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№771 ボクたちの勉強嫌いを因数分解してみる

多くの人が子供のときに大人から言われたこと、
それは「勉強しなさい!」という言葉です。 

奨励であったり、強制であったり、
さまざまなプレッシャーをかけられたにちがいないです。

たとえば、勉強することは「子供の仕事だ!」とまで言う人もいたりします。

仕事をしないと確かに生活ができないけれど
勉強はそこまで切実なものでしょうか?

いったい「勉強」とは何?

そして、いったい何の役に立つの?

この「勉強」という行為が、
どんな価値を持っているのか?

もちろん「価値」にもさまざまな形態があるでしょう。

勉強している本人が、なんらかの得をすれば
勉強によって本人が得られた価値として現れるのだから、
「勉強に価値がある」といえることになります。

また、多くの人々が勉強をすることが
社会にとっても価値がある、と見ることもできます。

そういう価値があるからこそ教育が全国民の義務として定められていたりします。

教育を受けることは権利であると同時に「勉強しなければならない」と、
義務として指定されているのです。

子供のほとんどは、できれば勉強なんかしたくない、と考えていることでしょう。

少なくともボクはそうでした。

とにかく、勉強が大嫌い。

勉強なんかしないで、一日中好きな読書をしていたかったです。

ですが、その「好きなこと」は、大人たちからすると「遊び」と呼ばれるものになってしまうわけです。

「遊ぶ」ことは、子供の権利だとは定められていないみたいです。

また、遊ばなければならないという義務でもありません。

遊びは勉強よりもずっと楽しいし、
ずっと価値があるものだと感じられるのに、
どうして勉強だけが義務として定められているのだろう?

そんな疑問を持った子供がいたとき、
大人はどう答えるのか?

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