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わたしとRS 〜息子を失いかけた記録〜

おはようございます。

社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションは、牙(キバ)と同じです。


小噺です

朝起きて寝室からリビングに移動する。
ソファに腰掛け少しゆっくりしていると、どこからともなく息子が緩衝材を大量に持ってきてゆっくりしている僕にぶっかける。

「ぶっかけうどんってこんな気持ちなのかなぁ」
「いや、あれは液体だからもう少し違う感じかな」

などと、
ぶっかけかけられている間
迫りくる緩衝材がスローモーションになり走馬灯のように思考がかけめぐる。かけめぐる思考の10割どうでもいいことだということが走馬灯とやらとの違いか。

ソファでゆっくりしている僕に緩衝材をぶっかけた息子は、僕を緩衝材の塊と認識したのかボフンとダイブしてくる。だいぶ大きくなった息子。通常のダイブは結構痛いのだけど、朝は緩衝材のおかげで痛くはない。

しかしそんな時間も束の間。
平日の朝はそんなにゆっくりしている時間はないので息子に

「お父さん準備するからそろそろどいてもらえる?」と伝える。

しかし「いやん!」と即答。

くそう。
ソファでゆっくりしてしまった僕が悪いのだが大幅なタイムロス。ゆっくりボフン時間の幸せとタイムロスによる焦りがせめぎ合う日々。解決策があれば誰か教えて欲しい。


さて本題

RSウイルスを知っているだろうか。

近年子育てを経験している方々は必ずと言っていいほど耳にするであろう感染症。

そうでない方が耳にしないのは、大人にとってはただの風邪症状になることがほとんどだからだ。

コイツは小さな子どもが感染すると、肺炎を起こし重症化することがある危険極まりないやつなのだ。

そんなRSウイルス感染症はこれまで予防の術がなく、2歳くらいまでにほぼすべての子どもが1度は感染すると言われている。

とりわけ初回感染時に重症化しやすいらしく、小さな子を持つ親はおそらくハラハラドキドキしながら幼少期を過ごしていたわけだが、この度RSウイルスの妊婦向けワクチン使用が国の承認に向けて動き出した。

このニュース、
僕としてはとても微笑ましい。

なぜなら僕の息子はRSウイルスによって一度死の淵に立たされたことがあるから。

今日はそんなわたしとRSの思い出の記録。

忘れもしない2018年1月。
前月に肺炎になり初めての入院を経験した息子。一週間で退院したものの、本調子には戻っておらず、年末も発熱などで不調な年越しだった。

1月4日、仕事はじめ。
息子は保育園を休み、妻が仕事を休んで付き添ってくれることに。僕は出勤したんだけど、午後に妻から連絡。かかりつけの病院に行ったところ、状態が悪く入院が必要と診断。しかしかかりつけの病院では対応できないので、これから救急車で大きな病院に搬送するとのこと。

妻と息子は救急車で大きな病院に搬送された。
そして
RSウイルス陽性

はじめは一般病棟で過ごしていたが回復せず次第に病状悪化。呼吸状態が悪くなり、入院から数日後にはICUに移動して気管挿管。

気管挿管する前に別室で気管挿管や鎮静剤の説明。リスクもたくさん聞くので確率は低いと言われても不安な気持ちは膨れ上がるばかり。

無事気管挿管はクリアしたものの、鎮静で意識がなく全身管だらけで痛々しそうな息子が目の前にいる。正直はじめは見ているのが辛かった。命を繋ぎとめてくれている医療に感謝しつつも

「もう少し見た目も辛くなさそうな処置はないものか現代医療」

と心の中で全力でツッコんでいた。

ICUに入ったんだからすぐに快方に向かうだろうと少し楽観的というか、これだけ重装備なんだから頼むから早くよくなってくれという強い願いを抱いていた。

しかしそれも虚しく一向に症状が改善しないどころか徐々に悪化する日々を数日間過ごすことになる。

息子は日に日に顔から生気が消え青白くなっていった。ICUでの検査では病状が分からないということで一旦機械式の人工呼吸器を外し別フロアにある検査室に連れて行ってCT検査することに。機械式の人工呼吸器を外している間は手動の人工呼吸器に。

