dajale
哲学っていうとなんですが、考え事をただ書いていきます。
体癖論を楽しむ
当事者研究です。
小説です。心がテーマです。
拙著『心の研究』ですが、今のところ出ている情報が目次しかないので、 要約を書いてみようと思います。『表』と『裏』の内、ほとんど『表』についての要約です。宣伝になりますが、『心の研究』 井上 こん でググると出てきます。始めに本の紹介文を載せます。その下が要約になり、最後に目次を載せます。 紹介文 始めに、心と物の関係から考え、現代的な物心、心脳の捉え方を見直し、世界に潜在する心に目を向ける。次いで、その潜在的な心は、形而下における諸相と照応関係にあることを示していく。
今年中にまた本を出そうと思います。『魂の研究』という著書になります。よろしくお願いいたします。
アルレッキーノは確実に星3武器の白纓槍が合う。
以前、潜在的なものは、全て抑圧されたものである、と書いたと思う。私は存在論的な領野に、精神分析における抑圧を敷衍して使いたいのだ。スーフィズムでは神の慈愛の息吹が、潜在的なものを顕現する働きを持つ。世界の可能性、可能態として存在しているものを創造する時、それは世界に抑圧されていた存在を呼び起こすことなのだが、そこには慈愛が必要なのである。私たちが今必要としている存在は、きっと今まで無視され、忘却されてきた存在である。その存在は阿頼耶識の中で、声なき声を発している。或る時は神
井筒の意識の構造モデルを、そのまま太陽とその惑星と地球に準えることが出来る。つまり、意識のゼロポイントに太陽が在り、そこから熱が放出され、煮え滾るお湯のような阿頼耶識を作り出す。そのエネルギーが元型を作り出す。この元型が惑星である。この惑星からの働きが地球との相互作用で、独特のイマージュ群を作り出す。ここが中間領域になる。そして表層意識がそのまま地球である。 井筒の意識の構造モデルは、そのまま意味と存在に照応するので、今の話を、意味と存在の構造に読み替えることも出来る。
世界が示されているのは、世界を遡及しいていった時に、無内包のものに至るからである。無内包というのは、それ以上遡及することが不可能なものである。例えば、仏教のように色即是空というのも、西田のように絶対無において、あらゆるものが在るというのも、この無内包の遡及不可能性において、世界のあらゆる意味が示されているからである。 この無内包の遡及不可能性が、揺るぎないものであり、絶対的なものであるからこそ、印象や雰囲気といった、直感的に捉える意味が意義を持つ。換言すれば、この無内包
朝昼夕夜と春夏秋冬は照応関係にある。歴史的に考えると、地球が生まれてから、予めあったのは、一日、一日であり、朝昼夕夜が始めにあったと言えるだろう。朝昼夕夜、この四つを歴史的に反復することで、春夏秋冬へと、大きなスケールで凝り固まっていき、そのまま気候へと移っていったのだろう。 朝昼夕夜も、春夏秋冬も、空の事情だ。私はここで直感的に気分のことを思い出した。天候は気分の象徴であるのだが、天候と春夏秋冬という気候は如何なる関係にあるのだろう。まず考えるべきなのは、気候というの
或る人達に向けて書いたのですが、重要だと思ったので載せます。 前に弁証法的にカバラのセフィロトが成り立っている、と言ったことなんですが、少し書いてみます。実は井筒の『意識と本質』のp.261から読めば明らかなんですが、それを参照しながら。 第一の「ケテル」意味は「王冠」存在流出の究極的始原で、絶対無や意識のゼロポイントのようなところ。 そこから第二の「ホクマー」「叡智」 第三の「ビーナー」「分別知」 と分節するらしく、もうここで叡智的なものと、分別知で対立するものに
形相に形相を重ねることにより、質料が生成される。形相は雰囲気となって現れるので、形相は表現された瞬間、気化するのだが、この気というのはいわゆるプネウマのことである。事物も呼吸をしている、と言わなければならない。事物のプネウマが事物の雰囲気なのである。私たちの認識というのも、呼吸から考えなければならない。私たちが事物を直接に経験するというのは、その事物において呼吸をするということである。呼吸の中心には心臓が在る。その心臓の鼓動が、揺らぎを生んでいる。事物の情緒というのは、事物
空や海を懐かしく思ったり、憧れたりするのはなぜだろう。
形相に形相を重ねることで、質料が出来てくる。形相が重層的になると、そこに中身が出来てくる。木は層を重ねることで、材木として有用になる。人間は形相に想像上の形相を重ねる。それがいわゆる、表象や観念、クオリアと言ったものになる。
私たちはいつも夢中をいる。夢中というのは私たちの形相、すなわちエイドスのことである。人間は夢の中から起こすことが出来る。つまり人間は形相の内から起つことが出来る。 形相というのは、イデアから批判を経て生まれたものなので、観念的である。しかし形相というのは、人間だけが持つものではない。人間より前から形相は在る。元々、椅子には椅子の、机には机の形相というものが考えられるように出来ていた。むしろ物の世界を形相的に考えれば考えるほど、物の世界が成立してくるのである。物の世界とい
テクストを紡ぐ、という。紡ぐのは糸であるが、糸というのは超弦理論でいう、弦や紐と呼ばれるものだろう。世界を構成する最小単位、究極の単位は糸なのである。この糸というのは ~ こう表すことが出来、これは揺らぎであり、気分の形相を持つ。この情動を私たちは紡ぎ、織りなし、布を作る。布は衣になる。或いは布団になるし、或いはカーテンになる。これらに共通する述語は、包むということである。衣も布団も身を包み、カーテンは窓を覆う。覆うということは、包むことと相似している。 テクストを紡ぐと
直感というのは、働きをそのまま知るということである。それはエネルギーを感じることでもあるし、換言すれば気を感じることでもある。~の気がする、というのは全て、直感的認識に基づいている。例えば赤色の花は私たちに何事かを表現している。青い空も私たちに何事かを表現していると言えるだろう。何かが私たちに表現しているということは、私たちにそう働きかけているということである。この働きかけは述語的なものである。すなわち性質や作用、動作などのことである。阿頼耶識は述語的な場である。ただ働きが
意味の形態には、物質の形態と同様、三つの形態があると前述した。三つの形態は、気体、液体、固体に照応する。それはマクロな観点でいくと、空、海、大地に照応する。さらにこれは、井筒の意識の構造モデルと照応する。阿頼耶識は空、中間領域は海、表層意識は大地である。しかし、これをもっと厳密に考えれば、阿頼耶識は空ではなく、宙である。宇宙的な場からエネルギーが出て、そのエネルギーが海に移り、それはやがて泡沫になり、破裂し空へ還る。これは意味の循環運動である。この意味の変遷の中には、重層的
原神です。タイトルの通り、アタッカー型心海です。大分粗い考えですが、こんなのを考えてみました。水神フリーナが来ます。あとディシアの元素スキルが活きます。 聖遺物は「水仙の夢」 通常攻撃、重撃、落下攻撃、元素スキル、または元素爆発が敵に命中すると、8秒間継続する「鏡中の水仙」効果を1層獲得する。1/2/3層以上の「鏡中の水仙」効果を持つ時、それぞれ攻撃力+7%/16%/25%、水元素ダメージ+4%/9%/15%。通常攻撃、重撃、落下攻撃、元素スキル、元素爆発による「鏡中の水