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アンノウン・デスティニィ 第19話「アンノウン・ベイビー(7)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第19話:アンノウン・ベイビー(7)

【2036年5月11日、鏡の裏、つくば市・実験林内アジト】
 実験林の正門は市道に面した西側にある。
 北に300メートルほど進んだ敷地の北端で道路は左にL字に折れているのだが、その角からのびる未舗装の私道の先が山際調査事務所だ。
 キョウカとアスカを乗せたカワサキの400㏄バイク・ニンジャは、西側にある正門ではなく実験林の南西角を右折し、北東の隅にある通用口に向かった。黒い車体はニンジャの名にふさわしく、街灯に曝されてもなお目を凝らさなければ輪郭を闇に同化させて疾駆する。
 通用口はすでに内側から開錠されていた。
 実験林の北端は高いフェンスで区切られ、山際調査事務所の温室や倉庫と接している。通用口から続く小径はフェンスにそった砂利道だ。キョウカはエンジンを切る。後ろに乗っていたアスカも降りる。フルフェイスのヘルメットを取ると、群青の闇に二束の金髪がほどけた。
 
「やあ、お帰り、ふたりとも。一年ぶりのご帰還だな。この放蕩娘ども」
 瑛士の大きな手がふたりの金髪をもみくちゃにする。アラタも眼鏡のブリッジを持ちあげて笑う。
 指示された「池」は、実験林内にある管理小屋を指す。小屋といっても、離れのログキャビンくらいの大きさはある。1階は事務所をコンパクトにした仕様でキッチンもあり、2階に寝室がある。管理小屋という名目なので、隣に納屋があり剪定鋏せんていばさみやスコップ、農薬など林の管理に必要な道具が常備されている。愛機のニンジャは納屋に収納した。
 それにしてもなぜ、国有地に私物の小屋を建てることができるのか。
 ――実験林の土地は、もともと俺のひいばあさまの持ち物だったからなあ。小屋を建てさてもらったのさ。小屋周辺の木を管理するって条件で。
 とはいうけれど。山際調査事務所とこのアジトは地下道でつながっている。そこまで国は認めているのだろうか。
 
