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「反脆弱性」講座 20 「大丈夫、『時』がすべてのデタラメを破壊してくれるから」

古いものの方が新しいものよりずっと優れています。それは、時が脆いものを容赦なくぶっ壊すからです。

未来の世界を思い描いてみましょう。おそらく人は今の世界に何か新しいものが加わったところを想像するのではないでしょうか。しかし、脆さと反脆さの概念に従うならば、これからの時代に無くなるものを未来から差し引くのが正しいやり方ということになります。これが「否定の道」です。

正のブラックスワンを予測するより、負のブラックスワンの予想は簡単です。脆いものはいずれ崩壊するからです。

ここに面白いパラドックスが潜んでいます。それは、長期的な予測の方が短期的な予測より信頼性が高いということです。なぜなら、時がたつの従って、ブラックスワン的な事象が起こる確率が高まるので、ブラックスワンに対して脆弱なシステムはやがてブラックスワンに飲み込まれるからです。

タレブ氏が「 #リンディ効果 」と呼んでいる推論があります。物理学者のリチャード・ゴットは、私たちがランダムに目にするものは、ライフサイクルの初期でもなく末期でもなく、たいていはその中間にあること、そして「あるモノの寿命はそれまでの経過年数に比例する」という実証を行っています。

それは、ブロードウェイのショーの一覧を作り、その時点で一番ロングランのショーが最後まで残り、その逆もまた成り立つと予測したところ、95%正しかったと言います。ある本が40年間発行され続けているならば、あと40年は発行され続けられる可能性が高いということです。

一般論として、長く残っているものは、人間のように「老いる」のではなく、「若返る」のはそのためなのです。絶命せずに1年が過ぎるたびに、寿命は2年増えるのです。

様々な #心理的バイアス が、新しいものに価値があるように考えてしまう働きをしています。

ひとつは「 #ランダム性 にだまさせる」ということです。失敗が隠されるということです。誰かが株で大儲けしたと聞くと、成功のチャンスを過大評価してしまいます。失敗した人の話は隠され、人々の耳に届かないからです。

小説も同じで、すっかり絶版になっている名作は目に入ってこないため、ヒットした小説は名作だと考え、名作はヒットするものだと考えてしまいます。必要条件と原因を混同してしまうわけです。たとえば、生き残っている技術には目に見えるメリットがあるからと言って、目に見えるメリットがある技術は生き残ると信じ込んでしまいます。

また、人は、大きな役割を果たしてしるけれど変化しないものより、変動や変化のあるものに注目してしまいます。たとえば、人間は携帯電話より水に依存していますが、水は変化せず、携帯電話は変化するので、携帯電話が実際よりも大きな役割を果たしていると考えがちなのです。

人間のもつ最新性マニアの性質は、常に最新モデルを欲します。車、コンピューター、携帯電話など、次々と新しいバージョンがほしくなります。これも変化に注目してしまう性質からです。アップグレードをすると変化により満足度が高まります。ただし、その状態にすぐに慣れてしまい、また更に新しいものがほしくなるのです。

建築や都市計画において、最新性マニアの弊害は深刻です。なぜならば、現代の建築やインフラは、物理的に短期間で崩壊してしまうほど脆くないため、いつまでも残ってしまう点です。

自然界は、豊かなディテールをもち、階層的なギザギザをもつフラクタルな構造となっています。一方現代建築はのっぺりしていて生命感がありません。現代の建築や都市計画はまさに機械であり、それにより破壊される人の暮らしや自然秩序は有機体で、機械と有機体の対立が生まれているのです。

科学論文も、脆いものは時の試練に耐え抜けません。科学的な成果や、「 #イノベーション 」が、ノイズでなく、大発見であるかどうかを判断する上で厄介なのは、そのアイデアのあらゆる側面を調べなければならないということです。そしてそれらは時だけが見極めることができるわけです。つまり時は、過大評価された研究をひとつのこらずゴミ箱に放り込むのです。

ちなみに、高校時代や大学時代読んでいた、初級のテキストを適当に開いてどみれば、過去の哲学、物理学、生物学なの内容は今でも通用するはずです。

それに対して、5年前の学会の会議録を見てみると、画期的成果と言われた論文が今も生き残って注目を集めている確率はせいぜい1000に1つなのです。これが科学の脆さなのです。

タレブ氏が、雑誌から依頼を受けて、2036年の世界の予想をしたとき、脆いものは次のようなものだと書いたと言います。

巨大で、最適化されていて、技術に過度に依存していて、年月をかけて実証されてきた人の経験から生まれた技術でなく、「科学的手法」に頼りすぎているものだと。たとえば、今日の巨大企業は消滅すると。なぜなら、規模はブラックスワンに対する不釣り合いな脆さを生み出すからと言っています。そのほか脆いものはどんどんなくなり、そして別の脆いものがその穴を埋めることになるのだと言います。

すでに見てきたように、私たちは過去の行動を教訓にできないという欠点があります。新しいアイデア(イノベーション)が生まれたことに人々が気づいたら、人々は価値のあるアイデアの見分けることができるようになってもいいがそうはなりません。また、アインシュタインになろうとしてアインシュタインのような問題を解こうとしても、それは不可能で、アインシュタインはその当時まったく範疇の違う問題を解いていたことを忘れています。

同様に、リスク管理の連中は、過去に痛い目に遭わされたリスキーな物事しか考慮しません。そのリスキーな物事は、それが起こる前にはまったく前例がなく、常識の範疇の外になったこと(だから痛い目にあった)という点に気づいていないのです。

#アリストテレス の「大道徳学」に、エンぺドクレスという哲学者が、犬がいつも同じ煉瓦の上に寝るのは、犬とその煉瓦には何か「似たもの」があるからだと言った話があります。

この話を考えると、説明可能かどうかは別にして、犬と煉瓦の間には自然で生物学的な相性があると思われます。それは犬が何度も繰り返しその場所を訪れるという事実が実証しているわけです。論理でなくその歴史なのです。

人間にとって読み書きのようなずっと残ってきた技術は、この犬にとって煉瓦のようなもので、生来の友人で、人間性と深くつながっていると考えざるを得ません。

紙の本と電子書籍を比べると、新しい技術を重視する人は必ず意見が出てきます。ただし、私たちの世界では、実践でないと解読できない秘密のようなものがあり、意見や分析ではその秘密を完璧にとらえられないのです。そして、この秘密はもちろん、時が明らかにしてくれます。

#エンぺドクレスの犬 の考えを進めます。あなたにとって理に適わないものがあるとします。たとえば、あなたが無神論者なら宗教でもいいし、非合理的といわれている古臭いしきたりや慣習でもいいのです。それがずっと昔からあるなら、非合理的かどうかにかかわらず、ずっと先まで残ると考えるべきなのです。