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500円玉とワクワクと貯金箱

ポイントを貯めるよりも、500円玉を貯めたいなあ。

我が家もキャッシュレス化の波にのり、家計の出費はキャッシュレスが多くなりましたが、私個人のお買い物となればまた話はべつで、いまだ現金主義を貫いています。
その理由はズバリ、冒頭にも書いた500円玉貯金がしたいから。

500円玉にこだわらなくとも、ポイントにも貯めるワクワクはあるのですが、私は(超個人的に)貯金箱に貯めるほうがすきだなあ、と思ってしまいます。

10年以上連れ添ったブタの貯金箱(ゴム蓋がついているので割らなくても中身が取り出せる)に、500円玉を入れたときの「シャリン」という音。
そのブタさんを横目に、いくらくらい貯まったかな…とニンマリするとき。
貯まったお金で何をしようかなあ、なんてワクワクと考える時間。
そして2年に一度、貯金箱をあけて中身をかぞえる、あの瞬間。

うれしいなあ。たのしいなあ。
そんなふうに、思ってしまうのです。

たとえ小銭をコツコツと貯めたとしても、いまはどこの銀行でも硬貨の預かりには手数料がかかりますし、メリットばかりではありません。
でも、私は貯金箱にワクワクを貯めていると思っているので、500円玉貯金は「損得」の問題ではないのです。

そういえば、私のすきな映画に三島有紀子監督の『しあわせのパン』という作品があるのですが、そのなかで、主人公のリエさんとミズシマ君が、ガラス瓶のなかに小銭を貯めるシーンがあります。

透明な瓶のなかに入っている、十円玉や百円玉や五百円玉。
口もとをほころばせながら、瓶のなかへ小銭を落とすふたりの姿。

ひとつ、いいことがあると、持っていた小銭をなんとなく貯めることにしています

三島有紀子脚本・監督『しあわせのパン』


この場面がとてもすきで、ああ、これは小銭じゃなくて、しあわせを貯めているんだなあ…と、ほんわかした気持ちになります。

硬貨とともに、うれしいと思う気持ちを貯める。
とってもすてきな行動だなあと思ってしまうのです。

そしてきょうは、私の貯金箱をあける2年に一度の日。

ブタさんのお腹をカラッポにしてしまうので、ごめんよ…とこころの中で謝罪をしつつ、いそいそとカーペットに硬貨をひろげます。

中身があるときはズッシリと重いので、ブックエンド代わりになっている貯金箱。


うれしいことに、ちょっといい温泉旅館に一泊できるくらいの金額が貯まっていました。

夫婦のヘソクリは別でコツコツ貯めているので、これは私のおこづかい。
遣うために貯めているので、だいじに遣うつもりです。

(中略)五百円玉の山は日々の買い物に遣われている。自分で貯めたお金にもかかわらず、遣うたんびにうれしい。この上もない幸せを感じる。

群ようこ「五百円玉貯金」/『暮らしの文藝 お金がない!』(河出書房新社)P.19


ワクワクとともに2年もかけて貯めた500円玉を遣うときというのは、まさにこんな心持ちです。

(ちなみに、河出書房新社さんのこの本のタイトル。あまりにド直球すぎて、本屋さんで手にとるのを一瞬ためらってしまいました。でも、いろんな作家さんのお金にまつわるエッセイや短篇が収録されているのでおもしろいです)

群さんは五百円玉を握りしめてお買い物に出かけていましたが、私はどうしようかなあ。

豪華ランチ?日帰り旅行?ほしいものゲット?

貯めるときもワクワク。
遣うときもワクワク。

来年も再来年も、きっと私は現金主義なんだろうなあと、ニンマリ思ってしまいました。


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