中学3年生の頃の話

<文字数:約11300字 読了目安時間:約22分>
中一・中二の続きになります。

中学三年生
 中三。いよいよ受験のムードが高まり、そろそろ勉強をしなければと思う。中二でコミュニケーション能力を失ってしまった自分は、その遅れを取り戻したい。今年度は、なんとしてもうまくやりたい。リハビリであり、挑戦である。楽しかった中一、辛かった中二。そしてこれからの中三、果たしてどうなる。

クラス編成
 小学校時代の知人も、中一で初めて知った人も、すべてがごちゃ混ぜに混ざりあって中三のメンバーは編成された。その顔ぶれに意外な人の顔を見るのだった。
 特筆すべきは一年生の頃にセノ君と同じくらい仲良くしていた「テラ君」がいること。そして、二年生の頃に引き続き、何度も陰口を叩いてきたあの「マキさん」がいること。
 B君が一年生の頃に仲良くしていた友達も数人いる。とにかく混沌としている。

クラスの雰囲気
 しばらく見ていると、このクラスは個性豊かで、良い感じの人が揃っている感じがする。はっきり言って、2年生の時よりも雰囲気が良い。僕にとっての大きな救いは、中一の頃に仲の良かった友達の「テラ君」が同じクラスだった事だ。テラ君からすれば、僕の2年生で精神を破壊された事情など全く知らないであろう。彼は僕の事を「久々に会う友達」として変わらず接してくれた。彼はいつも笑顔で、「オモレーやん!」と僕のやることなすことを肯定してくれた。僕は再び自由帳を開き、漫画を描き始めた。彼を通じて他の人間もこちらに興味を示してくる。やはり、友達の数が0と1には決定的な違いがある。ゼロには何を掛けてもゼロだが、1があればそこから増える希望がある。

積極的に
 テラ君だけでなく、もっと新しく友達を作らないと去年の二の舞になるかもしれない。勇気を出して、知らない輪の中に入る必要がある。丁度そこに、人だかりができている。僕も参入しようと思った。小学校時代の友達のケン君もその輪の中にいた。そこに入ってみて、あえて、
「ほうほう…」
と言ってみた。すると、そのうちのひとりが僕を見て、瞬時に
(誰!?)
というような明らかに驚いたような表情とジェスチャーをした。彼も冗談めかしてそうしたのかもしれないが、異物のように扱われたような気がして、気持ちが沈みそうになった。だけど、こんな事にめげていてはいけない。彼らが嫌でなければ、輪に入りたいと思った。

コミュニケーションスパイラル
 人とのコミュニケーションには、技術的な事と精神的な事のふたつがあると思う。その両輪がグルグル回ってスパイラル的になるから、得意な奴と苦手な奴と分かれていくのかもしれない。こういうことを言っても誰にも理解されないが、つまり、こういうことだ。
①コミュニケーション能力が低いと、会話で失敗するだろうなと思う。
②会話で失敗するだろうなと思うと、精神的なハードルを感じる。
③精神的なハードルを感じると、コミュニケーションの経験を積めない。
④コミュニケーションの経験を積めないと、コミュニケーション能力は上がらない。
これを繰り返す事を「コミュニケーションスパイラル」と名付けた。

昔みたいに笑えない
 家族で映画「ホームアローン」を久しぶりに観た。小学校時代にはこれで何度も爆笑したものだった。兄が言った。
「やべえ。昔みたいに笑えなくなってる。」
確かにそう思う。昔はあんなに笑えたものをあまり笑えなくて、子供の頃の純粋なものを失っているようで、なんとなく残念な気持ちを抱いている。

漫画で分かる日本の歴史
 父が「漫画で分かる日本の歴史」という漫画を「絶対に読め」と言った。漫画を読んで受験勉強ができるなんて、一石二鳥で効率のいい話だ。だがいざ読んでみると、なぜか頭に入ってこなかった。何度読んでも、作中で起きていることが他人事のように感じて頭に入ってこない。僕は興味を持てない事に対しては頭が働かない。もっと面白くて、分かりやすいのなら読めるのかもしれないが。もしも僕がこの本の作者だったらもっとわかりやすく描きたい。

