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若気へと至る選択をしよう

1日でバイトを辞めた。駅までの道なりにまたいできた、泥水のようなミルクコーヒーに、ふと思い立って角砂糖を放り込む。半分も残っていないぬるまったそれは、一杯にちょうどよく作られた美しい立方体をじわじわと殺していく。コポ、コポとこんな死に方は望んでいないみたいに、あつい風呂へ飛び込む入浴剤みたいにいさぎよく死にたかった、と弱々しくつぶやくそれを、ティースプーンの代わりにと差し出された洒落た木べらでコツコツと叩いてやる。アリの巣に水を流し込んだ時と似ていた。

少しかき混ぜると均整の取れた立方体は崩れて、木べらの先にざらりとした感触を掴む。やたらと香り立つ泥色の液体は、いくら覗きこんでも彼がどうなったのかは教えてくれなくて、そうか成程これがシュレディンガーの猫、と若者らしく知ったかぶることで納得してみる。

やけに分厚い白のカップへ口をつけた途端、流れ込んできた怒涛の馬鹿みたいな甘さに、角砂糖から強烈な非難をまともに浴びせられたようにくらっときて、変人のように見られたかもしれない。思わず目だけであたりを見まわす。

朝はやくから営業するチェーンのコーヒーショップは、出勤前に一服するサラリーマンの咳払いと、幼子をあやす母親の揺れる衣擦れの音、さわやかな挨拶をサービスする若い店長の声と、遠慮がちに流れているどこぞの洋楽で満たされていて、つい1時間ほど前、飯田橋の改札ではたと立ち止まり、気がつくと踵を返し地下鉄に戻っていた私を、声高に咎め糾弾するものは当たり前のようにいなかったから、いま殺してしまった角砂糖が全身全霊をもって私を説教しているように思えた。ごめんなさい、と飲み下した喉の奥で呟く。猛烈に、なんだか間違っていると思ってしまったのよ。

ガラス窓に映る時計は、長針と短針が2と10を指している。そういえば近くに図書館があった。もう10時をまわったから、あの場所はきっと今日一日、愚かで可哀想な私を癒してくれるに違いない。暇つぶしの文庫本の残りを、冷たく甘ったるいコーヒー味で流し込んで席を立つ。手首に星型の墨を入れたお姉さんが、食器はそのままで、気をつけて行ってらっしゃい、と笑いかけてきた。なんとなく楽しくなって、ごちそうさま、行ってきます、と笑い返した。どこにも行かないのだけど。

出がけに慌てて掴んだビニール傘は用をなさなくなっていた。青空も好きだが、真っ白な光が空じゅうを包んでいるのも悪くなかった。そして、今朝のようなやわらかな雨も嫌いではなかったが、洗い流された後の少し湿った、どこまでも澄んだ綺麗な空気こそむしろ好ましかった。大きく肺を膨らませる。タバコよりずっといい。これならきっと、素晴らしい1日が私を待っている、と肌が悟って、うきうきと心を弾ませながらスマートフォンの電源を切った。

2015年6月

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