大河ファンタジー小説『月獅』68 第4幕:第16章「ソラ」(3)
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第4幕「流離」
第16章「ソラ」(3)
厚い雷雲を抜けると、天空は静謐だった。
下界の嵐も火山の噴火も、火の咆哮も怒涛の驟雨も、狂気もない。紅蓮の炎も稲光も、命の鼓動のけはいすらない。あまねく太陽に照らされているだけの無音の世界。空気も薄い。ただ風は吹いていた。
コンドルは嵐にもまれた羽根をばさりと一振りし雨滴を払うと、闇を従える翼を広げた。
はるか北にノリエンダ山脈の雪を戴く山頂だけが見える。一文字に連なり、雲の上にわずかに頭頂を現して屏風のごとく聳えている。その北壁をめざし巨大な翼を翻した。
雲海の真上すれすれを滑るように飛ぶ。白い雲の波に黒い影が墨のように走る。
半刻ほど飛んだあたりで、あまりの寒さにソラが意識を取り戻した。躰の芯が凍える。ずぶ濡れの躰から体温が急速に奪われていく。ガチガチと歯が震えた。
ソラは薄目を開けて驚いた。
一面が真っ白な空間だった。
自分がどこにいて、どうなっているのかがわからなかった。先刻まで嘆きの山が火を吹き、稲妻が光り、嵐が渦巻いていた、あれは夢だったのか。それとも、これが夢なのか。雪のような雲が足もとで静かに波打っている。ぽたりと赤いものが一滴、雲の上に落ちた。にわかに肩に喰いこむ鈎爪の痛みがよみがえり、ソラは顔をあげた。
漆黒の胸毛と白くふさふさした襟巻のような首毛。
「おまえはグリフィンじゃないな」
コンドルはちらりと脚先の獲物に視線をやったが、また前を向いた。答える代わりに鈎爪をさらに深くソラの肩にくい込ませる。
ソラは激痛に歯を食いしばる。
両手をあげて黒い巨鳥の脚をつかみ、肩にくい込んでいる鈎爪をはずそうと力の限り揺さぶり叫ぶ。
「おまえは誰だ!」
ソラが揺らしたぐらいでは、びくともしない。だが、暴れるのがうるさかったのか、黒鳥はちっと舌打ちをする。
「俺様はこの世で一番でかく勇猛なコンドルよ」
得意げに嘴を鳴らす。
「コンドル? 島にそんな鳥はいなかった。俺をどうするつもりだ」
「おまえ、天卵の子だろ。光ってる」
ソラはぐっと黙りこみ、自分の躰に目をやる。緊張の連続でオーラを抑えることを忘れていた。
「俺たちゃコンドルは、死肉しか食わねえ。だからこそ死神と恐れられるのさ」
巨鳥は胸を反らせて漆黒の翼をばさりと羽ばたかせる。
「ただし、天卵の子を生きたまま喰らわば光の力が漲るって言い伝えがある。そんなまゆつばもんの伝承を信じるほど俺は愚かではない。が、」
というと、コンドルはぐいっと高度を上げた。ソラは必死で鳥脚を握る。
「二年前に星が流れた。ほどなくして、王宮の下僕になりさがったカラスどもがぎゃあぎゃあ騒ぎまくってやがった。天卵が生まれたとな」
コンドルは首を下げてまじまじと脚もとのソラに目をやる。
「まさか本当にいたとはな。もうじき雛が巣立つ。またとねえ獲物だ」
嗄れただみ声は風にちぎれ、半分もソラの耳には届かなかった。
わかったのは、天卵の子だから狙われたということだけだ。
――逃げなければ。
だが、もがくほどに爪は肩に喰いこみ、腫をえぐる。皮肉なことにその痛みが、寒さで遠のきそうになるソラの意識を保たせていた。コンドルの脚をつかんでいる両手も寒さで痺れ感覚がなくなっていく。
母さん――ルチルの顔が浮かんだ。
ノリエンダ山脈の山頂を超えるとコンドルは翼をたたみ、北壁にそって急降下し始めた。
ソラはふたたび意識を失った。
(to be continued)
第69話に続く。
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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」は、こちらから、どうぞ。
これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。
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