らんま
 妹が「らんま1/2」のアニメにドハマりしているようだ。とっくに放送の終わったかなり古いアニメのはずなのだが、レンタルビデオ店で母が借りて妹が観ているようだ。かなりのエピソード数があるにも関わらず、繰り返し繰り返し視聴している。僕が3歳か4歳くらいの頃に、同じ作者(高橋留美子先生)の作品である「めぞん一刻」のアニメを母が好きだった事を思い出した。母は妹と一緒に同じ作者の作品を楽しんでいる様子だ。リビングのテレビで、永遠に「らんま1/2」が流れている状況で毎日を過ごしている。するとやがて、家族全員がらんまの世界を理解するようになってきた。家族全員がらんまになってきた。そういえば昔、Aちゃんの家の車に乗せてもらった時に、カーオーディオで流れていた音楽が印象に残っていた。あれは、らんまの曲だったのか。妹のおかげで、10年越しに謎が解けた。

男女による興味の違い
 男はバトル系の作品が好きで、女は恋愛系の作品が好き。…そうだとして、なぜなのか。理由を考えてみたが、「そういうものだ」という答えしか思いつかなかった。自分はと言うと、ギャグとバトル以外の作品には興味が持てない。

近年の漫画の絵柄について
 最近の漫画は、鼻を点で表現する絵柄が流行っている。これが一般的に「かわいい」とされる風潮は理解できるが、このように描く必然性はどこにあるのか。もし、浮世絵が流行している江戸時代の人達に今の絵柄を見せたらどう思うんだろう。下手したら、どこが鼻なのかを認識するのも難しいかもしれない。この件について学校で数少ない友達テラ君と話してみた。
「最近の漫画って鼻を点で描くけど、それって江戸時代の人からすれば、どこが目でどこが鼻とか口とか、わかるんかなあ?」
「いやー、わからんこともないんじゃね?」
答えはわからない。

ゲームの顔グラ
 ある日、クラスの友達とゲームについて話していた。近年、セリフの横にキャラクターの顔が表示されるゲームが本当に多い。僕の意見はこうだ。
「キャラの顔が出てくるゲームはなんかわざとらしくて、そういうことやってるゲームは大抵つまらない」
テラ君は反論した。
「あれがいいのに!キャラの表情が見えるのがいいんじゃん。」
自分は自分、他人は他人。感じ方は人それぞれか。自分はドラクエやポケモンのような、テキストだけのスタイルが好きだ。そう思っていたが、そういえばスーパーロボット大戦はテキストの隣には絶対に顔グラフィックが大きく表示されており、このシステム無くしてこのゲームは有り得ない。それを考慮すると、考えを改めてもいいのかもしれない。

セノ君との再開
 廊下であの「セノ君」とすれ違い、声をかけられた。中学一年の頃とても仲良くしていたのにB君との関係で絶縁しようと思った、あのセノ君だ。
「オイッス~!」
セノ君はX君と一緒にいた。X君がセノ君にツッコミをいれた。
「そうやって適当な事言ってたら、またあの時みたいに無視されるんじゃね?」
僕は苦笑いをするしかない。『あの時みたいに無視』…自分の犯した罪が認知されている事がわかった。
「どうなのよ、ワタルのカイリュー。そして日本の景気は。」
セノ君は相変らず、僕にふざけた事を言ってくれた。彼もなにか、僕に気を遣ってくれているのだろうか?あんなに僕がずっとセノ君を無視し続けたのに、彼は僕に仲良くしようとしてくれる。
 僕が何故あの時、無視してしまったのか、それは幼馴染のB君との仲を維持したい気持ちと、家を特定されたくない気持ちからだ。僕が黙っていると、セノ君は次の質問をした。
「あと、ツタヤ周辺に変質者出たってマジ?」
僕は次のように答えた。
「タツヤというラーメン屋に最近行った。」
セノ君はツッコミを入れた。
「まさかツタヤとタツヤの安直なギャグじゃねーだろうな!?」
「…………」
僕はすぐに黙ってしまった。セノ君は僕に相変らず、面白い言葉を投げかけようとするのだが、僕の方が、もはや2年生時代の体験から陰気な人間になってしまったのかもしれない。目の前の相手が何を言ってきても、黙りこくってしまう。

