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無邪気に笑う『働き方改革」、革命ではなく改革で良いのか?

“改革とは現体制を維持して変更や改善を加えるもので、権力や組織を抜本から変える革命とは異なる。”

では、働き方改革とは一体何だろう?革命ではなく、改革というその取り組みは、果たして我々が求める働き方を実現することができるのだろうか?

働かない人達が考える無邪気な制度

一億総活躍と声高に叫び、毎年3,000億以上(2019年度は3800億)という資金を使い実施されている「働き方改革」、先行して行われた企業やメディアを巻き込んで壮大なプロモーションを実施したプレミアムフライデーも丸2年が経過し、もはや死語となっている。そんな働かない人たちが作る、「働き方改革」というにムーブメントに現場のワーカー達は冷ややかに傍観しているように思える。

そしてこの4月から、働き方改革に関連する法改正がスタートする。サッカー解説者である松木安太郎を広告塔に掲げて、これから大々的にプロモーションをして行くようだ。なぜ松木氏なのかは不明だが、天真爛漫な彼からは日々あくせく働くワーカーの姿は想像出来ず、やらかした感は否めない。

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その内容は、残業時間を月40時間を上限とする制限に、有給休暇を確実に取得させる時季指定、非正規の正社員との不合理な待遇差の禁止という3つの法律が制定されたというものだ。

えっ!これが働き方改革なの??ワーカーの働き方というより、働かせ方?働かせない方?とも見えてしまいそうだが。。これで業績UPというコピーが誇大広告にならないのか疑問だ。

そもそも、なぜ働き方改革が始まったのか?背景や目的を振り返ろう。

国の考える働き方改革の狙いとは?

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働き方改革とは?(首相官邸より)
働き方改革は、一億総活躍社会実現に向けた最大のチャレンジ。多様な働き方を可能とするとともに、中間層の厚みを増しつつ、格差の固定化を回避し、成長と分配の好循環を実現するため、働く人の立場・視点で取り組んでいきます。
働き方改革の目指すもの(厚労省より)
我が国は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「育児や介護との両立など、働く方のニーズの多様化」などの状況に直面しています。
こうした中、投資やイノベーションによる生産性向上とともに、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境を作ることが重要な課題になっています。「働き方改革」は、この課題の解決のため、働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指しています。

中間層とは会社や団体などに従事して働くものだが、この層の格差を無くし、増加させる事で給与所得による税収アップと、消費増加の循環が出来ると考えているようだ。

一方で、労働力の減少や労働に対する生産性に課題を持っており、それを解決しなければ中間層の厚みにも繋がらない、ということで様々な改革が必要なのだ。

つまり、多様な受け入れ体制を作り、労働力を増やした上で、さらに働きやすい環境を作る→パフォーマンスが上がる→生産性が上がる→給料が増える→税収が増えるという好循環を生み出そうという事のようである。

さぁ、このような壮大な取り組みだが、撃沈したプレミアムフライデーや、今回の残業時間、有給休暇、非正規雇用の待遇改善という国が主導する改革で、果たして企業やワーカーの抱える課題を抜本から解決し、国が目指すものを実現出来るのだろうか?そして企業の業績UPはいかに!

もう一度言おう、改革とは現体制を維持して変更や改善を加えるもので、権力や組織を抜本から変える革命とは異なる。

日本が直面している労働力における課題

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では、少しマジメに今、我々が直面している労働力における課題を振り返ろう。

労働力の減少①:人口減少

企業が直面する問題として確実にあるのは労働する人手の減少だ。少子高齢化により、これから数十年に渡り高齢化率は上昇し、さらに少子化により、その後の人口減少が加速するにだ。つまり、現在15歳〜65歳までとされる労働人口が減少の一途を辿ることになる。

労働力の減少②:労働時間減少

さらに、一人当たりの労働時間も減少している。ITやAIが発達する現代に置いて、労働集約型であった以前のように生産性は労働時間では計れないが、日本人の労働時間が先進国の中でも決して多くはなく、むしろ平均さえ下回る水準なのだ。

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参考:OECD 国別の労働時間統計

確かに、人口が減り、労働時間が減っても生産性が上がれば、それに越したことはないのだが。。しかし、日本の労働生産性(就業者一人当たりのGDP)は、OECD加盟国中で21位とアメリカの2/3程度の水準となり、決して高い水準ではないのが現実だ。GDPは増加していると言うだろうが、これは世界全体が増加している中で、日本のシェアは下がっているという状況や、震災関連の公共支出が増えているということを考えると威張っていうことでは無いだろう。

華麗に企業へ責任転嫁して解決?

このような中、政府が進める「働き方改革実行計画」では、労働における課題として、正規・不正規の格差、長時間労働、キャリアパス改善という3点をあげている。

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ここで一つの矛盾にお気づきだろうか?

労働力が減少するのが明らかな状況で、さして生産性も高くない、我が国の労働環境で政府はさらに長時間労働の問題を掲げ、労働時間を減らそうとしているようである。そもそも、無駄な時間を減らせば生産性は上がるのは当然だが、生産量は増えない。時間を減らすことより質を上げることが必要だという認識がないのだろうか?

