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自分の小説世界を広げるために イベリア半島篇

スペイン人は自国の歴史を書かないと言われます。優れた歴史本と言うと、外国の人が書いたものということになるようです。なぜなんでしょう。
スペインやポルトガルはギリシア人やフェニキア人、ローマ人といった多神教で農耕や商業や建築に優れた文化の人たち、そのあとにヴァンダルによる破壊、ゲルマン系のスエヴィー、西ゴートといったキリスト教を受容していく人たち、そしてウマイヤ朝やムラービト朝、ムワッヒド朝、ナスル朝グラナダ王国といった砂漠の文化をもたらしたイスラームの人たち、またレコンキスタで押し戻すアラゴン王国やカスティリヤ王国といったカトリックのキリスト教徒の人たち、植民地帝国下で抑圧されてアフリカやカリブ海から連行されてきた人たち、没落、その後スペインは右派と左派の入り乱れるスペイン内戦、フランコ独裁、王家復活、ポルトガルは地震で没落にとどめを刺された後は停滞、サラザール独裁、民主化という多様な文化の通り道なんです。特にスペインの場合、自分がスペイン人だという中立的な視点で歴史を描くのが難しいのかもしれません。アンダルシア人だ、バスク人だ、カタルーニャ人だという地方の意識はあるんですけどね。ポルトガルも地域色はあるんですけど、中央と地方の争いが長く続いたことがなかったからなのか、そんなには強くない印象です。


「白の闇」 
サラマーゴさんはノーベル文学賞を受賞しています。初めて読んだポルトガル人の小説でした。
ある日突然失明した人がいて、これが伝染していくんです。隔離された人たち、兵士は恐れから近づかず、食料も滞り、トイレは汚れ、服も汚れ、不用意に近づいては「来るな」と射殺され、乏しい食料を巡って僅かに残った貴重品の奪取など阿鼻叫喚の様相を見せます。ここでは以前から失明していた人たちが優位に立ちます。けれど、一人だけ目の見える医者の妻が悪人たちの首領を殺します。若い女性は隻眼の老人の内面を愛すようになります。いつしか、兵士の姿もなく、火災を避けるため街へ出ると、目の見えない人たちが町中を徘徊していたんです。そして医者の家へ行くと、そこで共同生活している間に突如開眼するんです。目が見えるようになるんです。極限状態における人間の理性、欲深さ、性欲の強さ、組織化、意志の強さと高潔さ、犠牲的精神、博愛、人間らしさなどの強度が測られ、試される、そういう小説です。

「破滅の恋」
ポルトガルのカミーロ・カステーロ・ブランコさんの作品です。19世紀ロマン派の人なんですけど、古さは感じず、面白いので書いておきます。人妻と重婚して監獄に入れられたときに書いた小説です。対立する家同士の恋人というロミオとジュリエットを想起させる始まりですが、男は逃避行、女は修道院へというところから、二人の純愛が試されるぅ です。

「不穏の書、断章」
フェルナンド・ペソアさんの作品です。この人は偽名をたくさん持っていて、貧しい中で亡くなったんですが、死後、高く評価されたんです。イタリアのタブッキさんがぺソアさんのことを書いていますね。この作品は小説ではありません。詩のようでもあり、警句のようでもあり、日記のようでもあり、何とも形容のしようがございません。読んでいると、とくに沈んだ時に読んでいると、あああああそうなんだよねええ ああああそうかあああ となったりします。ムンク、デ キリコを観ている感じに近い気がします。絵画ほど深層心理に働きかけるわけではありませんが。


「二人の死者のためのマズルカ」
ノーベル文学賞を受賞したスペインのカミーロ・ホセ・セラさんの作品です。10作目の小説で、作品ごとに手法を変える作家です。
家族や親族と、やたらキャラが多いんです。ガリシア地方のドンカミロは、内戦中の不在を埋めるために、故郷の土地の語り部アデガから話を聞くんです。そこに自伝を書いているロビンレボサン、そして著者の語りが混じります。井戸端会議をそのまま聞くような感じです。生き延びた人が死んだ人を語るんですけど、無名のただの人数ではなく、名があり個性があり、主観的に癖や趣味や外見が捉えられ紹介されるんです。新しい歴史記述の方法かもしれないですね。「ある昭和史」に匹敵すると思いました。
一人の死者につき2、3行で次々と進むんです。生きていた頃の話も別のところで現れますけどね。引用すると、
「ーは~の戦場で死んだ。潜るのがうまい男だった。潟湖に潜って宝を引き上げられるとしたらあの男くらいだった」
「~は額を撃ち抜かれて死んだ。いつも暴力をふるっていた。葬式では誰も泣かなかった」こんな感じです。
話の主軸は親類である一族の二人の死と、その復讐です。「復讐は山の掟だ」、なんだかこういうセリフは印象に残ります。

