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共生社会で起こりえること

思い出したくないのに
思い出されて、疲れるな。

きつくて冷たい言葉を言える人って、
世の中たくさんいる。
大抵そういう人って、、
だれかに、注意も指摘もされずに
延々と言い続けるよね。

言ってる人からしたら、
だれにも指摘されないし、
私はあなたのことを想って
正しいことをいっているのよ。
って思っているのだろうな。

それとも、あれかな。
私は、ほかの人から辛い思いを
してきて、ここまで来たのだから
あなたも、同じ目にあって当然よ。
とか思っているだろうか。
それって精神論だよね。

過去を振り返って
なぜ、あそこまで、
大勢の前でどうでもいい
小さい小さい失敗を
声を張り上げて指摘されただろうな。
って思うことがある。

こういう人って、
年数がかなりある人なんだよね。
それか、親ぐらいの年の人だよな。
ただの八つ当たりだよな。
でも、その人は注意されない。

そこに「障害」への理解や配慮が
加わるのだから、難しいよね。

「障害」への理解や配慮は
障害がある人が
障害に配慮のない人や社会に対して
理解や配慮することなのかって
皮肉めいて思うときもある。

なぜそう思うのかって?

障害への理解や配慮という
概念がない人の方が多いから。
もしくは、障害への理解や配慮という
概念のない人の意見に攻撃性があるから。

日本は、そういう人を注意も指摘もしない。

だから、そういう人の声の方が
本人にダイレクトに聞こえてくる。

なにが、合理的配慮への提供なのだろうか。
なにが、建設的会話なのだろうか。

まずは、相手を傷つける言葉をいわない。
それから、始めないといけないように思う。

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障害があったとしても、一般と変わらないところの方がおおいです。ただし、症状がでると休みが必要です。そのなかで、明るい未来を過ごしたいし、働きつづけたいと身の振り方を手探りで考えつづける、よたろうです。そんな、記事をサポートしてくださる方、同じ思いの方、よろしくお願い致します。