久々のB君の家
 B君は幼馴染で家が隣。彼の家に久々に遊びに行った。B君は他の友達も呼んでいて、僕が一年生の頃に仲良くなった他校出身のZ君がそこにいた。B君とZ君は知らない内に仲良くなっていたらしい。Z君はB君にとって「イケてる側」だったという事だろうか。ゲームをしながら、Z君が話の流れでB君に言った。
「セノって知ってる?」
B君は言った。
「あのキモいデブ?」
Z君は笑って言った。
「オイそんな事いうなよ!」
B君は黙った。おそらく今までB君の中ではセノ君の事を「僕を自転車で追い回したキモい奴」だと思っていた。しかし本当はどうなのか、Z君という第4者のフォローによって、また分からなくなったのかもしれない。
 そもそも、僕が一年生のあの時に、B君とセノ君と、どちらとも仲良くできるだけの余裕があれば、変に複雑な事にならなかったのかもしれないな…と、空想する。B君は僕に聞いてきた。
「セノって奴?実際どういう奴なん?」
僕は本当は彼の事を面白い奴だと思っている。だけど、僕はなんと答えればいいのか言葉が見つからなかった。はぐらかして、ゲームの話をしようとした。

思考を紙に書く
 頭に浮かんだ思考の内容を紙に書きまくる。時々そういう事をした。将来の自分に今の自分の考え方を見て欲しい。将来読み返したときに何を思うだろう?幼稚な考えだと思うだろうか?面白いと思うだろうか?時間を超えて、未来と過去の自分でうまく生きていくことができれば、よりよく生きていけるのではないかと思った。だから、自分の思考をプライベートなメモとして記述するのだ。

漢文
 漢文という授業が始まった。昔の中国の様々な思想が記されていた。漢文なんて、何のために習わなきゃならないんだろうか。そう思う一方で、内容については良い事を言っていると感じた。
「義を見てせざるは、勇無きなり」…正しい事だと分かっていて実際に行動しないのは勇気が無いからだ。
「少年老い易く、学成り難し」…若い頃はあっという間に過ぎ去るのだから、勉学に励むべきだ。
こうした考え方に同調した。僕は人格を磨き、学び続けようと思った。

世界を救いたい
 ビルゲイツとか、マザーテレサとかみたいに、世界をよりよくする存在になりたい。偉人達の事は良く知らないが、とにかく世界の幸福度を高くできる人間になる事を目指そうと思っている。そのためには努力し続ける必要があるだろう。周りの皆はこういう崇高な意識を持っていないように見える。世の中から戦争を無くし、皆が幸福に生きていける社会の実現のために、自分にできる事はなんだろう。

ナンミー君の存在
 「ナンミー君」という面白くて学力も高い生徒がいた。どうやら彼はエリート塾に通っているそうで、教室でも成績上位のグループで面白そうな会話をしている。学年一番の成績のハリー君もいる。ハリー君は小学校の頃に同じクラスだったことがあるし、習い事でも一緒だったことがある。彼は実はこんなに頭が良かったのかと思った。エリートグループの会話が気になって、時々ちょっと勇気を出して関わってみると、ナンミー君の発言は特に面白く、笑ってしまう。
「ここでメネラウスの定理を使えばほぼ無敵状態。ウハウハで解ける」
自信に満ちた喋り方のせいで面白く感じてしまう。そんなマニアックな定理の説明で、「ウハウハ」とかいう形容動詞(?)が出てくるのか。何を言ってもギャグみたいに感じる人。彼はそれだった。ナンミー君は僕に一目置いてくれてくれるようで、こんなような事を言われた。
「エス君、人生とは何ぞや?」「俺とエス君はこのクラスで1位2位を争う変態だ。ちなみにこれを英訳するとこうなります」
一味違う雰囲気の彼と話すと、嬉しくなってついニヤニヤしてしまった。