さらに正規、非正規の待遇の問題を挙げているが、景気変動により人件費を調整することは、資本主義としては当然のことだし、政府が主導して正社員を過度に保護する法律を作ってきた過去や、派遣の規制緩和をしておきながら改正するなど、問題が起こるたびに対処療法的に後手で対応してきたツケでは無いだろうか?まさに自作自演だ。

キャリアパスの問題についても、新卒一括採用や終身雇用制などを推進し、労働集約を基本に成り立ってきた法律や制度をいつまでも続け、ジョブ(役割)よりポジション(役職)を重視するお役所体質を民間にも当てはめていった国の責任は大きい。にも関わらず、お役所(霞ヶ関ともいう)自ら先導せずに民間にだけ押し付けるのもナンセンスだ。

ただ、ここでは国の批判をしたいのではなく、働き方改革というものが、日本の課題である生産力を上げるための取り組みになっているのかを確認したいのだ。「働き方改革」という大義名分により、これまで自ら生み出した問題を水に流して企業へ責任転嫁するのではなく、ぜひ危機感を持ってもっと本質的な部分に向き合った取り組みにして欲しいと願うのだ。現場の労働力減少は危機的状況なのだ。

生産性の課題を解決するにはどうすれば?

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労働集約型から脱却し、生産性を上げて行く為には、もちろん、ITやAIなどのテクノロジーを活用して効率化する仕組みは不可欠だ。だが、働き側や働く人を受け入れている企業から見た場合、それらを活用して行くためには、導入するだけではなく、個人と企業の両方が変化に対応する柔軟性や許容力、自由な発想力などを高めて行く必要があると考える。

・労働力を確保する

労働力を確保するためには、雇用に関する不合理や不平等という問題は、正規・非正規という事だけではなく、人種、家系、階級、利権、学歴、性別、地域などもっと広く、根深い問題があるのではないだろうか?これから、多様な労働力を受け入れ、共存してゆくダイバーシティを本当に実現しようと思うなら、これら偏見や差別などの問題に目を背けずに解決するところから必要なのではないだろうか。

・個人の生産能力を上げる

あわせて、もちろん個人が自立し能力を上げる必要もあるだろう。これまでのような組織に依存した年功序列や経歴を重視するようなボジション(立場)で仕事をするのではなく、自分のジョブ(役割)を明確にし、フラットで責任を明確にした仕事に変えて行くこと。そして、労働の価値基準を時間より成果を重視するといったように、仕事に対する考え方や取り組み方の抜本的な改革、社会に出る前からのキャリア教育から見直す必要があると考える。

・組織として継続的な生産能力を養う

企業側も、もちろん継続的に生産性を向上させる仕組みが必要だ。世界と戦えるようなビジネスを生み出すには、企業の平等な取引や競争力が必要ではないだろうか?企業規模や社歴などによる取引基準や大企業が優位な既得権益などを振り払い、競争力あるビジネス環境がないところに発展性は無いだろう。

「働き方改革」をまともに受け入れるとどうなるか?

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しつこいだろうがもう一度、国が進める「働き方改革」を見ながら実際の仕事に当てはめてみよう。果たして業績UPに直結するのだろうか?

働き方改革の目指すもの
働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにする

働き方改革が目指す多様な働き方を選択できるようにすると、フリーランスなどが増え、業務時間もバラバラ、もちろん、9時-5時や土日休みという概念がないのだ。もちろん、素晴らしいことだしどんどんやって欲しい。

働き方改革による法改正
残業時間を月40時間を上限とする制限に、有給休暇を確実に取得させる時季指定、非正規の正社員との不合理な待遇差の禁止

一方、働き方改革による具体的な動きはというと、働き方改革というよりは、働かせない改革?とでもいうような、正社員が弱体化させ、生産性を上げるはずが能力低下すら招きかねないものではないだろうか。もっと働きたい!という向上心あるビジネスマンは組織で浮いてしまわないだろうか?

つまり、これを同時に行うとどうなるか?

今回これを書いた経緯でもあるが、もし今の「働き方改革」を真に受けて実施した場合、本当に回るのか疑問を持ったのだ。というのも、創業1年に満たないスタートアップである我が社では、働き方改革を意識するまでもなく、多様な働き方を推奨している(そもそも人材確保ができない)訳だが…。

現在は、常勤役員は私のみ、正社員が5名程度、フリーランスが10名ほどという体制で、曜日や時間関係なくSlackで来るやる気に満ち溢れた優秀なフリーランスという戦士達の対応を、ほぼ一人で24時間365日体制で行なっている。

正社員は、振替など以外、週末にSlackなどに現れる事はほぼ無いし、フリーランスの皆さんもそれをわきまえているようだ。私にすら「休日にすみません。」という書き出しから始まる。

私は仕事をしたいし、役員に休みは無いので問題はないが、「働き方改革」という、むしろ「働けない制度」により、経済的な格差だけでなく、仕事を進める上での壁や、能力の格差も生まれてしまうのではと懸念している。

最後にもう一度言おう。

“改革とは現体制を維持して変更や改善を加えるもので、権力や組織を抜本から変える革命とは異なる。”

さて、「働き方改革」は誰のために、何のために作られたものなのだろうか?これから我々の働き方は、未曾有の高齢化社会や労働のグローバル化を迎えるなかで抜本的な見直しが求められる。半世紀以上前に作られた制度の上での改革ではなく、それを全面的に見直す「革命」のこぶしを振り上げる時は来るのだろうか?

(おしまい)

走りながら考える