手動の人工呼吸器。

名前はカッコいいが見た目は
灯油ポンプの管が柔らかいバージョンだ。

その見た目がなんとも不安にさせる。
「これで移動するの!?大丈夫なの!?」

ただでさえ青白い顔の息子が
さらに青白くなっていくので不安は高まるばかり。

移動はベッドごと。ベッドの周りには僕ら夫婦に医師に看護師に大人数。ただごとではない感じは周囲にも伝わるだろうし、僕が外野だったとしてもただごとではないと感じる雰囲気だったと思う。

エレベーターが検査室のある階に着いた時、ちょうどその病院で働いていた看護師の友達とすれ違った。表情作る余裕なんてどこにもなくて、きっとあの時の僕は半泣きでオロオロしていただろう。

今振り返っても、この入院生活の中で息子を失う不安と恐怖のピークは間違いなくここだった。

いろいろあったが無事CT検査を終えICUに戻り機械式の人工呼吸器に切り替わり一安心。検査の結果、肺の背中側にベッタリと痰がこびりついていたことがわかった。

そこから仰向けだった息子はうつ伏せにされ、時折亀の甲羅のような機械を背中にあてられるという治療が追加された。

治療方針が決まり回復の兆しが見えてきた。翌日には鎮静が弱められて息子は数日ぶりに目を開けた。本当に心から嬉しかった。

追加治療された亀の甲羅はアブトロニック(知らない人はググってね)のように小刻みに震える。まだ人工呼吸器に繋がってて意識朦朧としている体重10キロくらいの小さな息子がうつ伏せになって亀の甲羅当てられてブルブルしている。その姿が可愛いと思える余裕が出てきた。

そこから徐々に身体中に取り付けられていた管が取り除かれていき、息子の意識もハッキリしていった。

ICUに入って10日目
哺乳瓶からミルクを飲むことができた。
そして残っていた管が全て外され一般病棟へ。
側から見ればきっとたった10日の出来事。
だけど僕には数ヶ月間のように感じた10日だった。

一般病棟に戻った息子は、僕や妻がベッドから少し降りたりするとすぐ目を潤ませ不安そうな様子を見せた。当たり前だけど僕ら以上に彼は心身共に大変な10日間を過ごしたんだろう。

あと、カリカリに痩せ細っていた。ダウン症の子は標準体重より軽いことが多く息子も小さくて軽かった。それでも彼なりに成長してきていたのにこの数日間で一気にカリカリに。「ゆっくり戻していこう」と思った僕の気持ちを一瞬で吹き飛ばすように、息子はこれまでの食事を取り返すように凄い量のごはんを凄い勢いで食べていった。「多すぎだろ!」というくらいの大人のような病院のごはんを小さな体でペロリと食べる。病院の食事量調整の技と息子の生命力を感じた。

一般病棟に戻って約一週間。
ついに退院。あの時の感動は忘れられない。

そんなこんなで一ヶ月にも満たない入院生活。
でも僕にとっては一年くらいに感じるような時間だった。それくらい心身ともに削られた。

息子がただ存在してくれているだけで幸せだと改めて思った。そういった意味では良い経験にはなったけど出来れば二度と経験したくない。

これが僕のRSウイルスの思い出。

そんなRSウイルス感染症の重症化が防げるかもしれないっていうんだから、今回のワクチン凄いじゃないか。

もちろんワクチンだから副反応もあるらしいし、特効薬じゃないからすぐ治るわけでもない。

それでも僕のような思いをする人が1人でも減るのであれば最高じゃないか。

どうか幸せな子育てが出来る人が1人でも増えますように。

おわり。

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