常に能力アップ運動
 周囲に受験ムードが出てきた。みんな、よりよい人生を歩みたいのだろう。ひとり机に向かっている時間が増えてきた。本当に必死に勉強をする時、無駄な馴れ合いなどしない。この雰囲気は僕にとって居心地がいい。ストレスが減ったから勉強に集中できる。勉強に限った話ではない。今の僕は、「自分自身の能力を高める事」にただ興味がある。能力さえあればなんとでもなる。漫画を一冊読むにしても、「あー楽しかったなー」で終わらせるなんて勿体無い。それでは時間を浪費したみたいだ。作品からなにかを学び取らなければ読んだ意味がないだろう。七夕の日、短冊には「常に能力アップ運動」と書いた。これを僕の標語として掲げよう。周囲からは「真面目に勉強を始めた」と言われたが、そんな事を言われるために勉強をしているのではない。自分の人生を本当に充実させる目的があるからだ。

進路
 僕がこのまま今の学力で行くと、地元の「ヒガシ工業」という高校に行くことになるらしい。ヒガシ工業とは、どんな場所なのか…実際に見学として、行ってみる事になった。現地に辿り着くと、周りはヤンキーだらけだった。ガニ股のヤンキー座りをしている体に対してサイズの大きいゆるい学ラン、まさしくヤンキー漫画のような恰好をした人が沢山いた。僕の背後から飛び蹴りをかましてきそうなビジュアルをした人達だ。そして、タバコの吸い殻がそこかしこに散乱している。それがヒガシ工業だった。僕は、ここに通う事になるのか。もしも、このままの学力だったら。
「それは嫌だな」
と、思った。

猛勉強
 勉強すれば、将来は大きな成果を上げ、世の中を良くできるかもしれない。今はとにかく学力を高める事。そうすれば、幸福な生活を送ることができる。親への恩返しにも繋がる。勉強をしない手は無い。むしろ勉強をしないのは不安だ。周囲の生徒達も意識がまだ足りていない気がする。群れながら傷をなめ合って惰性で生きているような生徒は、良い学校には行けないだろう。自分の人生を決めるのは自分自身だ。努力をして自分の人生を掴む意志があるか。15歳にして、今ここで問われているのだ。まずは良い高校に入る。その後は凄い大学に入るために更に勉強する。ある職業に就く為というわけではない。そんな事はなにもわからないが、熱い思いがある。親をびっくりさせてやりたい。こんな平凡な親から、天才が産まれたんだと思わせてみたい。それに、どんな進路を歩んだとしても、ここで学んだ知識は血肉となり、無駄にはならないだろう。

成果
 テストの点数が急速に伸びた。それはそうだ、勉強すれば成績が伸びる。当たり前のことだ。僕にはなんの驚きも無かったが、母は驚き、嬉しそうだった。「どうしたん!?すごいな。」学年下位から、いきなり上位に!まるでそういう広告のような成功体験だ。いわゆる内申点はかなり低い。でも受験においてはテストの点数さえ高ければひっくり返せるはず。僕はそう思っていた。父が問題にしている事は逆だった。「あとは面接さえできればな。ワシが面接官の役をしてやる。練習じゃ。」父によると、いくら成績が良くてもコミュニケーション能力が低ければ社会で認められないという。確かにそうかもしれない。実際にそんな気がしている。多分、正しい。だけど、僕はどうしても父と面接ごっこをする気になれなかった。父なんかと茶番を繰り広げるのは苦痛だ。小学校の頃、無意味な説教を受けてイライラし過ぎて気が狂って鼻血を出した時のことを思い出す。父の提案はスルーする事にした。父にとっては不服だっただろうが。僕は自室に籠って勉強を再開した。ただ圧倒的な学力が欲しいと思った。コミュニケーション能力の不足を補って余りあるほどの学力が。

