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『生きる LIVING』は「ちっぽけな自分」を抱えて生きる人にとって優しい傑作

『生きる LIVING』は黒澤明の名作を英国紳士に置き換えてリメイクした作品。黒澤版との比較はネットで検索すれば出てくるのでそちらにお任せします。自分は黒澤明の『生きる』を繰り返し観てなくて、たぶん若い頃に2回ほど。繰り返し見た『七人の侍』(アクションやキャラ描写が好き)や『乱』(ストイックな美意識がたまらない)に比べて、『生きる』にはどこか説教されてるような居心地の悪さがあって、志村喬の死を間際にした聖人(狂人?)風の表情のもたらす圧力もあいまって、以後敬遠してしまってました。音楽の付け方やカメラワークの勉強に部分部分を見直しこそすれ、怠慢でしたね。いや、ほんと『生きる LIVING』を観て、改めて黒澤版、そういう話だったな、こういう構成だった、めっちゃ傑作じゃん、となりました。だって若い頃って「死を前にして」とかピンとこないんだもん・・・。

さて『生きる LIVING』。とても美しい美しい映画でした。物語も本当に美しい。英国のクラシカルな美意識がしっかり映像の中に込められていて、画面のサイズもスタンダードサイズで、色もおさえた黒ベースのモノトーン調。これはオープニングのレトロな雰囲気からして、黒澤版『生きる』はもちろんのこと50年代の英国にあった美意識(たぶん)へのリスペクトに感じました。映画ファンならこのオープニングから駅に並ぶ英国紳士たちの姿だけでうっとりできます。

そして物語は、オリジナルの中に現代の価値観を繊細に汲み入れつつも決して押し付けがましくしないカズオイシグロの脚本がさすがの「品格」(老人と若い娘のシーンなどよくぞ絶妙なバランスと感心)で、オリジナル『生きる』よりも何より目線が優しく(説教されてる感じは皆無)、より普遍的な物語に昇華されてると思いました。そしてオリジナルの白眉の一つである「決して聖人譚にはしない、綺麗事にはしない」という社会への目線をしっかり踏襲しつつ、我々、歴史に名を残すわけではない多くの市井に生きる人々を力強く肯定してくれる、「生きる幸せとは?」を考えさせてくれる名作でした。特にSNSで誰もが目立つことができてしまうこの時代に、この映画のメッセージは本当に心に刺さりました。


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