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文脈にまつわる難しさ

私は、対話を成立させるためには以下のことが十分に実践できたり、少なくとも誰かにサポートしてもらえたりする必要があると思っています。

  1. 自分や相手の文脈を把握できる

  2. 異なる文脈が錯綜したときに気づける

  3. 文脈や主張があいまいなときに確認できる

  4. 言いたいことを簡潔な言葉で伝えられる

  5. 決めつけない

  6. 尊重できる

対話しようと言うのは簡単ですが、やってみると満足のいく対話をするのはとても難しいです。特に文脈にまつわる難しさは根が深いと感じています。

文脈は対話にとってとても重要な要素です。 ですが、自分の文脈をはっきり定めることも、相手の文脈を掴むことも、訓練と習熟が必要な技能です。訓練と習熟が必要な技能は「やればできるもの」ではないはずです。 すぐに気づけないし、すぐに身につけられない。ここに対話の難しさがあります。

「文脈がはっきりしない話」は聴き手が困ります。文脈がはっきりしていても、文脈と合わない話が混ざるほどよくわからなくなっていきます。 文脈がぼんやりした話をされると、聴き手は「何について何を言いたいのかを掴めない」まま、迷子になりやすくなります。聴き手は迷子にならないようにあれこれ考えながら整理しなければなりません。ですが聴き手と話し手で暗黙に前提していることが違っていたり、言葉の意味や使い方が違っていたりするものです。そういうつまづきがあると、整理しようと思っていても途端に難しくなります。

話し手が文脈をはっきりさせてしかも簡潔に話せばいいのですが、思いつきのままだと自分の中でも文脈がはっきりしませんし、考えながら話していると簡潔にはなりにくいです。それなら話し手は全部考え切ってから話せばいい。そうです、それが一番いいのです。ですが対話の場面では多くの場合、考えをまとめようとしている間にも他の人の話は流れていきます。聴かずに考えていればそれはそれで迷子になります。

対話の場はお互いが聴き手であり話し手ですから、聴くことにも、話し手の言いたいことを整理するにも、自分の文脈をはっきり定めるにも、簡潔な言葉でまとめ直すにも、それぞれ頭を使います。難しい上に忙しい。

さらに、場の文脈がわかりにくかったり、全体の話や前の人の話とどう繋がっているのかわかりにくかったとしたら、聴くことも考えることもなおさら困難になります。その上、自分が話すときにはわかりやすく簡潔な言葉でなんて、そんな難しい作業を愚直に続けられる人はそう多くはないでしょう。

すると、色々なことがおろそかになります。

まず、中途半端に聴くようになります。疲れるし混乱するし集中力も続かないので、自分の思いをぐるぐる巡らせる方に行ってしまうかも知れません。話し手の言いたいことを早い段階で決めつけたりするかも知れません。話し手が理解してもらおうとがんばって話しても報われないことになります。

話すときも、文脈をはっきりさせないまま思ったことをつらつら並べるだけになってしまい、あれもこれもてんこ盛りで結局何が言いたいのかわからない話をしてしまうかも知れません。質問されてもどう答えれば簡潔か考えないまま答えてしまい、質問と噛み合わないことを話してしまうかも知れません。聴き手が理解しようと努めても報われないことになります。

話し手は聴き手の思いに向き合わない。聴き手は話し手の思いに向き合わない。「お互いを尊重しましょう」という言葉だけ空疎に響いている、そういう場になってしまったらそれは対話の場なのでしょうか。

ですから私は、記事の冒頭に挙げた6つが十分にできないとしたら、「お互いの言いたいことや気持ちが実は伝わっていない場」になっていくだろうと思うのです。

対話の中で「深いですね~」なんて言葉が出ることがありますが、どう深いのかが共有されていないならそれは深くもなんともない空疎な言葉です。考えや言葉の深さは文脈と文脈が繋がることで生まれるもので、文脈と切り離された言葉はいくら深いと言ってみても中身がありません。対話がうまくいっていないときはたいてい文脈がとっ散らかっていますから、そういうときの対話では共有できるような深まりは感じられないでしょう。

対話の場面は対話会に限らず様々ありますが、文脈を掴むことや、文脈からそれないことの重要さを共有することが、対話のスタート地点なのかも知れません。

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