goki哲学14 ~デリダ、東浩紀、千葉雅也、父親~

もうわたしはアカウントを変えて2度目の人生を生きた方が良いですかね。あまりにも存在が浮きすぎてしまって。茂木先生が予言したように誰も本音で付き合えなくなってきている(´・ω・`)。

精神病院とか父親とか伊東乾とか。ああいったものが見えない檻になっていましたが。檻を取っ払ってみると、猛獣は他の生き物と共生するのは難しいのだという教訓が導き出されます(´・ω・`)。やはりわたしは檻の中にいるべき猛獣なのかなと。

わたしは当分文学ワナビとしてやっていくことになりました。しばらくゆっくり休みたい(´・ω・`)。

「新時局匡救事業」。「セカンドアカウント」から生まれた新しいイデオロギーです(´・ω・`)。

わたしが岸田さんを嫌いになれない理由のひとつとして清廉潔白さが挙げられます。安倍さん菅さんとダークな総理が続いた中、岸田さんには利権誘導の気配があまり感じられない。保守層に嫌われているのがその証左では(´・ω・`)。

アミバやジャギのたとえではありませんが、保守層は汚い政治家、悪人を賛美し、そこに自分の人生を投影する傾向がある。これは全世界的に言えることですが、「取り残された人々」とは、悪いことをしないと生きて行けないタイプの人間たちのことでもある。

猛暑が続いた夏、さらに季節の変わり目で、わたしだけでなく周囲も体調を崩している患者さんが続出している印象です。体調を整えるとともに、おかしな言動も目立っているので、極力戒めたい(´・ω・`)。

精神的に依存しないうちはまだ恋ではない。ただの契約婚。本物の大恋愛とはお互いが依存しきる関係のことである(´・ω・`)。

ジャニーズ事務所というのは日本の一大産業であり重要な文化でもあります。不祥事は残念ですが、加害者はもう他界しているわけで。早く禊を済ませて再び輝きを放ってほしいと願っています(´・ω・`)。

わたしは、クチは悪いんですけど、人種差別ってしたこともされたこともほとんどないんですよ。そもそも人間を見ためで判断しないタイプで。見ためがどんなにひどくても中身が面白けりゃそれでいいみたいな本能があるので(´・ω・`)。誰とでもまずは話してみるタイプですね。

だから、一時流行ったルッキズム論争も、根本的に理解に遠かった。なんでそんなことみんなこだわるんだろうと。もちろんわたし自身オシャレをしたり身なりを整えたりするのは好きですけど。それを他者の人格判断にまで敷衍することはありませんね。まあ、臭いのとか不衛生なのは確かに苦手ですけど。

ただ、人種偏見はなくても民族の偏見は多少あります。この民族は、歴史的に政治的にこういうことをやってきた民族だ、こういう傾向がある民族だ、というバイアスは。

人種偏見と民族偏見の差異って難しいんですけど。人種偏見は個人へのフォーカス、民族偏見は集団へのフォーカスと考えています。つまり、集団としてはこういう傾向があるということは言えても、それが特定の個人を判断する材料にはならないということですね(´・ω・`)。

「バイアスの差異」。ジャック・デリダ的な哲学書でも書きますか(´・ω・`)。

「エクリチュールと差異」って、確か、話し言葉と書き言葉の微妙なニュアンスの違いが積もり積もって人類の言語文化の形成に大きな影響を与えてきたという話ですよね。デリダがそれを発見したと。

哲学書って文学と同じで面白ければなんでもいいというか。「エクリチュールと差異」も資本論も、ジジェクにしたってサンデルにしたって、東浩紀、千葉雅也。伊東乾の提唱する「碩学」に最も近い、なんでもありの雑学王だと。まあ真理の探究という建前はあるにせよ(´・ω・`)。

違う?哲学的命題?唯物論も実存主義も?デリダにしたって「ポストモダン」や「脱構築」という哲学的命題が前提としてある?バカにすんなと(´・ω・`)。

わたしも独り言的雑談を「goki哲学」としてまとめてるんですけどダメですかね?いい?あれはあれでよくできてる?面白い?ありがとうございます。結構本物の哲学者にも哲学的示唆を与えてると(´・ω・`)。