国際情勢
 ブッシュ大統領が演説をしている。イスラム過激派の人々が諸悪の根源であるという。僕はいつも、ニュースで悪者扱いされている側にも事情があるんだという視点を持ちたいと思っている。簡単に善と悪を決めてしまうのは良くない気がする。両者の気持ちに寄り添う事で、少しでも何が起きているのかを分かりたい。しかし、そのあたりがニュースを見ていてもよくわからない。肝心の事が伝わってこない。いい大人達が善と悪で物事を切ってしまう本当の理由が分からない。皆同じ人間に違いないはずなのに。「二元論」という言葉を思い出す。世界に善と悪があるとは思えない。

歌番組について
 母がテレビの音楽バラエティ番組を好んで観ている。そこで流れる音楽を聴いていても僕にはワンパターンに感じる。父も兄も妹も、みんな音楽番組を観て、聴いている。主にメロディと歌詞に注目していると、メロディもパターンが見えてしまうし、歌詞にしても「愛してる」「LOVE」「好きだよ」「大切な」「切なくて」「会いたい」「信じて」「君の」「涙」などと同じフレーズばかりが流れてきて、若干イライラしてしまう。ゲーム音楽やCMやスーパーで流れているような何気ない音楽の方が、良いもののように感じる。僕はもっと変な作品が見たい。もっと、例えば皮膚炎とかルービックキューブの歌がヒットするような世の中になれば面白いのにと思っている。でもわかりやすいものが大衆に受けるのかな?
 こんな風に思う自分はどうなんだろう。昔はこんなに捻くれていなかった気がする。本当は「世界丸見え」のような新しい事に気づける番組の方が好きなのだが、家族内の多数決で音楽番組に決定してしまう。母が気を使って「どんな番組が好きなの?」と聞いてくるが僕は沈黙する。どうせセンスが合わないから、僕以外の多数決で決めて欲しい。家族にも遠慮してしまう癖がついてしまった。そして今週もアイドル歌手の音楽を聴いて、内心でしゃらくさいと思ってしまうのだ。

映画
 世の中にはいろいろな映画が存在するが、大衆向けのエンターテインメントはわかりやすく、展開が読める。お約束とも言えるしワンパターンとも言える。そういうものを観ると2つの感情が芽生える。楽しい映画ではあるかもしれないが、心のどこかでこういう事を思う場合がある。
「何も考えずこういう映画で楽しんでいる人々とは相容れない。しゃらくさい。」
自分の方が歪んでいるとも同時に思う。エンターテイメント作品を鑑賞する時に、構造やパターンがわかってしまうと面白くない事がある。こういった日々を過ごしていると、周囲のみんなと自分とにはセンスの断絶があると感じるようになった。

発達障害
 家族で晩御飯を食べながら、テレビを見るいつもの一幕。テレビでは発達障害についての話題が話されている。「あの天才アインシュタインも発達障害だったと言われています」というナレーション。父が
「へ~。エスもこういう性質があるんじゃね?」
と言った。僕も内心そんな気がしてきている。

反抗期
 どうして反抗期があるんだろう?どうして親に反抗するんだろう?一般的には親に反抗するらしい。「うるせーババア!」「うるせージジイ!」そんな事を言ってなんのメリットがあるんだろう。内心、父も母も不完全な人間だと感じる事はあっても、わざわざそれを本人に言わなくてもいいだろう。家族関係が悪化するだけだから、嫌な事は我慢した方がいいだろうって思う。

美術の選択授業
 小学校の頃の友達「ボゴロスコ君」と一緒に美術の選択授業を受けた。
 僕の絵を観た美術の先生が言った。
「君、美術系の学校目指さないの?才能が勿体無いよ。」
僕より才能のある人なんていくらでもいるだろう。世の中甘くないと思う。自分なんかが絵で稼いでいけるとは到底思えない。もっと安心できる生き方をしたい。受験を頑張るのだ。普通科に行った方がいろんな可能性があるだろうし。

