「ちゃんとできない」だけで十分苦しいのに!~二重の苦しみについて~ハッタツ民の方舟23回(随時更新)

「みんなができることができない」はそれ自体で十分苦しい
そこに「どうして自分はみんなができることができないんだ!」という自責が加わって二重の苦しみになる
ex.うまくコミュニケーションが取れないことはそれ自体で十分苦しいが、うまくコミュニケーションが取れない自分を自分で責めて苦しみが二倍になる
他人に責められたことがきっかけで、自分で自分を責めるようになる?
「どうして自分(だけ)が…」という不条理感?
理想の自分と現実の自分のギャップ(不適応的な完全主義)
ネガティブな反芻が抑鬱→鬱病等の精神疾患に繋がる危険?
「べき」に支配される苦しみから脱する方法の一つが「ありたい」
「ちょっと今は黙っててベッキー」ができると少し楽になる?
「もともとのしんどさ」+「わかってもらえないしんどさ」=「生きづらさ」『あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』より
※実は三重の苦しみ?
自分のアタマで考える→自分一人で考えると反芻思考に陥りがち?

「普通になりたい」といくら頑張ってもエアブレイカーになってしまった
「理想の自分にはなれない」て気づいた後に、自分で自分を苦しめていた時期がある

自傷行為としての自責
自責が収まらない時は発作だと思う

自罰としての自責

ABCDE理論

「ちゃんと」がどのくらいで、自分の力量がどのくらいかを理解できていないと、ベッキーが出てきてしまいがち

社会に適応できなくて苦しむ→たどりついた病院の中ではできる人になってしまい妬まれる
「あきらめる」ことで克服する
きっかけは人それぞれだが、全てがダメということはめったにない
できるところで頑張る

できないことを考えるとぐるぐるに陥る
できることを考えると抜けやすくなる

「できない」を細分化すると「できる」が見えるようになる
「今は」できないと考えるようにする

自責に加えて、他人がダメ押ししてくるとキツい

福祉につながると見方が増える→見え方も増える
受け入れる素直さも大事

「ずっとやっていればできるようになる」→ならない
※発達障害者の「見て模倣する」能力の低さ?
信頼できる人からの助言で「できない」を受け入れられるようになる
ベッキーがいてもいいけど、第三者の目で自分を見ることで受け入れやすくなる

自分がハッタツであること(障害者であること)を受け入れる勇気
自分が「ちゃんとしてない」ことを認める勇気

反芻思考に陥らないために大事なのはスルースキル
やり過ぎてピエロになるのもそれはそれで苦しい

信頼できる人を作るための自助会


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