45歳から身に着けた 「本を読むこと」読み続ける動機、編
このnoteは
から始まる、45歳から身に着けた 「本を読むこと」についてのお話です。
最初の一冊、編に書いた
読書を始めたきっかけ、2つめについてのお話です。
1つめは初めて読んだ本について、でしたが
今回は
読み続けることになった、読み続けている「動機」についてです。
わたしは自分のことを
とても臆病で気が小さく、過度に繊細なところがあると思っていました。
あるとき、長年「これさえなければ・・」と思ってきたその感覚にどうやら「HSPという名前」がついているらしい、ということを知ります。
そのことに「そうだったのか。ほっ。」なんていうことにはならず
むしろ「生れつきなら治らんのかーい!」と落ち込んだことを覚えています。
その頃、習い始めたヨガの影響で、朝5分間の瞑想を始めました。
それが習慣になると「思考は言葉でできている」という当たり前のことに気が付きます。
わたしは自分のことを
とても臆病で気が小さく、過度に繊細なところがあると思っていました。
と書きましたが、それは崖から落ちたり、犬に追い掛け回されたり、唐突に誰かにキレられたり・・実際に痛い思いや辛い経験をするわけではなく、多くの時間そういう不安や恐怖の思考がある、という状態だということも分かりました。
そしてそれらはどうやら、知っている言葉だけで成り立っている、ということにも気が付いたのです。
文章を書く時
「知っている 記憶している言葉」しか使えませんよね。
当たり前だけど
「知らない 記憶に残っていない」言葉は使えません。
例えばタミル語で何か書こうにも書けない。
挨拶やお礼の言葉すら知りません。
思考の6万個も同じく「知っている 記憶している言葉」しか使えないんです。
(人は1日6万回思考をしているそうです。その辺の気付きに関してはやはり、娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」に書いていますが、50記事以上ありますので。。ご興味がありましたら劇団思考、編からの数編をお読みください。)
だとしたら
思考を変えるには、何かを・・恐怖や不安がわいたとき「いんや!そんなわけない!」と否定したり、できもしない前向きなことでふたをするのではなく、思考に使える今までとは別の、新しい言葉を覚えればいいんじゃないか、という仮説をもとに
言葉を覚える
の実験をすることにしたのです。
それがわたしが今も本を読み続けている、最大の動機です。
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