「エトルリアの微笑み」
ホセ・ルイス・サンペドロさんの作品です。イタリア南部に住む頑固で保守的な男性が、余命が少ないので、息子夫婦の住まう北部のミラノに赴くのですが、立ち寄ったローマの博物館で、古代エトルリア文明の墓の彫刻を目にするんです。夫婦が寄り添って幸せそうにしている作品です。自分もこうありたいものだと思い、大都会ミラノに行くと、耐えがたい醜い都市と感じるんです。けど、孫に愛情を注ぐことで息子夫婦とも邂逅があったり、頑固さがやわらいだりと、「クリスマスキャロル」のスクルージを想起させる物語です。

「ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ」
キルメン・ウリベさんの作品です。バスク地方で1970年に漁師の家に生まれたそうです。比較文学の他に、新聞のコラム、シナリオライター、翻訳、詩集といろいろ手掛けています。
祖父の漁師にまつわる家族史三代の物語で、時間はいったりきたりするんですが、その素材で「小説を書く過程」を書きます。飛行機に乗って、機上で会話して、自分の話をしたり構想を語ったり、こんな人に話を聞きに行ったと報告したり、上空を通過する街に○年にいたことがあると思い出を書いたりする。祖父の船ドス アミーゴス(二人の友人)号の由来を探したり、ニューヨークへは講演でも行くし、内戦時代の亡命者の知人が多くいるからと訪問したり。地元の著名人、風習なども書いていて、二世代前の失われつつある文化の記憶にもなっているのです。
連想と断片を繋いだ作品という印象です。

「さらば、アルハンブラ 深紅の手稿」
フランコ独裁後の歴史小説ブームのなかで生まれた大ベストセラーだそうです。アントニオ・ガラさんの作品で、グラナダ滅亡時の最後のスルタンを描きます。モロッコで発見された、スルタンが書いた手稿を再び私が発見したというメタ構造で書いています。「ドン・キホーテ」以来のスペイン文学の手法で、「春琴抄」「エドウィン・マルハウス」など世界中に普及しているものですね。
誰がスルタンでも滅びる運命だった時期に生まれたのですが、妻のモライマは母が決めた結婚だったけれど、彼は愛を知った。父は優れ、叔父は英雄、そして自分がいる。弟が死んで腑抜けになったその父、スルタンを名乗った叔父、結局は史実通り1492年1/2入城した指揮官に、そして1/6に正式にカトリックの両王に城のカギを渡します。

「黄色い雨」
スペインの作家リャマサーレスさんの代表作。過疎化して荒廃する村で、一人残った男性の独白です。家々は傾いて、亡霊は現れるし、食べるものもないし、自分が生きているのか死んでいるのか分からない。衰退という言葉を小説にするとこうなるのかなあと思いました。

「風の影」
カルロス・ルイス・サフォンさんの作品です。バルセロナの街を舞台に、一冊の本を手にしたところから、作家の正体を探るダニエル少年ですが、本を燃やそうとする顔のない男、悪名高い刑事、手を貸す元情報員の書店員、友人とその美貌の妹との恋、作家の恋人などとの関係、そこにフランコ時代の影がというミステリーです。そして忘れられた本の墓場など、魅力的な場所が登場するんです。サフォンさんは本が好きなんだなーとわかります。
終盤で謎や噂があれよあれよとひっくり返されていく手腕が見事ですね。執念、憎しみ、諦念、懐古。本から人間、歴史へと物語が広がって、深みを持っています。貧富の差、内戦が後を引いていて、職を得られない、びくついて暮らす人びとなどが現実を反映しているのも作り物ではない感を与えています。

「天使のゲーム」
カルロス・ルイス・サフォンさんの「風の影」に続くシリーズの2作品目。バルセロナの少年ダニエルは本を憎む父に反抗しつつも、センペーレと息子書店から本を借りていました。父が死ぬと、庇護者のペドロが世話を焼いてくれて、仕事を始めた新聞社では小説の才を認められます。悪徳エージェントの元で苦労する間に、死を宣告されたりもしますが、ある手稿を本の墓場で見つけたところから、謎の男を調べ始めます。
シリーズ第三作が「天国の囚人」、第四作が「精霊たちの影」です。
サフォンさんは2020年に亡くなってしまったんですけど、こんなにわくわくして、物語世界に没入できる作品を描ける作家さんは上村にとっては少ないので、日本語に訳されていない作品を、読んでみたいですね。

こうしてみると、やっぱり自分の故郷である地方の都市、村、外国を舞台にしている作品が多いですね。マドリードやスペイン全体を描くことは、難しいのかもしれません。


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