ASD当事者目線の困った話〜他人の思惑が分からない〜

私は、ASDの傾向が強い(グレーゾーンではあるが)と言われているだけあって、人を疑うことが苦手らしく、気付いたら危ない橋を渡っていることがある。
一応断っておくが、これはあくまで私の感覚であり、他のASDの方がどうかは分からないのであしからず。

新社会人の頃も、マルチ商法にハマった先輩に誘われ、怪しい集会に参加したことがあったが、
その時も、次回は契約、というところまで踏み込んでしまった。

今回は、職場での出来事になる。

私が所属する部署には、私と同じように業務効率化を行うメンバーが他にもいる。
実は、まだ効率化への取り組みははじまったばかりで、私もその他メンバーも、手探りで進めている状態だ。
そのため、基本的には下手な連携はせず、それぞれが単独で案件を消化しているという背景があるのだが、
今回は珍しく、一緒に開発を進めないか、とお声がけ頂いたのだ。

話を聞いて、引っかかったのは進め方だ。

上流工程は全て彼が進め、下流工程だけを私にお願いしたい、という役割分担にしたいらしい。

この時点でも、ピンとくる人はくるのだろうが、もう少し、私の思考にお付き合いいただきたい。

話を聞いてまず懸念したのは、引き継ぎの失敗である。
工程で分ける場合は、必ず情報共有が必要になるが、私は資料を隅々まで確認しないとなかなか理解しきれない。
しかし、経験上、資料には決定事項だけ書いてあることが多く、根拠や背景などの情報が、私目線では欠落しているように見えている。
私は根拠や背景とセットで理解するので、結論だけ書かれた資料が連携されても、理解できないことが多いのだ。

一番厄介なのは、根拠が明示的に残っていないケースだ。
聞けば良いじゃんと思うかもしれないが、質問しても、まともに答えてもらえないことだって多い。
こういう場面に出くわすと、どうしたら良いのか分からなくなってしまい、仕事が進まなくなってしまう。
まぁ、この経験は、今回話をくれた彼との間で起こった出来事ではないので、そうはならないかもしれないが、、、

兎にも角にも、不安しかないので、障害特性の説明と合わせ、下手な連携はせずに丸投げしてくれないだろうか、
という相談をしてみたが、どうしても上流工程は手放したくないのだそうだ。
レビュアーとして最終的にOK/NGの判断を下してもらう、とか、ベースだけ作ってもらうくらいに留めて貰う、とかでも良いのだが、何にせよ、大半は自分で作り込むようにさせて貰える方が、私としてははるかに効率が良いのだが。

何がネックなんだろう?

その後、色々と理由を聞いてはみたのだが、イマイチ辻褄が合わない。
どの理由も、彼が上流工程をやらなければならない理由にはなってないし、上流工程に固執する理由にもならない。
別に私が担当しても何の支障もないように見える。
明示できていない何らかの意図がある、と考えないと腑に落ちないが、そこはモヤがかかったようにピンとこない。

このエピソードを、医者に話してみたところ、苦笑しながらこんなコメントを頂いた。

「あごで使われそうになっているようにしか聞こえないんだけどw」

これには、なるほど、と納得して私も笑ってしまった。

なんとも自分勝手だし、仕事においてそんなことあるのかと最初は驚いたが、確かにそう考えると腑に落ちる。
理由が二転三転しているわりに、どれもツッコミどころがあり、いい加減な回答であるのも、本当の理由が言えないから、だとすると説明がついてしまう。

と同時に、次の懸念が浮かぶ。

次このような事態に陥ったとしても、多分私には相手の思惑がピンとこない。
意図的に、悪い方向性で、仮説として考えてみると思い浮かばなくはないのだが、それをやろうとするには、そうしようという強い意志が必要になる。(私の場合は。)
そんなことを、人と会話するたびにやっていたら人間不信になりそうだし、何よりエネルギー消費に耐えられないだろう。

あれこれ考えて辿り着いたのは、自分の感覚を信じることだ。

相手の思惑は、なかなかピンとこないのでいっそのこと考えない。
ただ、私は話の矛盾だとか、つじつまが合わないことには敏感なので、その違和感を信じるのだ。
この時に注意したいのは、きっと何か理由があるはず、という凝り固まった認知が発動する私の癖だ。
性善説思考とでも言おうか。

上にあげたエピソードでもそうだが、私は、”真っ当な”理由が必ずあるはずだ、という前提でしか考えない。
よもや仕事の場で、そんな勝手なことを言い出すはずがないと思っている。
だから見誤る。
この認知は歪んでいるので、深掘りすると何かありそうだが、この話は別の機会にしよう。

なんにせよ、性善説思考の発動にだけアンテナをはりながら、たんたんと理詰めで考え、結論を伝えれば良い。
違和感があることはそう伝え、やりとりしても違和感が残る場合は、責任もって進めらないし素直に断る。
たんたんと考えるだけなら、私にとってはそれほどハードルの高いことではない。
私生活でのやりとりとなると話が変わることもあるだろうが、仕事の場であればこれでいけそうな気はする。

また、こういう時は信頼できる人に相談する。
医師のように、私では気づかない視点をくれるかもしれない。

ちなみに、医師以外の人にも聞いてみたが、似たような答えであった。
話を聞いていて思ったが、世の中の多くの人は、なんとも上手に人を疑うのだなと思う。
信じきらず、かと言って、敵視しすぎない。
なので、関係が断絶しないが、自分も損をしない、という適切な距離感を維持している。

自分から見ると、信じられないバランス感覚だ。

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