「なにがあったんだ。一年も放浪してたわけじゃねえよな」
「一年って、今は2036年?」キョウカがたずねる。
「2036年の5月11日。おまえらが失踪してから、ちょうど一年だ」
 アスカとキョウカは顔を見あわせる。
「おなか、すいてませんか」
 アラタがカレーの皿を並べる。緊張してすっかり忘れていたが、急に激しい空腹感がおそってきた。そういえば昨夜もカレーだったけれど。
「おいしい……」
 なにごとも凝り性のアラタは、クミンやカルダモンなど数種類のスパイスを独自にブレンドして作る。レトルトカレーにも劣るキョウカとは大違いだ。「アラタのカレーは絶品だな」瑛士も満足げに頬をゆるめる。
「で、なにがあったんだ」
 カレーをぱくつきながら調査報告でも聞くような気軽さで、瑛士は最初の質問を繰り返した。
 アスカとキョウカは交互に、長かった一日を語った。
 基礎応用科学研究所前で白衣の犯人を見つけたとたん、黒龍会の黒塗り車の尾行に気づいたこと。まぶしい光のなかへ直進したら、一年後にワープしたこと。アスカたちに続いてワープした黒龍会の車が爆発炎上したこと。犯人を追って卵子・精子バンクラボに潜入。そこで見た光景も、犯人がまた光のなかへ消えたことも。ラボを出てからの黒龍会との銃撃戦も。
「てことは……越鏡はしたが、着いた先は鏡の向こうではなく一年後だった、つまり時間を越えたということか」
 ふうむ、と瑛士は腕組みする。
「ありえるの?」アスカがたずねる。
「少なくとも俺は聞いたことがねえ。アラタは?」
「可能性だけの話ですよ」と断ってからアラタがいう。「パラレルワールド間を行き来するより、時を超えるほうが同じ次元内だから簡単だ、とぼくは思います」
「言われてみりゃ、そうだな」瑛士が皿にスプーンを突き立てながらうなずく。「よし、次はこっちの番だ。俺たちがこの一年でつかんだ情報を話す」
 瑛士が水を一杯喉に流し込む。
「2日待ってもおまえたちが帰って来なかったんで越鏡に成功したと考えた。ただし、黒龍会が絡んでる可能性もあったから、アラタに鏡界部のデータも探らせた。一週間経ってもそれらしきデータがあがらねえもんだから、黒龍会とトラブった線が濃厚になった。最悪、拉致監禁かと」
 食後のチャイをひと口すすり、うまいな、と目を細める。
「そこで、アラタが黒龍会事務所にビル清掃員として潜入した」
 アスカとキョウカは、アラタに目をやる。
「並行して俺は県警の知り合いに黒龍会の不審な動きについてたずねた。が、こっちは事件化してるもんはなかった。公安にもあたったが該当案件なしとの回答だ。ヤバい状況ならおまえたちがなんらかの手段で連絡するはず。針を使えば見張りを眠らせることは難しくない。けど、それもない。ふたりの行方については、ほぼ手詰まり状態だった」
「で、アラタの偵察でわかったんだが」と前置きし、瑛士はアラタに目配せする。
「黒龍会も、白衣の人物つまり5月3日に向こうから帰ってきた人物を探していたんです」
「えっ、黒龍会の構成員じゃないの?」アスカがとっさに声をあげる。
「そうと決まったわけじゃ」アラタが苦笑する。
「5月2日に越鏡した人物Aは黒龍会の構成員、これはたしかです。そのAが裏切ったと疑われてました。Aは組に戻ってないんです」
「つまり、こういうことさ」と瑛士が継ぐ。
「ラボ前通りで黒龍会が尾けてたのは、おまえたちの車じゃなくて、歩道を歩いてた白衣の人物だった」
「じゃ、どうして、ラボから出てきてからも尾けられたの」
 アスカが反射的に問う。
「そうよ、2台も待ちかまえてて、本気で撃ってきたのよ」
 キョウカは指で銃の形をつくる。
「越鏡するまえ、黒龍会の車に何名乗ってたか、わかるか」
「助手席にもいたから、少なくとも2名」アスカが答える。
 あっ、とアラタが短く叫ぶ。瑛士が大きくうなずく。
「これを見てください」
 アラタがタブレットでニュース速報の動画を再生する。
《本日午後1時半過ぎにラボ前通りで起きたトラックとセダンの爆発炎上事故での被害は、爆発の衝撃の大きさに比してさいわいにも、死亡者はセダンの運転手一人、トラック運転手は全治1週間の軽傷で2次被害はありませんでした》
「死者が一人?」アスカの声が裏返る。「助手席にもいたわよ。重傷者は?」
「発表されてません」
「逃げたってこと?」キョウカが詰め寄る。
「そいつが組に連絡したんだろ。白衣がラボに入った直後に、いっしょにワープした車も入ったことをな。それで気づいたんじゃねえか、白のコンパクトカーも白衣を追ってたって。外で待ちかまえてたら、白衣よりも先におまえたちが出てきた。状況的に受精卵を奪ったか、取引が成立したと考えて当然だろ。だから尾けた」
「さて、情報を整理するか」と瑛士がテーブルに乗りだす。
 アスカとキョウカが皿を片づける。
「洗い物はあとでいいぞ。それより、紙とペンだ」
 アラタがスチール棚からA1の大きな用紙を取り出しテーブルに広げる。瑛士は考えを整理したり作戦を立てるときにA1紙を使う。用紙の中央にさっと縦線を引き、紙を左右に区分すると、左上部に<アスカの世界>、右に<俺たちの世界>と記す。
「ことの発端はこれだな」
 左に<優性卵プロジェクト>と書く。
 その下に<卵子:アスカ、精子:日向透>を書き加える。
「次に」
 こんどは右欄に<5月2日>と日付を記すと、大きく<黒龍会:A>と書き、右から左へ矢印を引っ張る。
 あとは、こんなぐあいだ。左側には6項目を書く。

 5月2:日向透 5月9日指定でUSB発送
 5月3日6時13分:日向研究室爆発・日向透死亡
 5月3日15時51分:受精卵盗まれる(犯人はAか?) 右に越鏡
 5月8日:犯人が越鏡する画像確認
 5月9日:日向透からの宅配便が届く
 5月10日15時51分:アスカ 右に越鏡

 右側には2項目と追記が記された。

5月2日:黒龍会A 左に越鏡
5月11日13時:犯人・アスカ&キョウカ・黒龍会(2名) 2036年に越鏡
※黒龍会:Aの裏切りを疑う
※黒龍会:Aの裏切りにアスカたちの関与を疑う

