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読書日記~『社会人大学人見知り部卒業見込み』若林正恭著


漫才コンビ、オードリーの若林正恭さん。
今、ノリにノッている。と思います。テレビでもラジオでも人気。

 この前は、若林さんの『ナナメの夕暮れ』を読みました。


(その時のnoteです。同じようなこと書いているけど、はっておきます)

今回のはその前に書かれたもの。読んでからだいぶ時間がたってしまったのですが、是非感想を書かないといけない本。


 雑誌の連載をまとめたものです。30歳の頃からの話。今は45歳でしょうか。(2010~2014頃の連載分。文庫の発行は2015年)

自己分析

 若林さんはどうしてそんなに自分の心を深く見つめ、分析し、言葉にするのがうまいのだろう。頭いいですよね。豊かで的確な言葉をどこから生み出すのだろう。

自意識過剰について。美容院で髪型を聞かれて、事細かにオーダーするのが恥ずかしい。スタバで「グランデ」と言えない。「かっこつけようとしているじゃん」と思われたらどうしようと怖くて仕方がない。

誰もぼくのことなんか見ていない。それはわかっているのだ。だがしかし、だ。ぼくなのだ。ぼくが!見ているのだ!

P51~52より引用(以下同じ)

「笑って」と言われても、楽しいこともないのに笑えるかよ」と、今やロックバンドのメンバーでも言わないようなことを本気で考えていた。

P.133

 自分に正直なんだろうと思います。だから世間と「軸」が合わないこともある。合わせられない。自分で、「なんて面倒くさいヤツなんだ」と思う。それを正直に書いてくれている。

 自分の気持ちをそのまま言葉にする。これは結構難しい。

世の中には、同じようなことを思っている人はたくさんいる。だから代弁してくれて、救いになっていると思います。

実際、この前、テレビの「午前0時の森、こっち側の集い」で、こっち側、つまり、人見知りだったり人付き合いが苦手という出演者が、この本を持ってきていて、熟読しているって言ってた。線を引っ張ったり、気になるページの角を折るドッグイヤーをしたりしていた。サイン下さいと言いかねない雰囲気でした。


キャラメル・マキアート

納得の言葉の数々

この本の読書ノートを書きました。印象的だった文を抜き書きしたのですが、あり過ぎて、12ページにもなってしまった。例えば

笑い声が聞こえるとき、人と人は通じ合っている

P.188

人嫌いと人見知りは違う。

本当は人に近付きたい、でも近付いて嫌われたくないという自意識過剰な人が人見知りになる。人見知りの人は周りに人が少ないから孤独感を勝手に抱き始める。そうなると誰かに理解して承認してもらいたくなる。承認欲求が芽生えると表現なんぞを始める。

P.237

まったく、私のことではないか。

太陽の塔の前面と後面の顔を見た時に、自分の中に違う顔があっていいのだと、陰鬱で暗澹たる想いがあっていいのだと、初めて肯定されたような気持ちになった。(略)想いはひとつでなくていいんだ。

P.324

岡本太郎に影響を受けています。

平野啓一郎の「分人」

若林さんは、平野啓一郎著『ドーン』という小説を読んで、「ディヴ(分人)という言葉に興味を引かれます。ディヴとは、恋人といる自分、会社での自分、両親の前での自分と、人には様々な自分がいて、その分けられた一つ一つの自分のことです。

自分の中にもいろいろな自分がいる。

本人も言っているけど、年月がたって、変わったところもある。変わらないところもある。
わかったこともある。変わらないけど、見方が変わる。


私も、人付き合いが苦手だけど、彼と似ているところもあるし、違うなあと思うところもある。年を取ってきて変わったところもある。

人はひとくくりにはできない。それぞれなのだと、そんなことも思いました。「人見知り」でひとくくりにできない。

若林さんのまわりには、そんな彼を受けてくれたり、こうなんだよと教えてくれたりする人がたくさんいるなあと思いました。「君は何でも俯瞰で見てしまうから楽しめないんだよ」
  その輪がうらやましいと思います。


最後に、

慣れていくことが増えていく一方、ぼくにはずっと慣れないものがある。これを書くのもとても恥ずかしいことだがこんな機会だ。
書こう。
慣れないことは感動だ。
本気で言っている。

P.352

いいんですよね、そのままで。

私のこの本、赤ボールペンとドッグイヤーだらけになりました。


*ヘッダー、またお借りしました。若林さん、もうちょっと男前だけどね。


おいしいコーヒーでもどうぞ

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