才能
 小学校の頃から、先生からも同級生からも、何度も何度も言われてきた事がある。
「どうしてそんなに面白い物を思いつけるの?あなたの頭の中が知りたい!」
年々、他人となにかが違うのをより強く感じるようになってきた。自分になにかの才能があるのなら、世界をよりよくするために活かしたい。そんな「天才の使命感」を持つようになった。ただ、何が人と違うのかがよくわからない。まずは基本的な学力をつけることだ。僕は勉強して偉い人になりたい。

空に吸はれし十五の心
 受験の時期が迫っている。やるしかない。進路を決めなければならない時、頭をよぎる。小学校の頃に散々こんな風に言われてきた。
「お前は天才だ!絶対に大物になる!今のうちにサインを貰っておこう!」
 大物になってお金持ちになって親孝行をしたい。それが一番だ。大事な事が多すぎて、頭がグルグルしてきてしまう。人生を安定させたいし、天才の使命を果たしたいし、親孝行もしたい。高校受験について考えなければならない。

親孝行
 母。「かあさんが夜なべをして手袋あんでくれた」という歌があるが、僕の母にもそういう所がある。子供たちの将来の為に、ひたすら献身的になり、自己犠牲的に尽くす…。そういうところがある。時々母の事が心配になってくるほどだ。雨の日も風の日も、体調の悪い日にも、必ず世話をしてくれる。そんな母には恩返しをしたいと思っている。言葉にはしないが、密かにそう思っている。しかし、どうすればいいのか。時代も価値観も違うのに。「元気に生きてくれればそれでいい」母はそういう事を言う。
 父。悪い事をすれば何度も何度も厳しく叱ってきた。父に叱られてきたから、良い事と悪い事の区別が付くようになったのは恐らく大きい。ズレた説教で気持ち悪い思いをすることも度々あるが、それは息子を想っての事だろう。父親に対しても親孝行をしたいと思っている。
 ここで本気で勉強をして、一気にエリートにでもなれば、母も父も驚くだろう。驚かせてやりたい。

本気を出せばなんでもできる
 自分は本気を出せば何でもできる人間だと思っている。今まで本気を出せば大抵の事はできた。今の成績が最悪でも、数か月後には全部をひっくり返せるほどの学力になってやろう。一度しかない人生、猛勉強するタイミングは今だ。

スーパー猛勉強
 一日中、学力をUPする事を考えている。家に帰っても、買ってもらった問題集を解き続け、学校でも勿論ずっと問題集を解き続けている。それ以外の事にはあまり関心が無い。

得意科目
 二年生の頃に数学で17点を取ったのは一体なんだったのか?得意科目に戻り、90点以上をキープした。

苦手科目
 国語と英語の問題が鬼門だ。国語の問題で得点するには、人の心がわかればいいのだろうか?わからない。80点くらいは取れても満点が取れる気がしない。国語をどうやって攻略すればいいのか。
 英語で問われるのは読み書きだが、根本的に英語のセンスが追いついていない。”shoes”という単語の意味を間違えるくらい苦手だ。英語は一朝一夕ではいかないようだ。

志望高校が決まった
 先生のアドバイスにより、今の自分が受けるべき高校が決まった。ところが、中二の頃、僕に陰口を叩き続けた主犯格と言える女子「マキさん」が、あろうことか皮肉にも偶然に、僕と同じ高校を受験するらしかった。今年もまた同じクラスだったマキさんについて、ずっと気掛かりだった。またなにか悪口を言われないだろうかと…内心僕は彼女に常に恐怖心と嫌悪感をうっすらと抱きながら、毎日を送っていた。しかし、マキさんは思いのほか大人しく、僕に悪い発言をする素振りはほとんど無かった。

面接練習
 面接の事を考えると憂鬱になる。父が何度も口を酸っぱくして言ってくる。
「いくら勉強ができても、コミュニケーションができないと社会では使い物にならない。」
これは嫌な現実を突き付けられるような気持ちだった。
「練習しよう。ワシが面接官の役になったる。」
と、父が申し出てくるが、絶対に嫌だった。思ってもいない嘘のシミュレーションを実の親と何度もするなんて、狂ってる。二度だけ面接の練習をしたが、気持ち悪くて仕方が無かった。

