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茶道に「映え」は要らぬ

 Twitterで「どうしたらお客様が喜んでくれるかを考えて、お菓子を選び、器を選び、盛り付け方を工夫する、というのを今の言葉で一言でまとめると「える」なのではないか」と言っている人がいた。

 果たして本当だろうか?

 私は茶道や茶の湯のもてなしに「え」は必要ないと考えている。

 何故かといえば「え」というのは「見た目」だからだ。見た目には、茶道や茶の湯の本質は無い。

 言葉の広がりや物語の重厚さ深淵さが主であって、季節感というのは実はテーマ取りのしやすい初級編に過ぎない。

 だが、実際の大寄せの茶会でみかける道具は「見た目を気にした分かりやすいもの」ばかりだ。つまり、教えている先生方の多くが表層的な物に終始しているということである。

 そこにある物語は薄っぺらく、深みも重みもない。家元の箱書があるとか、有名な作家のものであるというような、「権威主義の塊」のような物が並び、客をもてなすことの本義を理解していないのではないか?と疑いたくなってしまう。

 第一、他流の人間からすれば、家元の道具など然程興味はないし、著名な作家のものなどを喜ぶのは素人である。

 だから、こんな表層的なことにさえ、イマサラ「気づいた」とか言ってしまう人が居るのかもしれない。

 悲しい世の中である。

 そもそも茶の湯の醍醐味は絵付ではなく、釉景や竹の景色を見立てて銘を付け、物語を深めたところにある。

 道具を何に見立てたかが、銘なのだ。

 そこにはえは存在し得ない。

 写でさえ、本歌に因んだ銘を付けてやると、深みを増すものだ。坊主がつけるような在り来たりの禅語の銘など、全く心惹かれる物がないではないか。

 だから私は自分で道具の銘を考える。

 銘をつけるときは多くの場合、和歌を引く。
 そうして、その和歌から銘を付けて物語に厚みを持たせている――あくまで、これは一つのやり方だ。

 歌銘は遠州公の十八番だが、私はそれほど歌に詳しくないので、ネットで調べまくるのが常である(笑)

 あるいは、本歌にあやかることもある。

 茶杓師に削ってもらった少庵写の矢瀬は現代地名の「八瀬」にした。

 無銘の道安写は、道安が利休を招いた茶会で中立ちの前に露地の石を動かした逸話から「石動いするぎ」にした。

 片桐石州の松右衛門佐様写は、黒田忠之のことで、この方は江戸三大御家騒動の一つ・黒田騒動の原因になった人物だ。この黒田騒動が幕末に長編歌舞伎となったときのタイトルが「しらぬひものがたり」ということから「不知火」とした。不知火といえば旧暦の七月末から八月初に見られる現象であるから、旧暦八月にこれを用いている。

 これらの茶杓にもその内によい歌でも詠むか見つけたら添えておこうと思う。

 他にも大黒写の黒楽茶盌には『皮屋』と銘した。これは武野紹鷗が大黒庵と号していたことから、屋号である皮屋としたものだ。

 神懸の白釉流しの茶盌は『白熊はぐま』と銘した。白熊とは、ヤクの毛のことで、連獅子の白い毛のことである。躍動感あふれる白釉流しの様子が、まるで連獅子の白熊のようであったからの銘である。そこから『しろくま』と解して熊は北極だから北が極まるなら、冬の終わりに用いるのが相応しいと師走(旧暦十二月)に用いることにしている。

 こうして景色や本歌から銘を選び、その銘が物語に厚みを加えてくれることはよくあることで、それこそが茶湯の醍醐味である。

 見てくれだけの「え」など要らぬのである。

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