性愛集団は私たちや思いを重視し、父性愛集団は個や実力を重視する。かなり乱暴かもしれないが、このような整理で組織を見ると私には役立った。

※母性と父性は象徴としてのもので、そのままを指すわけではありません。

参考文献 母性社会日本の病理

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