「こんなもんか。で、今ここだな」と最後の一行を指す。
 日付とこれまで判明していることをわかりやすくチャート化する。瑛士が思考を整理するときの習慣だ。事実をぜんぶ書き尽くして俯瞰する。
「さて、問題はなんだと思う。アスカは、受精卵が奪われたことだと思うか」
「あたしにとっては、それが動機だから」
「キョウカは、どうだ」瑛士がキョウカに視線を振る。
「犯人はほんとうにAなのかな。組を裏切ってんのに、無防備に歩き回ってるのが、どうも引っかかる」
「アラタは、どうだ」
「ぼくは2点あります。黒龍会が5月2日に鏡が開く正確な場所と時間を、どうやって知りえたのか。もう1点は、黒龍会が受精卵の存在をなぜ知っていたのか。優性卵プロジェクトはこっちの世界では存在しないし、アスカさんの世界でも国家の極秘プロジェクトなんでしょ。アスカさん側の黒龍会が奪うならまだしも。こっちの黒龍会がどうやって異世界の国家機密を知りえたのか。そこが問題の根本のような気がするんです」
「俺もアラタと同じ見解だ」
 瑛士が立ちあがって図をみつめ腕組みする。
「アスカたちの世界から、おれたちの世界に情報が漏れた、漏らした人物がいる。それがはじまりなんじゃねえか」
 そうか、とアスカは目の前が急にクリアになった気がした。これまでは、受精卵を取り返さなきゃと、それしか見えていなかった。事件の根っこがどこにあるのか。それを見落としていた。
「やつらは、どうしても受精卵が欲しい。なぜだ?」
「それは、透の天才遺伝子が欲しいから。あ、でも、それなら受精卵じゃなくて透自身を利用すればいいんじゃ……」
「そうだ。日向透の才能が欲しけりゃ、危険を冒して越鏡する必要はない。こっちの世界の日向を高額の報酬で迎えるなりして彼自身と契約すればいい」
「じゃあ、どうして」
 キョウカが疑問を代弁する。
「彼は子ども時代に親から虐待を受けてたんだったな。大人っていうものを信じちゃいないんじゃないか、いまだに。そんなやつを自分たちの思いどおりにコントロールするのは難しいだろ。札束で顔をはたいたって従わない可能性のほうが高い。それなら生まれたときから配下において、英才教育をほどこして、ご都合のよいスーパーマンを作りあげるほうが時間はかかってもうまみはあると考えた。成功すれば新しいビジネスも生まれる、とかな。頭のいかれた連中の考えそうなこった。そして、昔からそういった怪しいものに巨額マネーが動くんだよ」
 苦々しげにまくしたてる。
「ひとつ質問があるの」
アスカがずっと引っかかっていたことをたずねる。
「なんだ」
「アンノウン・ベイビーって何? 長塚大臣がいってたんだけど」
「あたしも聞いた」キョウカもあいづちをうつ。
「卵子・精子バンクラボで誕生する子のことさ。未知の可能性を秘めたとかなんとか御託ごたくを並べてっけど。けっきょく命を数やモノとしかみてねえんだよ」
「いやな呼び名ね」
 アスカは格納庫で耳にした研究員たちの言葉を思い出した。
 
「さて、ここで問題です」
 瑛士はいつになく真剣なまなざしでひとり一人に焦点をあわせていく。
「受精卵の価値をあげるには、どうすりゃいい?」
「価値をあげる? つまり高く売るためには、ってこと?」
 キョウカが質問の意図を確認する。
「そうだ」
「プレミアをつければ」
「そう、希少価値を高めればいい」
「でも、もとから受精卵はひとつしかないんだし。希少価値としたら完璧じゃん」
 キョウカが当然のようにいう。
「それを倍増するには?」
「どういう意味ですか」アスカが訊く。
「じゃ訊くが。アスカはなぜ危険を冒して受精卵を追ってきた」
「それは、透の遺伝子が残されてるから。受精卵にしか、もう、あたしと透をつなぐものはないから」
「日向透が死んでなかったらどうだ?」
「研究室の爆発事故が起きずに、受精卵が盗まれたらってこと?」
「そうだ」
「そんなの関係な……い」といいかけてアスカは口をつぐむ。
 透が生きているとき、受精卵のことなんてこれっぽっちも考えてなかった。卵子摘出を産婦人科で受けたときも、股間を広げるのが恥ずかしいと思った程度だ。ましてや受精卵のその後なんて気にもかけてなかった。あたし自身が受精卵をモノとしかみていなかった。アスカは愕然とする。透を失ってはじめて、受精卵のかけがえのなさ、「価」に気づいたのだ。
「……透が死んだから……受精卵にしか透が残ってないから……」
 瑛士がアスカの肩を包みこむようにたたく。
「アスカは当事者としての想いから、その『価値』に気づいた」
「利潤を追求する者は、もっと冷徹な計算から『価値』を創りだそうとする」
「それって……」
「ああ、日向透は暗殺された可能性もある、ということだ」

(to be continued)

第20話に続く。


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