受け売りの知識、教養などを頬張り。

野球もサッカーも。卓球、バスケもそうでしょうけど。ある程度大人になってフィジカルが完成して来ないと、その選手の伸びしろは決めつけられない(´・ω・`)。

技術だけの早熟なプレーヤーなんて日本には昔からゴマンといた訳ですから(´・ω・`)。

わたしはもうかれこれ10年以上まともにSEXをしてないので、今流行の梅毒やエイズとは無縁です(´・ω・`)。

でもじゃあ根拠を持って筋道立てて論理を組めば相手を説得できるかというとそういう訳でもない。論破はできてもそれで相手の考えが変わる訳ではない。エクリチュールよりパロールの方がまだ誤解されにくいとデリダはいう。ニ重三重の意味でTwitterは説得には向いていない(´・ω・`)。

なのでまあわたしの場合Twitterは独り言研究の場です。皆さんも理解してくれてるようで特にツッコミは入らない(´・ω・`)。

東浩紀さんも「(Twitterは)大変な発明である。自分がもう少し遅く生まれていたら間違いなく研究の場に使っていた」と言っていますし、千葉雅也さんは実際に研究の場として使っている。わたしもTwitterはじめ各種SNSは、文学、研究、音楽の創作にもってこいだと考えています(´・ω・`)。

セックス下手でもいいだろう?

それでも人生は続くと(´・ω・`)

アイドルの「でこぼこ」のライブに来ています。地下アイドルだとタカを括っていましたがとにかくクオリティーが高い。日本の若者文化もあながち捨てたもんじゃないと(´・ω・`)。

コレ見てて思うところがあって。売れないアイドルも売れない作家も根っこは一緒と言いますか。やはり良いモノを創ることと実際に売れることは、全然違う理屈であると(´・ω・`)。

群馬の精神病院はわたしを6年間強制入院させていた。どんなに不当な入院だと訴えても彼らは耳を貸さなかった。「貴方は一生退院できない」と言って。2020年10月に退院して3年が経過した。その間、作家、研究者、ミュージシャンとして多大な業績を残しつつ、「大きな物語」も紡いできた(´・ω・`)。

精神医療従事者は二言目には「何かあったら責任取れるのか?」という言い方をするが、この3年間何も起こさなかった、むしろ世界人類に対して大きな貢献をしてきた現実に対して、何か責任を取ったのか。謝罪のひとつもなく相変わらず悪行三昧の連中である(´・ω・`)。

あの6年間の強制入院はなんだったのか。わたしはやはり何らかの政治的意図が働いた長期入院だったのではないかと勘ぐっている。どう考えても不自然であろう。これを妄想と取られてしまうと苦しいのであるが(´・ω・`)。

今後も再び準公権力を利用した不当逮捕監禁が横行しないとも限らない。わたしにできることは、できる限り良い作品良い仕事を残し世の中に送り出すこと。実存主義である。ペンは剣よりも強し。彼らが公的暴力でわたしを封じるならば、わたしは言論のチカラで抗するのみである(´・ω・`)。

共産主義、唯物論というのは観念を徹底的に排除し存在だけに注目するという哲学。ただ、これを徹底してしまうと、要する人間の良心とか善意を最初から無視する、相手の悪い所だけを見るようになってしまう。これが共産主義者の限界。わたしはもっと人間を「信じ」たい(´・ω・`)。

「信じる」という哲学。リアリズムに割り切る必要も人生にはあると思います。ただひとを信じることをやめてしまったら、今度はそのひと自身が誰からも信用されなくなってしまう。「唯物論へのアンチテーゼ」「日本観念論哲学」。そういった切り口がわたしの現在の主義信条でもある(´・ω・`)。

わたしの父親は東大法学部卒の弁護士で40代~70代は平均年収3000万以上でしたが。若い頃は全然お金など持っていなくて母ちゃんのヒモだったとカムアウトしていますから。だから男性の実存なんてそんなものじゃないですかね(´・ω・`)。少なくともお金でいうと。

父はカネなんか要らねーでずっとやってきた弁護士で。生涯仕事の八割はボランティア。手弁当での貧乏人の人助けでした。残りの二割で難しい事件を勝ってなんとか黒字にするスタイルでした。父はカネに特化すれば途方もない金額を稼げたはずです。それでも彼は「お金では買えないもの」を終生信じていた。

わたしたちは籠の鳥よ!(佳子さま)

私の創作研究は基本的に無料ですが、経済的に余裕のある大人にはサポートして頂けると大変ありがたいですm(_ _)m。