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私の大切な人たちへ

 「大切なモノ」と聞いて思い浮かべるのはどのような存在でしょうか。
家族や恋人、友達、あるいはペットなどの動物かも知れません。

 世界には本当にたくさんの人たちが住んでいて、私たちが一生のうちで関われることができるのはほんの一握り。けれども自分自身のある一区間ーーたとえば今年に入ってから今までの間ーーに焦点を当ててみると、思い出せないほどのたくさんの出会いがあったのではないでしょうか。交流の深さに関わらず、会うと挨拶する近所の人や職場の人、街ですれ違うことも出会いに含まれると考えます。

 有難いことに、私は本当に多くの人と出会い、関わってきたと思います。では、その人たち全てが大切な存在だと私は捉えられているのでしょうか。

 これまでの中で全く同じ性質を持つ人というのは一度たりとも見たことがありません。蓼食う虫も好き好き、人は良いものだから欲しいのではなく、自分が欲しいと思うもの良いと考えます。
己の私利私欲のために、顔色一つ変えずに他人を嬲れる人も存在します。

 残念ながら私は善人ではありません。私の両腕で抱きしめられる範囲は限られています。身の危険を感じる環境や人から「距離を置く」という選択肢が常に内在しています。


 私には迷った時に道標となる先生がいます。大学時代の所属研究室の教授です。先生は多忙な日々をお過ごしで、私も修了した身なので今はほとんど直接会ってお話する機会はないのですが、この先も師事していたい恩師です。

 その先生が、我々ゼミ生の卒業式にそれぞれ手紙と絵本を贈ってくださいました。工藤あゆみさんの『はかれないものをはかる』という本です。タイトルにある通り、感情や言葉、出来事の質や重みなど数字では表せないモノたちをはかっていくのです。自分の心の中を整理したり、眼を瞑りたくなるような過去を肯定的に受け止めらるようになるような、自分の表面的な部分と深淵に潜む部分を繋ぐ糸のような、そんな本です。

 それ自体がとても素晴らしい本なのですが、手にしたその本を開くと、驚くことに先生が作者の工藤あゆみさんに依頼し、私たち一人一人に当てた直筆メッセージが添えられていました。当時は、「卒業する大学生に絵本をプレゼントするなんて、なんと粋な」と、浮ついた気持ちで、頂いた言葉の本質に辿り着くまでずいぶんと時間を要しました。

 絵本に描かれたメッセージは、「僕の心に住んでほしいな」でした。手紙には「様々なものを”つなげること”が出来ましたか」と書かれていました。先生から学生の私に送る最後の問いでした。
 あれから数年、幾度となくこの手紙と本を読み返し、ひたすらに自問自答を続けた今、自分なりの想いの結晶が形成されたように感じます。

 私が導き出した答えは「君の心に住みたい」です。

 例えば、あなたが情念の波に飲み込まれて闇をさまよっている時、私との会話の中から光を見つけ出したり、私の馬鹿な行動を笑ってくれるなら全力で応じます。少しでも気が紛れるのであれば時間も労力も惜しみません。楽しい瞬間があるならば、私はその楽しいことが最大になるために尽力するし、それを共有できたらなにより幸福です。
 たくさんの人との関わりの中では幾年も会っていない人や一言二言しか交わしていない人なども多数存在します。しかし、その人たちがどこかふとした瞬間に私の動作や言葉を思い出す瞬間があるならば、私はその人の心に住んでいたのだと思うのです。今、これを読んでいるあなたも数日後や数カ月、あるいは数年後になんらかのきっかけで思い出していただくようなことがあれば、私の想いはあなたの心に住んでいると考えます。
 インターネットのおかげで住む場所に関係なく誰かとつながっていることが容易になりました。私がnoteを投稿するようになったこの半年の間にも、旧友からの連絡をいただくことがあり、大変嬉しく思います。noteを始めたきっかけはあくまでも自身の思考の整理のためであって、誰に見せるものでもありませんでした。しかし、これによって人とのつながりが可視化できるようになりました。そして、彼らに支えられ、助けられて今の私がいることを強く認識するようになりました。私の心には本当にたくさんの人たちが住んでいます。それが私の大切なモノです。

 今これを読んでいるあなたももちろん、私というちっぽけな人間に関わってくれて、支えてくれて本当にありがとうございます。会わずとも、話さずとも通じていると私は信じています。誰かの心にそっと身を置けるような生き方をしたいと私は願っています。

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