腑に落ちる、腑に落ちない

「腑に落ちる」

という言葉は、すごく私の腑に落ちる。
……というとなんのことだか訳が分からないけれど。

腑、というのは私はおなかのことだと思っていて、実際調べてみたら「はらわた」とか「内臓」とかのことらしく、まぁ大枠の認識は間違ってはいないと思うのだけれど。

「腹落ちする」というのとか「腑に落ちる」という言葉は、とっても私の感覚に合う。

なにかを見聞きする。
「あぁ、そうか! そういうことね」
と自分の中で納得する。
そのときに、お腹の深い部分で、つまりは自分という人間の深いところで「うん、うん」と噛み砕いて消化して、自分の一部になるような感覚。
なにかの物事を、自分の体の中に、意識の中に取り入れるという感覚。
それを「腑に落ちる」という言葉はすごく軽妙に言い当てていると思う。

と、思う一方「腑に落ちる」という表現が腑に落ちない人もいると思う。

その人にとっては「理解する」というのが腹に落ちる感覚ではないのかもしれないし、イメージとして描けるという形かもしれないし、同じように説明できるという形かもしれない。

”わかる” という感覚一つとっても違う状態なのだから、わかりあう、というのにはきっとすごく時間がかかる。
一方が「わかりあえた」と思っていても、もう一方は「伝わってない」と思っているかもしれないし、実はお互い違うところで ”わかりあった” と感じているかもしれないし、とにかく "わかる" という感覚はとてもやっかいだ。

大切なのは、お互いに「この人はなにを言っているのだろう」という知ろうと思う気持ちなのではないかな、と。
”わかりあう” ことも難しいのに、その感覚を捉えるには、と考えていたらまとまりのつかない感じになってしまった。

自分と ”わかりあう” のも難しい。

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