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田植え/夢/親切心

大学卒業後、農業を始めた友人が居り、田植えを手伝って欲しいと言われたので快諾し、埼玉県北部へ行った。快特だか準急だかよく分からないがそういった電車に乗ったが、二時間近く掛かった。よくこんな距離を八年も通ったものだと思う。通えなかったから卒業まで八年要したのだろうが。
梅雨入りしたというのに陽の光が燦々と降り注ぐ絶好の田植え日和だった。てっきりズボンを膝まで捲り水田に足を浸して田植えするのだとばかりと思っていたが、水は張らないと説明された。近隣の農家にやり方を訊いてみたが、誰もやったことが無いので失敗するかも知れないと言われ、まあそれは仕方無かろうと思った。わたしのほかにも別の友人四人と、友人の友人で(紛らわしい)一度だけライブハウスで会ったことがある人が居た(この人はわたしのことを憶えていないようだった)。昼餉は神社の境内にある小さな公民館のような場所で、弁当屋で買った弁当を食べた。
十七時半、疲労も限界に達し、友人宅で手足を濯いだり着替えたりし、居酒屋へ行った。麦酒が美味しかった。冷やしトマトやハツの塩焼き、山芋などを食べ、地酒を鯨飲した。田植えの最中に人差し指ほどの太さがあろう蚯蚓を何度も見掛けたという話になり、「蚯蚓のデザインは脳味噌に直接来る」と言ったら皆同意してくれた。桃色の湿っぽい質感が人間の粘膜を連想させるからだろうか。終電が早いので十時過ぎ頃帰路に就いた。

ここ一ヶ月ほど、毎晩同じ人物が夢に出てくる。内容は忘れているし彼にも五年前に二度会っただけなので顔はほとんどうろ覚えだが、それでも彼が夢に出て来たと、目覚める度に思い出す。五年前、わたしは初めての彼との対面に於いて大きな失態を犯した。すべきで無い行動をし、言うべきで無い言葉を言った。彼は声を荒げさえしなかったが、あなたを軽蔑しているというような内容のことを言った。アルコールによる偏頭痛を抱えながらの帰り道、もう二度と会うことは無いと知り始めていた。そしてそれが残念でならなかった。彼に親しみのようなものを感じていたからだ。たった一度の過ち、誤りによってこれから交わされるはずだった百億の会話が霧消する。出来れば明日にでも今夜の話の続きを聞きたかったと思った。確かその翌日わたしは大学の授業に出ずに家で寝ていただけだったが、更にそれから数週間後、彼からまた何事も無かったかのように連絡があり、何事も無かったかのように会った。
五年が経った。永遠の中のむなしい五年間なのか、あの数週間が五年に引き延ばされただけなのかは分からない。彼の夢を見て起きると全身にひどく汗をかいている。洗面台の前に立ち醜い顔を見る。べたべたと脂っぽい頬に抜けた睫毛が数本こびりついている。あの夜の痛みが蘇る。わたしの過ち、わたしたちの誤り。すべてがもう遠い過去のことであとは何も思い出せない。

矮小な身体の中に愛が充ち満ちている。愛が愛で溢れている。横溢している。噎せ返っている。八方のうち七方が愛によって塞がれている……そう思っていたが、これは単に流行に乗っていただけで、親切心が精々じゃないかとここ1、2年の己の行いを省みる。
『スモーク』という映画が好きで、クリスマスの時期になると大抵一度は観る。煙草を愛しているし、クリスマスの雰囲気も、ハーヴェイ・カイテルも、トム・ウェイツも好きだ。映画の中で、主人公が車に轢かれそうになったのを少年が助け、お礼に数日間少年を自宅に泊めてやる、という件りがある。初めは良かったが、小説家である主人公にとり、少年の立てる生活音はひどく耳障りで苛立ちが募っていく。とうとう、少年が皿を割った拍子に主人公の堪忍袋の緒は見るも無残に大破し、「親切には終わりがある」と告げ家から出ていくように促す。
何回観ても唐突な態度の変化、落差に面喰らうのだが、自分の対人関係もこれではないかと思った。親切心を催し自分が持っているだけの物を渡したり貸したりする。必ずしも相手に辟易するとは限らないが、やがて親切は終わりを迎える。彼あるいは彼女はわたしの薄情さに非難がましい視線を投げかけながらも、そちらがそういう態度に出るならこちらはこうするまで、と言わんばかりにそそくさと荷物をまとめ無言で立ち去ってゆく。わたしはまた違う誰かを、二人で過ごすには不十分な広さの部屋に招き入れる。親切心がため。全く同じ景色の中で全く同じ話を聞く。かけがえのない親切心が尽きるまで。
一人で酒を飲みながら、キューブリックでは無いほうの『ロリータ』を観ていたがかなり酔い途中で寝てしまった。わたしはキューブリックのほうのロリータ、スー・リオンが好きで、あのバタ臭い、卑俗な言動と人を小馬鹿にしたように口角を下げて笑う表情とが、ニンフェット然としているなと思う。だからこっちのロリータ、洒落たインテリアショップのカタログモデルのような、清潔なロリータはなんだかなあという感じ。
それはさて置きキューブリックの『ロリータ』のオープニング、ハンバートの老いた無骨な手が、親指の反り返ったロリータの幼い足の爪にペディキュアを塗るあの光景が、これまで観た映画の中で最も美しく官能的なシーンだと思っていて、もうあれだけで良い。走馬灯に出て来て欲しい。ロリータ、わが腰の炎。

無職を救って下さい。