受験当日
 高校の入学試験の問題は、中学で習った内容とは少しずつ違っていた。中学という枠の中ではなく、もっと広い知識を問うているような気がした。

面接
 いよいよ面接。高校の先生たちが3人座っている。同じクラスの5人くらいが座っている。大人が僕に質問する。
「中学時代に最もつらかったことは何ですか?」
パニックになりながら、僕が咄嗟に言った事はこれだった。
「エプロンを忘れて調理実習が中止になり、クラスの皆から責められた事です。」
中二の頃の嫌な思い出である。
 面接は終わり、面接会場を去る。そのとき、声を掛けられた。嫌な女子の声だ。
「ごめんなー。あの時めっちゃ、嫌な事言った気がするー。」
マキさんだ。僕にそう言った。その傍らにはマキさんの友達の「カサヤマさん」がいた。カサヤマさんは小学校の頃に一緒のクラスになった事もあるごく普通の善良な感じの女子だ。カサヤマさんはマキさんに、僕の中二の「エプロン事件」について純粋に疑問を持って、「マキさんとエス君、どんな事があったの?」と聞いている様子だった。

救い
 「ごめんなー」と言われた事実に、ほんの少しだけ救われたような気がした。マキさんの内心はわからないが。去年の僕に対する態度に後悔があるのだろうか。去年のマキさんはクラスで一番うるさい女子友達と行動していた。僕に嫌な事を言ってきたのは、その影響があったのかもしれない。強い友達がいると、強気になって一緒に弱者を責めるのではないか。

受験結果
 受験はあっけなく合格だった。それなりの進学校に進むことになった。
 これからの人生をどう考えようか。クラスの中で調和する能力が無いのはわかっているのだが、それと人生うまくいくかどうかは別だ。様々なスキルを高度に身に着けたい。路頭に迷わないし、マルチに活動できる。世界をぶち壊すほど優秀な人間になりたい。高校生になれば、また人間関係が一新される。僕はもう暗い性格になってしまったかもしれないが、立ち振舞い次第ではまた、うまくやれるかもしれない。

卒業式
 中学生活の最後の日、お世話になった先生と友達との最後の別れの瞬間というものがある。学校のルールがあるが、もう従う必要が無くなる瞬間であり、拘束から解放される時である。帰りの会では、毎日「さようなら」と声を合わせて言う。最後の帰りの会で、いつものように「さようなら!」と声を合わせて言う。
 その直後、クラスの明るい奴ポジションのオカ君が大声で叫んだ。
「ありがとうございましたー!!!」
オカ君の声は物凄い声量だった。絶叫と言ってもいい。普段だったら呆気にとられるような行動だが、今日に限っては誰も笑いもしなかった。オカ君の叫びを聞いて、僕はもう、これが中学最後の瞬間なんだという事を強烈に認識し、感極まっていた。

卒業後…
 受験も終わり、気が付いた時には高校生の兄が物凄くITに詳しくなっている事に気づいた。プロバイダ、ルータ、マザーボード、メモリ、ハードディスクといった、兄の口から出てくる専門用語の意味が全くわからない。自分でパーツを組み、英語で情報を収集し、ハードからソフトまで、パソコンのトラブルを解決できる能力が兄にはあった。父も母も、優秀な兄を頼っているようだ。そして、兄から与えられた最大級のものがインターネットだ。

インターネットに触れ始める
 兄がどこかから拾ってきたゲームや動画。ペリーの肉声、吉野家を語るゴルゴ、変な顔のサザエさん…クリックすると次々に奇抜な映像が流れる。インターネットというやつには面白いものが沢山あるようだ。このインターネットというものは、無制限に面白いものがあるように見える。こんなものがあったら、ずっと退屈しないだろう。

高校に入ったら
 とりあえずは勉強だ。おそらく学生の内に勉強しておくことは大事な事だ。高校でもこの調子で勉強に専念しよう。

高1年 https://note.com/denkaisitwo/n/n1a688d792aff


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