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分類その6「サスペンス」

サスペンスは純粋に演出的手法である。
語源を考えてみると、不安、疑わしい、宙ぶらりんを意味する。謎(ミステリ)とも密接に関係はしているが、サスペンスには精神的な緊張感が必須となる。
物語としての盛り上げも大いに関係するのだが、ここで重要なのはストーリーよりも演出だ。
本格推理小説と比較して、サスペンスは読者に挑戦する姿勢が少ない。既に起きた出来事を解明するのではなく、事件はまさに現在進行中だからである。
主人公格の登場人物は何らかの身の危険にさらされる。安楽椅子探偵が事件の当事者でないのとは対象的に、サスペンスの主人公は、自分が死体となって発見されるかも知れない状況に直面するのだ。
読者は主人公と心拍数を共有する。
勿論、主人公は自分の置かれている状況を理解し分析し、危機を回避しなければならないので、推理小説としての要素は多分に要求されるが、この時主人公は等身大でないといけない。読者が共感できる弱さや迂闊さを持ち、むしろ読者の方が危機回避能力が高いぐらいでないと、サスペンスは盛り上がらない。

本格推理小説であるには、事件のあらましが推理によって解明される必要があるが、サスペンスの作者は、特に複雑な隠蔽を要求されないため、比較的書きやすいと勘違いされやすい。しかしサスペンスは、決して(そして断じて)推理小説の出来損ないなどではない。
小説表現は、映像に頼ることも音楽で盛り上げる事も出来ない。テンポとスピード感、そして心理描写の巧妙さが要求される。

ここに紹介する作品は、恩田陸氏のデビュー作で、私が出会ったのはNHKのテレビドラマが先だった。
学園ものでありながら、使命の継承の話である。放送中に単行本を買って一気に読んだ。もう20年以上も前の事になる。

恩田氏の作品はこの他に何作か読んでいるが、大風呂敷を拡げる割には何故か核心に迫らない。何となく現実世界での決着を見るが、事件のあらましが解明しても、何かがスッキリしない。
そういう不思議な作品群だ。結末は腑に落ちないものの、導入部の世界観は、単なる人間社会の事情を超えて、神秘的でさえある。
ホラーなのかSFなのか?一応ミステリとしての事件は解決し、現実世界に留まろうとするが、どうしてもそれとは別の、アッと言わせるような神秘的真相が隠れているような気がするのである。
この作品の、特に導入部が、まさにサスペンスの醍醐味を持っている。
舞台は田舎の高校なのだが、子供達は割にあっさりと都市伝説のような物語を受け入れ、しかしながらそれが大人によるものなのか?何かの不思議な力が働いているのか?そして何よりも、その何者かは自分に何をさせようとしているのか?何よりも謎の存在の正体を探って行く過程で、それが現実的な誰かである事よりも、物語に生き続ける存在であって欲しいと願うような、大人の読者には、その曖昧さがさらにサスペンスを盛り上げていると言えよう。

全く人畜無害である一人の男が、国家的な陰謀に翻弄されて行く物語。読者もまた、まるで訳が分からない不安定な状況を共有する。
伊坂幸太郎氏のこの作品は、読者に大筋の俯瞰を与えながらも、日常の奥に潜んだ現代人の社会に対する漠然とした不安を具現化している。
伊坂作品は、他人の思惑と表面的な社交性が、個人の個人たる権利をも希薄なものにしていると警告しているようだ。

サスペンスは多くの可能性を秘めている。
それは単に小説の一ジャンルではなく、純粋に演出的な手法を以て、読者を疑心暗鬼に追い込み、現実世界への信頼を奪い、安定した精神を保てない状態にする洗脳でもある。
目の前の誰かを疑い、マスコミを疑い、挙げ句には現実すらも歪ませてしまいかねない、疑い(サスペクション)の宙吊り(サスペンド)の罠に、読者を仕掛けるからだ。


2023.3.21

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