哲学探偵

探偵七つ道具を使い「こう思った」を「こう考えた」へ。 タフでなければ対話はできない。優…

哲学探偵

探偵七つ道具を使い「こう思った」を「こう考えた」へ。 タフでなければ対話はできない。優しくなれなければ対話する資格がない。丁寧な対話ができないなら、哲学はもっとできない。

最近の記事

  • 固定された記事

対話の宣言

私はここ数年の間、「気持ちのいい哲学対話の場」を作るためのルールや方法をずっと考えていました。 人と人が交流すれば、少なからず、すれ違いや衝突があります。すれ違いや衝突が見える場合もあれば見えない場合もあり、見えたとしても受け止め方の重さは人によって異なります。人知れず傷つく場合もあり、後になってオオゴトになることもあります。 また、丁寧に、そして丹念に人の話を聞くことは、スキルであると同時に心構えでもあると思っています。気をつけましょうと言ってもスキルが身についていなけ

    • 文脈にまつわる難しさ

      私は、対話を成立させるためには以下のことが十分に実践できたり、少なくとも誰かにサポートしてもらえたりする必要があると思っています。 自分や相手の文脈を把握できる 異なる文脈が錯綜したときに気づける 文脈や主張があいまいなときに確認できる 言いたいことを簡潔な言葉で伝えられる 決めつけない 尊重できる 対話しようと言うのは簡単ですが、やってみると満足のいく対話をするのはとても難しいです。特に文脈にまつわる難しさは根が深いと感じています。 文脈は対話にとってと

      • 「言葉にできない」こと

        誰しも、なかなか言語化できないという経験があると思います。当然のように、あまり具体的に言語化していないし、そもそも試みたこともないようなこともあります。たとえばコツ。たとえば癖。たとえば心地よさ。 たとえばコツは、どういう理屈でなら説明できるのかどういう理屈でなら伝えられるのかがわからなくても、いつも実践できてしまうことですから、伝える必要ができるまでわざわざ言語化しないものです。むしろ言語化しないから実践できることかも知れません。 それから癖は、自覚していてもどうしてや

        • 尊重することで守るもの

          具体的なことを例に取った方が説明しやすいのでプライバシーを例に取ります。 注:プライバシーの話が主題ではありません まず根拠として日本国憲法を引用します。 憲法以外にも根拠はありますが、日本ではこれだけで十分だろうと思います。大切なことは説明されていますから。 気にしない人は気にしないのでしょうけれど、何月何日にどこそこにいるという予定は、何か危害を加えようと思っている人にはとても有益な情報です。いる場所がわかるということは、別の場所にはいないということでもあり、空き

        • 固定された記事

        対話の宣言

          哲学カフェの「安全安心」について

          安全安心は信頼のこと安全安心とよく言われますが、それについて考えようとしても当たり前のことのような感じがしてよくわかりません。手がかりを得るために、たとえば英語で表現するとしたら、どのような表現が適切だろうかと考えてみました。 調べてみると英語のよくある表現では Safe、またはSecure(どちらも日本語に訳すと「安全」)と表現することが多く、安心に類する表現を見かけませんでした。ですが、日本語の安全安心という言葉には、心理的安全性も含まれているだろうと思うのです。 そ

          哲学カフェの「安全安心」について

          対話に必要なあれこれ

          対話とは対話とは「お互いの〈意思〉を確認し合うコミュニケーション」のことだと私は考えています。ここでいう確認の対象となる〈意思〉とは、〈他者に伝えたいこと〉と言い換えられるものを指しています。 そしてこの〈他者に伝えたいこと〉は、いくつかの観点に分類することができると私は考えています。 イメージ当人にとって言語化が難しい想念。絵的なものだけでなく、心地良さや悪さ、ざらつきやトゲトゲしさなどの感覚、くっきりしていたりぼんやりしていたりするそれらを、どんな言葉にすればいいのか

          対話に必要なあれこれ

          ユルイ対話 はじめました

          哲学対話ではない対話をはじめました。 私の気分とコンディション次第ですが、できるだけ毎週金曜日の21時~23時をコアタイムにやります。気が向けば20時からはじめるときも、朝までやっちゃうときもあるかも知れません。水曜日の昼間にやっちゃうかも知れません。 なんせユルイですから。 深まるのは夜だけ哲学対話では問いを深めるとか、深堀りするなんて言いますが、この場ではまったく深めません。むしろ深めるの禁止です。探るのも助言も禁止です。 他人の思いを「深めない、探らない、助言し

          ユルイ対話 はじめました

          〈尊重〉をうまくルールにする

          哲学対話に限らず、他者とのコミュニケーションではお互いの尊重が求められます。 〈尊重〉はいわゆる道徳に類するもので、わざわざ書く必要もないほど当たり前のこと…のように思われる人もいることでしょう。 けれど実際には形ばかりの道徳意識になっていて、〈尊重〉という言葉は理解できても、「それは具体的にどうすることなのか?」という問いには答えられなかったりします。 私は、ルールの表現は具体的な行動の形にする方が実践しやすく、求める効果を発揮しやすいと思っていますので、以下のルール

