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俳句幼稚園企画『忘れられないあの人』

に参加させてくださいネ!



いずこより漂う面影秋の空


20代の頃、私は社会不適合者であった。
当時日本は高度経済成長期真っ最中。
毎日18時間働くのが当たり前。
乗車率350%の通勤電車は窓ガラスが割れ、降りたい駅では降りられず、失神する女性が毎朝続出していた時代である。
私は、人を人として扱わないことが常態化していた年配の会社経営者と衝突し、怒りを爆発させてその場で辞めるということをいくつもの会社で繰り返していた。

そんな中で、今でも決して忘れられない会社社長A氏がいる。その会社は学校の校庭に人文字を作ってセスナから写真を撮る仕事をしていた。

彼は当時の会社経営者としては型破りだった。40歳位だったと思う。すでに頭は薄く、いつもオヤジギャグを飛ばし、みんなを笑わせるのが趣味のような人だった。彼はドサ回りのエキスパートのような人だとも聞いた。

カメラマン募集の広告を見て面接に行ったら、
「君はどちらかと言うと、カメラマンよりも営業の方が向いていそうだね。」とA氏から言われ、
「あ、はい、わかりました、やってみます。」と答えた私。
営業などまったく見ず知らずの世界だったが、知らないことに首を突っ込むのが大好きだった私は、早速営業を開始する。

対象となるのは全国の小学校、中学校、幼稚園。
まずは担当エリアのビジネスホテルに泊まり込みながら、部屋から一日200件ほど、学校に電話をかけまくる。
アポイントを取れた学校に出向いていき、校長または教頭先生にお会いする。

この電話によるアポイントがまずなかなか取れないということを知って、私は勝手に「飛び込み営業」にやり方を変更した。
手あたり次第に、いきなり学校の職員室にずけずけと入っていく。
教頭先生の前ではなく、横に立つ。
机の上に、自分の名刺を手渡しせずに、ポンと置く。
世間話を一切せず、笑顔も作らず、眼を覗き込みながら、耳元で小さな声で、単刀直入に、
「写真を撮らせてください!」と言う。
その常識知らずの営業スタイルに校長教頭先生はどう思ったか分からないが、それが功を奏して、私は即決契約を多く取り、契約件数でもその会社でトップとなった。
 
しかしライバルは他にいた。
当時、学校航空写真撮影をする会社は全国で7社あった。
営業は全国の学校が対象であったために、どこの都道府県に行っても、必ずライバル会社とバトルが繰り広げられる。
特に児童生徒数が1000人規模となる学校は、売上も伸びるために、競争が激しい。
私は中小規模の学校の契約が取れていたが、こうした大きな学校の契約が取れずにいた。

社長がある日、誰もいない事務所で私を呼んだ。
「hikariくんさ、あのね、毎日がんばって営業してるのはわかるけどね。
でもね、もっと仕事、さぼりなさいよ。他の人には内緒だけどね。」
「はっ⁈ さぼる⁈」
「あのさあ、毎日朝から夕方までだらだら営業してても、そんなに集中力って続かないのよ。だからさ、週の途中で丸一日仕事さぼるのよ。好きに遊んでいいから。そうすればまた力が出て、がんばれるからさあ。
あ、それからね、契約が一番取れる時間帯って知ってる?」
「いや、知らないです…。」
「あのさあ、それはね、午前11時すぎと、夕方4時すぎ。
お昼前になると、先生もお腹すいてくるでしょ。そういう時に営業に来られたら、早く契約を済ませて終わりにしたいと思うわけ。夕方は早く家に帰りたくなるでしょ。」
「あ、は、はい、わかりました。やってみます。」

それからの私は、出張先で毎週水曜日は勝手に休みの日と決めた。
当時は週六日働くことが常識だったから、この週休二日はかなり勇気のいる非常識的なことだったのである。
私の担当は東日本と一部関西だった。その土地にある名所旧跡、水族館、テーマパークなど、いろいろな所に出かけた。
そして競争が激しい学校へは、ゴールデンタイム午前11時と夕方4時に合わせて行くことにした。

その結果、社長から言われた通り、大きな学校での契約をライバル会社に負けずに取れるようになった。

時々、ふと秋の空を見上げると、あの人懐っこい社長の晴れやかな笑顔と彼の言葉を思い出す。
そして深呼吸をして、力を抜く。
あの仕事の途中でもよくそうしていたなあ。
オンオフの極意を伝授してくれた恩人である。

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