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人間関係をリセットしたくて何個もアカウントを作ってしまう病が落ち着いた話

【1867文字】

まず、病と症状の紹介をします。

タイトルの傷病名は私が勝手に名付けました。私は、ツイッターで5個以上のアカウントを持っています。
削除したものを含めればのべ2桁個あるかと思われます。
作り直す、増やす、削除するのは決まって↓のパターン。

アカウントを作る

新たに人間関係が構築される

嫌いな人、合わない人の出現

ブロックや、ミュートすればいいのに、本人と共通のフォロワーに避けてるって察せられるのが気まずくて、その人のツイートを見続ける羽目に

見たくないものを見続けているせいで自分も鬱ツイートをしがちに

違うアカウントを作成してゼロからスタートしたくなる(リセット願望)

という。
これが癖になる理由の一つに、なぜか「アカウントを新規作成すると自分と波長が合う人数人となぜか新たに出会える」という成功体験が起きていた。
一時期はこうしてたくさんアカウントを作って、各アカウントから波長の合う人だけをご招待する鍵垢を作れたら楽しいんでは!?と思ったこともあった。


原因を考えてみた

こうして文章にすると、なんとくだらない小さなことで時間を無駄にしているのか、と情けなくなりますが、客観視すれば情けなくても、渦中にいる私は悩んでいたわけですから、蔑ろにするもの自分が可哀そうで、この件はちゃんと悩むことにしたのです。

ネット上とは言え、これは人間関係のリセット癖なのだと思う。
メンヘラは人間関係をリセットしたがると聞いて、分かる~と思った。
(嫌いは確固たるものだが、好きはその日の気分や体調によって嫌いになったり、要は人を好きになりにくい質なのです。簡易診断によれば軽度うつ、うつ傾向の才能があるらしい。というか、現代社会・日本でうつの気がゼロな人いないんじゃないかなと思うのだけど……)

私はミュートやブロックの機能をもっとみんなが手軽に使ってくれたらいいのにと常々思っています。
みんなが使わないから、私も使いづらい。

あと、私の投稿を見て不快になったお気持ち表明を全世界に発信されるのがすっっっっっっごく嫌い。
勝手に見て勝手に不快になって、自分の物差しで測って私について酷評して私の評判を下げるという、私より暇な人がいる。
その暇人がお気持ち表明をしないように見張っていなきゃ……、って気持ちになる。
こちらをブロックしてるくせにわざわざ別のアカウントから投稿をチェックしている超暇人というのも一定数いるという話を聞いた。
ブロック相手の投稿を覗きに行く原因も成功体験らしいです。
こいつ嫌い!→ブロック→でもわざわざ見に行く→ツイートを読む→思った通りだ!やっぱりこいつは嫌なやつ!私の見る目は確か!という成功体験。脳汁が出るらしい。
そう言われると分からなくもないし、見なきゃいいのに見る行為という点では近からず遠からずだし、なんとも言えない気持ちにさせる。


対策

上の項から原因は3つあることが分かる。


①元々持っている、人間関係のリセット癖
→他人を気にしすぎ。そんな暇があるなら自分の内面に向けて自分を磨く方が絶対に良い。我慢して限界を迎える前に距離を取ればいい。あと、嫌われたくないのなら、愚痴ツイをしなきゃいいんだよな、と思ってやめた。

②ミュートやブロックを使わない
→使えばいい。ミュートやブロックをされている?と思われたっていい。言われたらその時に考えればいい。小賢しくなった今ならどんな言い回しだってできるし、話さえできればどんな結果にだって持っていけるようになったから、安心して活用する。嫌われてもいい。

③お気持ち表明を全世界に発信されるのが嫌で見張らなきゃと思ってしまう
→見なきゃいい。ネット上でも相手は人間って言葉があるが、それはそうなのだが、顔も知らない人たちには嫌われたっていい。全人類に好かれるのは不可能。そのためにも、「個人が特定されるツイートはしない」「気軽に会わない」「会う相手を見極める」「会おう!という話はDMでだけにする(他の人が見えるところではしない)」


結果

正直、この記事を書き始めた頃は本気で悩んでいたから、たくさん考
えて努力しないと改善しないと思っていた。
ところが、「嫌われてもいいや」と思ったら、SNSは何事もうまくいくようになった。
あんなに人に嫌われるのが怖かったし、モヤモヤしていたのに、人のことがどうでも良くなった。
これは、「嫌われてもいいや」精神ともう一つ、「体力の衰え」だと思う。
怒る、不安がる、心配する、悩む、人に関心を持ち続ける体力がなくなった。
もしかしたらこういうのが大人になるってことなのかも知れない。



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