          〈尊重〉をうまくルールにする

          『省みる』⑤ 問いへの向き合い方は慎重だったか

          『省みる』④ 他者への向き合い方は慎重だったか からの続きです。チェックリストは『省みる』① 問いや真意の確認は慎重だったか からダウンロードしてご確認ください。 脱・いい子志向「他者からの評価を気にした模範的回答をしなかったか」 認められなかったりバカにされることを恐れていると、本心とは違う模範的回答をしてしまうことがあります。常識知らず恥知らずだと思われないために、優等生として振る舞ってしまうことがあります。 でも、きっと楽しくありません。おさまりのいいことばかり

          『省みる』⑤ 問いへの向き合い方は慎重だったか

          『省みる』④ 他者への向き合い方は慎重だったか

          『省みる』③ 伝え方は慎重だったか からの続きです。チェックリストは『省みる』① 問いや真意の確認は慎重だったか からダウンロードしてご確認ください。 尊重の実践「自分が、他者を尊重できていない可能性を恐れたか」 尊重するとはどうすることなのか、誰もが納得する説明ができる人はそう多くはいないでしょう。自分は尊重しているつもりであっても、相手が尊重されていると思うかどうかは別の話です。 尊重するとはどうすることかは断言できませんが、尊重しないことなら断言できます。自分が相

          『省みる』④ 他者への向き合い方は慎重だったか

          『省みる』③ 伝え方は慎重だったか

          『省みる』② 考え方は慎重だったか からの続きです。チェックリストは『省みる』① 問いや真意の確認は慎重だったか からダウンロードしてご確認ください。 命題化「短く、命題の形にするよう努めたか」 思いのままに語ってしまうと、自分でも何が言いたかったのかわからなくなってしまうことがあります。そのとき言いたかった気持ちは、何を指していたのでしょうか。 命題の形とは「〇〇ならば△△である」のように、短く言い切った形です。言っていることが正しいかどうかはともかく、言いたいことを

          『省みる』③ 伝え方は慎重だったか

          『省みる』② 考え方は慎重だったか

          『省みる』① 問いや真意の確認は慎重だったか からの続きです。チェックリストはこちらからダウンロードしてご確認ください。 関係の整理「前後関係、上下関係、包含関係、原因と結果など、関係を整理するよう努めたか」 今話されていることは、何とどんな関係にあることなんだろう? 一部分を取り上げているのか、それとも前提にしていることなのか、影響し合う要素だろうか。あれとこれはどんな関係にあるのか。完璧にわからなくても、関係を考えて整理する。少し考えたら、もう一度整理しなおしてみる。

          『省みる』② 考え方は慎重だったか

          『省みる』① 問いや真意の確認は慎重だったか

          はじめに このチェックリストは規則や基準ではなく、反省するときの観点をまとめたものです。何について反省するのか不明確であれば、〈できている〉も〈できていない〉も感覚的なものになってしまいます。 具体的に、どのようにできていたのか、どのようにできていなかったかを自分で見つめることで、次の機会にどうするか?を具体的に考えられるようにするための道具です。 どうか『必ず守らなければならないこと』のように考えたり、他人を査定するために使ったりせず、自分を観察するための道具だと理解し

          『省みる』① 問いや真意の確認は慎重だったか

          〈自分はできている〉という決めつけこそ哲学対話で一番警戒すべきこと

          これは、東京メタ哲学カフェ第36回開催後記です。 2020年2月16日(日)に開催された東京メタ哲学カフェで進行役をしました。テーマは「〈哲学プラクティスをダメにしている当事者〉としての自覚を持とう」です。 今回の企画は、2019年9月に同じく東京メタ哲学カフェで開催された「哲学相談の危険性について考える」に参加したことが大きな契機でした。この回では「哲学相談の危険性について考える」ことがテーマでありながら、重く考えすぎではないか、哲学対話に限界を感じているから新しい試み

          〈自分はできている〉という決めつけこそ哲学対話で一番警戒すべきこと

          よい問い、わるい問いについて

          問いとは〈情報〉を認識をするために必要な手続き。この〈情報〉は一般的に「答え」と呼ばれ、問いとの〈関係〉によって示される。 ・AとBはどのような関係か? ・Aが成り立つ条件は何か?(Aに対して必要条件の関係にある要素は何か) ・Aを解決するにはどうすればいいか?(解決の条件を満たす関係にある要素は何か) 問うことよって、それまで不明だった関係を〈情報〉として新たに認識することができる。その不明な関係を探す試行錯誤を〈考える〉と呼ぶ。 疑問形は構文としては問いの形を構成す

          よい問い、わるい問いについて

          哲学対話の心がけ

          ■よく見る表と裏を同時に見ることはできない。 まっすぐとは限らない。曲がっているかも知れない。 平面とは限らない。歪んでいるかも知れない。 正比例するとは限らない。限界点があるかも知れない。 確かめるためにどんな実験と観察をすればいいだろうか? ■よく聞く言葉の意味が違うかも知れない。 言いたいことを正確に言えていないかも知れない。 嘘やごまかしがあるかも知れない。 確かめるためにどんな質問をすればいいだろうか? ■言葉を疑う言おうとしていることはなんだろうか? 言おうと

          哲学対話の心がけ